社会見学って大嘘にもほどがあるだろ

 御酒草学園の下宿は裏門をでてすぐのところに建っている。手前にあるのはよく言えば風情があり、悪く言えば古くさい本館。奥にある真新しい建物は男女共用になるに当たって増築された別館らしい。

 しばらくお世話になる建物を見上げていると、先を歩いていた鎮が遠慮なく玄関の引き戸をあけた。案内するといっても建物の前までだと思っていた晃生はぎょっとするが、鎮はお構いなしに中へと入っていく。


「管理人さーん、こんにちはー」


 玄関から中に挨拶する鎮に遠慮はない。由香里がちょっと。と慌てた声をあげるが気にせず、いないのー? と再び声をあげる。それに奥からちょっとまってねー。と穏やかな声が返ってきた。鎮の声に驚いた様子はない。これが初めてではないのか。そう晃生が考えていると、奥から柔和そうな女性が現れた。


「鎮君、こんにちは。遊びに来たの?」


 晃生の予想通り、鎮はよくここに訪れているらしい。下宿生でもないのに何故という疑問はわくが、まあ鎮だしな。という気持ちにもなっている。出会って一日もたっていないのに、自分とはかけ離れた謎の生命体という結論に落ち着きつつあった。


「今日は同級生案内しにきた。今日入学式。俺も今日から高校生」


 そういうと鎮は制服を見せつけるように胸を張る。そんな鎮を見て管理人が目を丸くし、あらまあ。と嬉しそうに微笑んだ。完全に孫を見る反応に、幾度となく通っているのだとわかる。


「奥にいる美人が同じクラスの由香里ちゃん」


 さらりと美人と表現されたことに由香里が虚を突かれた顔をした。否定すべきか、照れるべきなのかわからないと言った落ち着かない様子で、とりあえずこんにちは。と管理人に頭を下げる姿を見ると、大人びてみても同い年の少女なのだとわかる。

 言った方の鎮に関しては一切の照れがないので、普段からこの言動なのだろう。この調子で管理人にも接しているのであれば、異性からかわいがられるのもわからなくはない。同性の晃生からするとチャラいの一言で終わるため、仲良くなれそうにないという印象が増すだけだったが。


「こっちが川村慎司」


 続いて紹介された慎司は前に出ると、よろしくお願いします。と頭を下げる。その姿に一瞬管理人が固まったように見えたが、すぐににこやかな笑顔でよろしくね。と慎司に声をかけた。

 気のせいだったのか? そう晃生が思いつつ管理人を見ていると、最後に鎮は晃生を紹介した。


「で、この目つきは悪いけど面白い奴が清水晃生」

「そんな紹介があるか」

「事実だろ」


 鎮の軽口は無視しよう。そう思った晃生は管理人へと視線を移す。そこで晃生が目にしたのは信じられないものを見た。そんな表情で固まっている管理人。


「清水……君……?」

「はい、清水ですが」


 管理人の反応に晃生は戸惑った。初対面の人間にこんな反応をされる覚えはない。鎮がいうように目つきが悪いからかと思ったが、それならばもっと違う反応だろう。管理人の反応はおびえや不安からのものではない。驚き。それこそ幽霊でもみたかのような……。


「……管理人さんってずっとここで仕事していらっしゃるんですか?」

「えぇ……」


 管理人の反応に晃生は納得した。ずっといるのであれば晃生の顔に覚えがあっても不思議じゃない。兄は晃生に比べて柔らかい雰囲気をしていたが、顔の造りは兄弟だけあって似ている。6年も前の特待生を管理人が覚えているというのは意外だったが、逆にいえば覚えるほど印象深い何かが起こった。そういうことなのだろう。


「ということは、兄もお世話になったんですね」

「兄……?」

「6年前こちらにお世話になっていた清水雄介。俺はその弟です」


 にこりと笑う。鎮に比べたらずいぶんうさんくさい笑みだったろうが、出来る限り柔和に見えるように。いつも穏やかに笑っていた兄を思い出しながら。

 管理人の顔がわかりやすく引きつった。先ほどまでの穏やかな表情が嘘のように、血の気が失せる。その反応を見て、晃生は悟る。この人は何かを知っている。


「お兄さんも特待生なんて、すごいんだね」


 管理人の様子に気づかなかったらしい慎司が驚いた顔で晃生をみた。はたから見れば兄弟そろって狭き門をくぐり抜けた優等生。そう見えるのだと慎司の曇りない表情を見て気づいた。

 そんなことはない。兄は弟の俺から見ても出来る人だったが、俺はとにかく必死で勉強しただけだ。だからすごいのは兄であって俺じゃない。そういえればよかったのだが、いえる空気でもない。


 慎司の反応で気づいてしまった。晃生の話を聞いて純粋な反応を見せたのは慎司だけ。先ほどまであれほど騒がしかった鎮は黙り込んでいる。見れば探るような眼差しを晃生に向け、ずっと浮かべていた笑顔が引っ込んでいた。無表情な鎮は別人のように見える。

 その近くにいる由香里は血の気が失せていた。なんとか表情を取り繕おうとしているようだが失敗し、いびつなものになっている。

 3人とも何かを知っている。そう確信するには十分だった。


「特待生ってことは、今はどうしてるの? やっぱり羽澤系列の会社で働いてるの?」


 輝かしい未来を想像したのだろう。慎司がいっそう目を輝かせた。

 御酒草学園の特待生になるのは難しい。毎年数人しか受からないうえ、かなりの学力を求められる。御酒草学園に落ちた者が、有名な進学校に受かったなんて話はよくある話だ。それでも特待生を目指す子供が多いのは、学費を全額免除。というのにも加えて、卒業後の明るい未来が約束されているからである。

 羽澤系列の会社はどこも一流だ。そのうえ一族が幅広い業種で功績をあげているため、どういった道に進もうとも、羽澤家と縁があるというだけで有利になる。

 きっと晃生の兄もそんな輝かしい未来を歩んでいるのだ。そう慎司は少しも疑っていない。


 その姿に過去の自分を重ね合わせた。

 まだ羽澤家という家を漠然としかわかっていなかった頃。両親や兄があれほど喜び、周囲も祝福しているんだから、とてもよい事だと信じ切っていた頃。そんなすごいところに行く兄はとてもすごいのだと、両親と共に兄を誇りに思っていたあの頃。

 そのときの気持ちを思いだして晃生は苦笑した。兄の結末を知らない方が慎司は純粋に明るい未来を信じていられるのだろうか。そんなことを考え、すぐさま否定した。


「6年前からずっと入院してるよ」


 えっ。という慎司の声は言葉にならなかった。何を言っていいのかわからなかったのだろう。ごめん。とつぶやかれ、そらされた視線。慎司は何も悪くない。そう言ってやりたかったが、晃生は何も言えない。

 代わりに周囲を見渡した。

 さきほどよりも管理人と由香里の表情が暗い。完全に血の気が失せて、由香里に関してはかすかに震えている。

 それに比べて鎮の反応は変わらなかった。どこかで予想していたのか、静かな瞳が晃生をじっと見つめている。それに無言で見つめ返せば、固まったように動かなかった口角があがる。


「社会見学って大嘘にもほどがあるだろ」


 鎮の言葉には答えず晃生は鼻で笑う。鎮がなにを知っていてなにを勘づいたのかはわからないが、どうでもいい。最初からここには敵しかいないのだ。

 しいていうなら、この状況がわからずに不安な顔をする慎司。彼だけが今のところ晃生にとって唯一の安全地帯といえた。



***



 気づけば由香里は家の玄関に立っていた。

 急用を思い出したと、早足で逃げ出してしまったことを思い出す。失敗だった。由香里の立場からして、もっと情報を聞き出すべきだった。そう後悔したと同時に、逃げられたことにほっとする。

 たとえ聞いても晃生はあれ以上語る気はなかっただろう。しつこく聞いたことによって、逆にこちらが問いただされても困る。

 羽澤家以外に情報は秘匿されている。晃生が真実を知るはずはない。けれど、もしかしたら。そう思ってしまうほど鋭い視線に身震いした。あれ以上あそこにいたら、知っていることを全部いってしまいそうだった。しかし、それは由香里の立場としてはあり得ない失態だ。そんなことをしたらどうなるか。想像すらしたくない。


「……ただいま帰りました」


 引き取られたあの日から、由香里の帰る場所になった家。父も母もおらず、血のつながらない、年もバラバラな子供たちと共同生活を送っていた施設から連れだし、由香里を娘として迎え入れてくれた場所。きれいな服に、きれいな作法。言葉遣い。女性として華やかであれとなにも持たなかった由香里に様々なものを与えてくれた家。

 小さな頃は感謝していたその場所が、今はこんなにも重い。引き戸を開ける玄関に足を踏み入れる。それだけのことなのに足下から沈んでいくような錯覚がする。


「おかりなさい。由香里さん。おそかったのね」


 母親となったその人は美しい。若さ以外で由香里が勝てる事は何一つない。そう思えるほどに凜とした、着物姿がよく似合う淑女。羽澤の血を引く彼女は老いにくく、由香里も正確な年齢は知らない。出会ったその日から変わらない美貌に恐怖を覚えるようになったのはいつからだろうか。


「特待生に下宿を案内しておりました」

「今年はA判定がいると聞いたけど」

「はい」


 由香里の言葉に母は喜ぶ。Aなら決まったようなものね。とほっとした様子を見るに、少しばかりは由香里のことも心配してくれていたのだろうか。それとも……。


「特待生と話したのならちょうどいいわ。特待生のことを聞きたがっている方がいらっしゃってるの」


 母の言葉に由香里の思考は途切れる。沈みかけた心を相手に悟らせないように、わかりました。と笑みを浮かべる。


「着替えた方がよろしいでしょうか?」

「そのままでいいわ。お待たせしては失礼ですから」


 そういって歩き出した母の後ろに続きながら、由香里は考えた。一体どこまで話せばいいのか。聞いたことを人形のように、ただ淡々とのべれば自分は助かるのだろうか。

 考えなければいけない。何が自分にとって不利になり、相手にとって有益な情報か。自分は養子として残しておいた方がいいと判断させるに十分な結果になりえるか。


 必死に頭を巡らせていると、射貫くような晃生の目を思い出す。お前はなにを知っていると探るような視線。慎司のような純粋な気持ちではなく、間違いなく彼は羽澤の暗部を感じ取ったうえでここにいる。

 けれど由香里にだって譲れないものがある。わざわざ飛び込んできた愚か者とは違い、由香里はもう羽澤の中でしか生きられないのだ。

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