肝に銘じます

「……緊張した……」


 気弱な少年が「はあ」と大きく息を吐き出した。気持ちはわからないでもないが大げさすぎるとも思う。視線を向ければ、教師の方も緊張が解けた様子で息を吐き出し、額に手を当てて天井を仰いでいた。教師がそれでいいのかと視線がきつくなる。それに気づいた教師は苦笑いを浮かべた。


「頼りないと思われただろうが、未だになれないんだ。なんというか羽澤本家の子は空気が違うんだよなあ……特に響様はおいそれと話しかけちゃいけない気がする」

「本家の人なんですか!」


 教師の言葉に気弱そうな少年が声をあげる。それから響と呼ばれた少年が出ていった体育館の方へと身を乗り出した。もう見れないのは分かっているが、反射で体が動いてしまったのだろう。


 羽澤家には本家と複数の分家が存在する。本家に近ければ近いほど権力を持ち、優秀な子供が生まれると聞いたことがある。そのため羽澤といっても階級が存在し、本家の子供と分家の末端では天と地ほどの差がある。あまりにも才がないと判断された場合、羽澤の苗字を奪われ他の家に養子に出されるなんて噂もあるほど、羽澤という家は血筋と才能にうるさい。


「お前らは同学年だから知っておいた方がいいな。先ほどの方が羽澤響様。あの通り礼儀正しくて優しい方だが……」


 そこで教師は言葉を区切ると顔をしかめる。


「お前らはあまり関わり合いにならない方がいいな……」

「どうしてですか?」


 教師の目を真っすぐに見つめながら問いかける。教師は一瞬逃げたそうな顔をした。


「……立場が色々とな……。あの方の上には兄が3人いる。順当にいけば長男の航様が次の当主なんだろうが、航様には役不足という意見もあってな……」

「それって家督争いってやつですか」


 黒の少年が本当にあるんだ。と目を見開いてつぶやいた。一般庶民には縁のない話だ。興味本位の空気を感じたのか教師の顔が苦いものになった。


「他人事じゃないからな。お前らはこれから御酒草学園の生徒だ。羽澤家の身内になる権利を得たといってもいい。特待生の中には正式に養子として迎え入れられ、地位を得た者もいる。そういう枠にお前たちは入ったんだ。他人事だと思ってなめてると巻き込まれて痛い目を見るぞ」


 教師はそういうと晃生と気弱そうな生徒の顔を交互に見つめる。その目は真剣でとても冗談を言っているようには見えなかった。隣で大げさなほど首を縦に振る少年の姿が視界に映る。晃生は教師を見つめ返す。睨みつけたといった方がいい。


「分かってます」


 固い声に教師が驚いた顔をした。分かっているならいいが……。と納得いっていない様子で眉を寄せるが、追及はしないようだ。ゴホンと咳ばらいをすると、改めて晃生と黒の少年に向き直る。


「一年間お前らの担任になる。香川隆久かがわ たかひさだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ」

「えっと僕は川村慎司かわむら しんじです」


 黒の少年――慎司が頭を下げるのにならって晃生も自己紹介する。その様子を見て香川は歯を見せて笑う。やはりスーツが似合わない。


「先生は羽澤家ではないんですね」


 御酒草学園は教職員も羽澤の者が多いと聞いていた。生徒も教員もほとんど羽澤のために名前で呼び合うのが通例だとか。

 晃生の問いに香川は「あー」と声をあげる。


「3年くらい前にスカウトされてな。羽澤家が運営する学校にスカウトなんて名誉だろ。だから喜び勇んできたわけだ。俺も含めて外部の教員は10人いくかどうか。ってところだな」

「スカウトなんて先生はすごいんですね」


 慎司が羨望の眼差しで香川を見る。その視線に何故か香川は困った顔をした。嬉しいよりも後ろめたさが強い反応に晃生は顔をしかめる。しかしそれには気づかないふりをして香川へ話しかける。


「3年前ってことは、もっと前の事は知らないんですね」

「えっ……まあ、そうだな。詳しくは知らないな」


 晃生の問いに香川は不思議そうな顔をした。慎司も何かあるのかと晃生を見ている。それに対して晃生はあいまいな笑みを浮かべた。


「この学校って昔からあるって聞いたので、どのくらいなのか興味があって」

「あーそういうことか。それなら俺は新参の部類だからな」


 香川は小さく肩を落とす。


「詳しい話を聞きたいなら昔からいる先生に聞ければいいんだが……ハッキリ言って、特待生の質問は受け付けない。みたいな教師あるまじき差別主義者もいるから」


 後半は小声だった。チラリと香川が向けた視線の先には他の教師と談笑している教師の姿が見えた。高級そうなスーツに金色の腕時計。教師というよりは政治家のような装いに晃生は顔をしかめる。


「関わり合いにならない方がいい教師は後でリスト渡すから、覚えて燃やせ」

「……厳重ですね……」

「ここに入学したということはそういうことだ」


 険しい顔で香川はいった。やはり冗談を言っているようには見えない。慎司の表情が不安で歪むのを見ながら、晃生は香川のいった意味を考える。どうやら晃生が想像していた以上にこの学校は常識とはかけ離れているらしい。


「肝に銘じます」


 それでも晃生は逃げるわけにもいかないし、引くつもりもない。

 6年前、抜け殻になった兄。兄が残した手紙を見つけたときから晃生の気持ちは決まっている。兄がああなってしまった原因を探る。そのためだけに晃生は御酒草学園に入学したのだ。

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