短編:タイムトラベル

たまに猿。

短編:タイムトラベル

母が死んだ。

優しく、清らかな心をもっていた。

いつでも心に寄り添ってくれるかけがえのない存在だった。

そんな母が死んだ。

こんなことが起きていいはずがない。

母を失った生活など考えられない。

僕は母を諦めきれなかった。


時は20xx年。人類は火星開拓を終え、火星と地球を自由に行き来することができるようになっていた。そして、火星を拠点とした宇宙開拓は最高潮の盛り上がりを見せ、各国が競うように探索を進めていた。そのおかげもあってその時点では研究者、特に深宇宙分野を専門とする研究者になることが最も名誉なこととされ、その中でも選りすぐられた精鋭のみが所属できるMarsphere社の火星内研究所で働くことを研究者たちは目指した。

Marsphere社は火星開拓が現実味を帯びる前から自費で開拓を進めていた企業であり、火星内の環境はほぼ全て彼らが整備したものである。つまり、人類は火星開拓を終えたと書いたが、実際にはMarsphere社が進めた開拓の最終段階で彼ら以外の人類がそれに乗っかる形で協力し始めたということになる。このことを考慮すると、Marsphere社が火星環境の利用について何か自分たちの利益となるような仕組みを設けることに誰も文句は言えないであろうが、そんな思惑とは裏腹に彼らは火星環境を全ての人類に対して平等に解放し、火星内における居住、ビジネスなどのあらゆる自由を保障した。ただ一つの事柄を除いて…。

彼らが唯一要求したのは火星内で研究を行う権利の独占である。つまり、この要求により、火星内には現在Marsphere社の研究所のみが存在し、火星を拠点とした深宇宙の探索などの最先端の研究分野では全ての国が等しく彼らに研究委託するしかないという状況にある。そして、最先端の研究を独占しているMarsphere社、特にその中でも精鋭のみが集まる火星内研究所では研究者たちは高待遇を受けた。これが、Marspehere社が研究者の中で圧倒的な人気を誇る一番の要因であろう。

私はというと、例に漏れずMarsphere社への就職を目指した研究者の一人である。Marsphere社は完全能力主義を掲げる企業であり、真に能力のある人を上限なしに採用するため、毎年競争倍率が異なる。例年は3000倍程度であるが、私が挑んだ年は5000倍を超える倍率を記録した。結果的に私はその難関を乗り越え、大きな期待を背負ってMarsphere社からの内定を頂いた。私と私の家族はこのとんでもない出来事を手放しで喜んだ。そして、喜びを分かち合った矢先に母は亡くなった。死因は不明と診断された。この時代にもなってまだ不明なことがあるのかと怒りに近い失望感を感じたのをよく覚えている。

その後、母を失ったことで支柱を失った私の心は原型を留めていられなくなり、思考は脳内に引き篭もってしまった。日々生きる気力を失っていくうちに頂いた内定を辞退することも考えるようになったが、父が必死に私を引き留めた。説得は数週間に及び、その間父は決まり文句のように『Marsphere社へは誰もが入れるわけじゃない。最先端の研究をして新しい技術を確立すれば、今苦しんでいる人たちを救えるかもしれない。現代では不明とされている死因も解明できるようになるかもしれない。母さんもそういう未来を望んでいるはずだ。お前には母さんの望みを現実にできる力があるんだぞ。』と言ったが、正直父の言葉はそれほど響かなかった。むしろ母の死をすんなり受け止め未来を語る父に嫌悪感を感じた。しかし、父の言葉も無価値だったわけじゃない。私はお決まりの言葉を聞き続けるうちに、この乾ききった思考を潤す打開策にたどり着いた。それがタイムトラベルをして母を取り戻すことである。ただ夢物語を描いたわけじゃない。当時は実現できる希望があったのだ。

元来、タイムトラベルは理論的に未来へは行けるが、過去へは戻れないとされてきた。しかし、Marsphere社の深宇宙探査によって、深宇宙にダークマターと呼ばれる反作用を持つ物質が密集している空間があることが確認された。そして、それに伴ってこのダークマターを利用することで過去へは戻れないという定説を覆せるのではないかという声も強まっていたのだ。この話を父の言葉が思い出させ、私に重い体を動かす活力を与えた。父は瞳に光を取り戻した私を見て大いに喜んだが、私の話を聞くと母を取り戻すことに猛反対した。長いこと何かを訴え続けていたが、当時の私はタイムトラベルのことに夢中だったため何を言っていたのかは覚えていない。父も私が聞く耳をもたないでいると、次第に何も言わなくなった。この頃から父とはあまり会話をしなくなり、実家を出るときもあっさりと別れた記憶がある。

父との衝突はあったものの、こうして人生に希望が一つ生まれたわけだ。その後火星内研究所で勤務することを目標に勉強を始めた私は向こう30年間ほどタイムトラベルに執着し続けることとなる。

Marsphere社に入社した私は一年目を地球内研究所で過ごすこととなった。そこからは死に物狂いで研究に打ち込み、質の良い成果をできるだけ多く挙げることに努めた。その結果、わずか3年という異例の早さでトップチームへの合流を言い渡され、晴れて入社4年目から火星内研究所に勤めることが決定した。私の専門は深宇宙物質学だったので、これで最先端であるダークマターの研究に携わることができるようになり、ようやくタイムトラベルの実現に向けて尽くすことができるようになったのである。ダークマターの研究については、私が地球で勤めている間にも進展があり、深宇宙探査の報告によって、ダークマターが密集している空間の中心部には惑星があり、その惑星上では全ての現象が地球や火星とは時間軸において反対方向に、つまり地球や火星基準で考えると過去へ向かって生じていることが明らかになっていた。そして、これによって全世界で過去へのタイムトラベルが実現するのではないかという期待の声が挙がるようになり、この話題はあらゆる研究トピックの中でも最高の盛り上がりを見せていた。私は最高潮に熱が高まった段階で研究に加わることになった自分の運に感謝し、内心どこかでタイムトラベルは実現すると確信していた。

そうして私は一層輝きを増した希望を目がけて試行錯誤を繰り返した。その結果、過去へのタイムトラベルは再び夢物語に成り下がった。

私が火星内研究所に異動してから数年が経った頃、ダークマターの研究は次の段階に突入しようとしていた。今まではダークマターが覆う惑星を外から観察し、情報を集めることに徹していたが、ついに惑星圏内に探査機を送り込む計画が練られ始めたのだ。当時の私は研究の進展を喜んだが、今思うとこれはあまり進展のない研究に対するMarsphere社の焦りの表れだったように思える。そして、計画は数年の準備をかけてようやく実行に移されたのだが、その結果が驚くべきものだった。私たちが送り込んだ探査機は惑星圏内どころかそれを覆うダークマターの層にすら突入することができなかったのだ。この結果を受けて有人の探査機が数回にわたって送り込まれ、何が突入を阻んでいるのかが検証された。そして、ダークマターには他の反物質とは違い、受けた力をそのまま返して反発する性質があることがわかった。つまり、層内に突入しようと押し込む力がそのまま返されるので、力が拮抗してそれ以上先に進めなくなっていたのだ。これには私を含めた研究者も頭を悩ませた。なぜなら、この性質がある限り私たちはダークマターを層から採取することすらできないからである。これはダークマターの利用を通じたタイムトラベルの実現を一気に難題へと変えてしまった。それから私たちは問題を解決するために反発の仕組みについて議論しながら模索する日々をおくることになるが、研究は難航し、成果は全くあがらなかった。唯一わかったことは、中心にある惑星が死と再生を繰り返しているということである。研究報告によると、その惑星が何かしらの原因で膨張し、崩壊するときに内部からダークマターが溢れ出し、惑星を覆うことで時間の逆流、つまり再生が始まる。再生が完了すると惑星は再び崩壊に向かって時を辿り、崩壊することで再びダークマターが溢れ出す。この死と再生を30億年間隔で繰り返しているというのだ。にわかには信じがたい話であるが、いくつか証拠も発見されているため、現時点では真実として語られている。

そして、成果のあがらない研究に痺れを切らしたMarsphere社はダークマターの研究を打ち切った。それを知らされた時のショックは大きかったが、その時点で私が火星に異動してから20年ほど経っていたにも関わらず未だ物質に触れることすらできていないという状況や将来の可能性の薄さを考えたら仕方のないことだろう。こうして私は再び目標を失ってしまった。

この頃、地球では人類が与えるダメージがその許容量を超え、各地で異常気象や災害が猛威を奮っていた。それに伴って火星への移住の需要が大幅に高まり、各地域の権力者から優先的に移住が進められていた。火星内研究所で働く研究者たちは家族を優先的に火星に移住させる権利をもっていたので、私も父に移住を薦めようと思ったが、気まずさが勝ったためやめた。

その後目的もなくだらだらと研究を続けていた私は、研究が打ち切りになってから数年後の、50歳を迎えたタイミングでMarsphere社を退社した。そして、何の計画もなしに地球に帰ることにした。地球に着くとそこには度重なる災害を受けて荒れ果てた大地が広がっており、その荒んだ現実から逃れるためにそこではバーチャル空間の利用が人気を博していた。少し興味をもった私はなんとなくその空間に入ってみたのだが、中を見て大いに驚いた。そこにはありとあらゆるものが存在し、生き生きと過ごす人々の姿があった。一通り見て回り、こういう世界も良いもんだなと思いながら退出したところ、ある考えが脳裏に浮かんだ。私の心に再び火を灯すような考えである。それが、バーチャル空間に自分の記憶のデータを反映することでバーチャルではあるが再び母に会うことができるのではないかという考えだ。私はその瞬間からすぐに行動を取り始めた。タイムトラベルの時もそうだが、何かに執着しているときの時間の流れというのは何故こうも速いのだろうか。気づけばそれから8年ほど経つ。記憶を反映する技術はバーチャル空間に詳しい友人などの協力もあり、無事に完成した。そして、今日が待ちに待った実行の日である。この記念すべき日を迎えるにあたって、今までの紆余曲折の日々を思い返しながら綴ってきたわけだが、ここで私の念願が叶うことを祈りながらこの手記を締めたいと思う。


男は筆を置き、部屋を後にした。その向かいの部屋に入ると、そこはバーチャル空間への入り口となっていた。そして、システムを起動するとヘッドギアを装着した。


ヘッドギア越しに広がる世界は男の実家だった。男は自分が2階にいることを把握すると、周りを確認しながら1階へと降りていく。1階へ降りれば自分の望みが叶うことを直感で理解していたのだ。そして、その時は来る。


「母さん」


男が声をかけると、台所の女性が振り返った。


「あら、もう帰ってたの?」


その一言に男の胸はいっぱいになった。


「母さん・・やっと会えた・・」


「もうすぐご飯できるから、ちょっと待っててね。」


「ご飯なんていいんだ。話したいことがたくさんあるんだよ。」


「今日はね〜。肉じゃがよ。あと野菜ね。」


「母さん?聞いてる・・?」


「だめよ食べなきゃ。ちゃんと健康を考えて作ってるんだから。」


(ああ、そうか。)


「あ、ちょっとまって。じゃあ食器運んで。」


(そうだよな。)


「ありがと〜。もうできるから座っといて〜。」


(記憶だもんな。)


しばらくの間、部屋には母親のセリフが響き続けた。


男は失意のままヘッドギアを取り外し、少し呆然とした。そして、なんとなく父親の顔を思い出し、メールボックスを開いた。そこには父親からのメールが大量に放置されており、それを見た男は父親が毎年一通、男の身を案じるメールをくれていたことを思い出した。いつしかそれを放置するようになったことも。そうして父親の気遣いを思い出すと、今度は急に父親に会いたくなった。男は連絡もせずに急いで実家に向かった。


ドアベルを鳴らすと、少し間をおいてドアが開き、その隙間から父親が顔を出した。髪の毛はすっかり白くなり、体も少し小さくなったように見える。男は父親の姿をまじまじと眺めてしまった。『過去にしがみつく息子をどう思っていたんだろう』『母を亡くして一番悲しかったのは父のはずなのに』そんなことを考えていると、父親が先に口を開いた。


「おかえり。」


その言葉に男は涙を滲ませたが、グッと堪えた。


「ただいま。久しぶりに乾杯でもしない?」








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