3.「お客様」は「外敵の香り」

 ここの生活に「朝」だの「昼」だの「夜」だのと言った明確な時間基準は存在しない。

 それは、外からの外光の様子が、いつまでたっても、曇り心地にすらならない、そんな断固とした不変の空気がその役割を担わないからだ。

 ここがどういう理屈で成り立つ世界かはよく知らぬが、記憶している限り、2,3年前までいた世界では、時間の移り変わりを表す日の出入りは存在していた。其れに留まらず四季の推移さえも味わえる雅豊かな場所だったはずだ。

 それに対し、今いるこの不可思議で面妖な世界。

 ここがその世界の延長にあるのか、はたまた全く違う世界として存在を確立しているのかは、分からない。

 何せ気付けばここに「連行されていた」わけなのであるからして。

 「連行」

 連行でよいだろう。寝て起きたら違う場所だったわけなのだ。手段は知らぬが「さぷらいず」というにはいささか強引なやり口であろう。

 願わくば、それが悪意の元でないことを祈るばかりだが、最近それも望み薄かと感じている。

「あるじさまー」

 なんであろうか寝坊メイド。

「なんかむつかしい顔してるよ?」

 この顔は我が人生の年輪のようなもの。つまりむつかしい人生だったのだろう。我ながら哀れなものよ。

 いや、今のこの顔は貴様が我が首にプランプランぶら下がっている故だがな。

 離せ。主は死んでしまう。


 そうしてさっさと自身の足で歩くよう促すと、さながらそれは遣えるべき当主の命を救う偉業だというのに、しかしこのメイドは「せっかくのお出かけなのに曇ってる」程度の軽薄な不承不承顔を向けてきよる。このメイド何様。

「ちぇー。マリアおねぇちゃんに抱き着かれたときは、喜んでたのになぁ」

 まぁよい。元よりだいぶ「まっちぽんぷ」の様相であったからな。気にすまい。

 だからそれ以上はよそう、寝坊助殿。争いは何も生まないと言う奴だ。

「じゃあおんぶして連れてってくださいあるじさまー」

 じゃあ。

 何において「じゃあ」なのだろう。何も証明されていないぞ、この言いがかりメイドめ。

 だが無論そんな無粋な問答は挟むことはい。何せ何となく因果関係判ってる故に。

 よっこいせ。


 ◇   ◇  ◇


 そのまま運送業に勤しみ続け、食堂に通じる廊下に差し掛かった頃、ちょうど食堂から掃除を終えたのか箒を持って出て行くところのシャオリィと目があった。

 目があってとても汚いものを見る目で見られた。

 視線で人は死ぬ。それはきっと心が死ぬのだろう。それを悟った嫌な瞬間だった。

「ロリコン野郎――いえ、ロリ人さま。ちょっとそれ以上近づかないでもらえますか」

「よりひどく言い直すな。ロリ人はやばい」

 ロリコンの神のようにも聞こえるぞ。そんな神は存在自体不味かろう。

 何のつもりかしらぬが、いや、より確実に心を殺しにきているのだろうが、死んだ心に止めなど不要だ。死人に鞭打つと言う言葉を知らんらしい。

 背中の荷物を運び終えたら、どこで涙を流そうか熟考始める丁度その時、その後ろの荷物が、こちらの肩に両手を乗せ、身を乗り出すように上半身を私の頭の上にぐいと伸ばした。

 ぽふん。

 そして頭の上にやおら載せられる「何やら柔らかき物」。

「ハローハローシャオリィちゃーん。うらやましいでしょうー?」

 にゃっはっはと笑う。馬鹿め。うらやましい目にあってるのは私に決まっておろうが。

 先ほど此奴の寝室でぼかした「一部を除いて色気がない」の一部が、色気の宝船が我の頭に幸せな着地を果たしていた。

 明日も生きていけそうだ。ありがとう。

「………」

 いや。いかん。目の前の吊り目メイドが肌に感じるレベルの冷気を放ち始めている。

 殺される。

 これが殺気か。

 と言うか何ゆえ激昂するのか。

 人の幸せを祝うためにはそれなりの度量が必要ということなのかも知れんな。

 精進せよ。

「ご主人様、ちょっと軽く死んでもらえませんか」

「落ち着け。人は軽くは死ねぬ。

 あ、だめだぞ。その箒を槍投げの体勢で投擲されたら本当に、ほら、あれだ」

 ごめんなさい。


「はぁ………。そこから早く降りてください美音。

 度を越した汚物とはいえ、ご主人様はご主人様です。ぞんざいに扱うのは時を場合を選びましょう」

 時と場合によってぞんざいに扱って良い主人がこの世に存在するらしい。

 他にも気になる言葉もあるが、それこそは主人の度量が試される時と考え気にしないことにした。逃げることは恥ずかしいことではないと私は知っている。うっかり逃げると言ってしまったが気にしないでほしい。

 と言うよりは、早々にこの話題を転換するべきだろう。そうしよう。

「ところでマリアはどうした。美音に仕事を与えてもらいたいのだが」

 そして我を子守から解放してほしい。

「侍女長ですか? 彼女は確かご主人様の寝室でお待ちになっていると思いますが」

 かたくなかあいつは。

 お待ちになってるんじゃない。仕事をしろ。

「さっさと汚らしい欲望を吐き出してきては如何ですか。ゲス野郎主人様」

 ゲス野郎主人様。

 此奴の中で主人の人格が凄いことになっておるな。さらに言うと貴様すごい顔しておるぞ。瞳孔開いて見下すって女子としてギリギリだと主人は心配になる。

「勝手に主人を家畜以下の扱いに貶めるな。

 我はあやつが寝室にいる限り部屋に戻るつもりはない」

 仮に夜になっても居座るようなら居間で寝るまでよ。

 まだ寝巻き姿の我に恐れるものはない。

 そう、まだ着替えておらんかった。すごい寝室に戻りたい。しまった、奴は策士か?

 これはとうとう年貢の納めどきか。純潔をあの胸が派手なメイドに奪われる運命からは逃れられないのか。

 などと若干敗北を知りたい心境に陥ろうとした時。

 す、と。

 わざとらしい絶望にひたる主人に、何やら畳まれた布製の何かを差し出される。

 差し出している人物の顔を見ると、なぜか明後日の方向を向いて、殊更表情のないシャオリィがいた。主人に片手で雑に渡すのは貴様的にセーフなのか?

 不思議に思いながらそれを手に取り広げると、紛うことなき我が平服。畏まったものでは無い、活動的な日常に身に付ける簡易なシャツとズボンだが、そんなシャツにも裾のシャギーが施された少しの拘りが粋な逸品。

 まさに今主人が望む物を望んだ時に用意する、そんなメイドの鏡の様な働きをした彼女は、しかし誇るでもなくこちらが服を受けると、軽く一礼をして先ほどまでの軽蔑一辺倒の態度が嘘のように、あっさりその場を去て次の仕事場に向かった。

 うむうむ。

 やはりあやつだけはまともな思考を持ったメイドと思っていた。

 その前にすごい言葉を浴びせられた気もするが、照れ隠しの一環と思えば、うむ――まぁいいではないか。

 そんな彼女を見送り、隣の猫耳メイドが一言呟いた。

「シャオリィちゃん、相変わらずメイドなのに、あるじ様に酷い態度だなぁ」

 美音。

 一つ我も言葉を貴様に贈ろう。

 それは「ぶーめらん」と言う奴だ。

 

 ◇  ◇  ◇


 それは、ようやく平服に着替え、美音に食事を用意してやり、やっと大人しくなった寝坊メイドに安堵の息をつき、やがて本日幾度目かの主人という意味を見つめ直す時間に差し掛かった頃のことだった。

 

「出てこい悪魔ぁ!」


 それはまた某シャオリィの毒のある呼びかけ、ではなく、屋敷の外から呼びかけられた罵声だった。

 ちなみにあの声のいう「悪魔」とは我のことである。

 世界は我に若干厳し過ぎるのでは無いだろうか?

 優しくしてくれる人間が現れたらころっといきそうで、そういった人物の来訪に期待を持っていいのやら悪いのやら。

 

「聞いているのか悪魔がぁ!」


 やかましいな。

 少しくらいは自分を慰めるひとり遊びに耽らせても罰は当たらんと思うわけだが。

 見よ。

 先ほどまで楽しそうに食事をしていた寝坊助殿が、青ざめて手を止めてしまったではないか。

 全く世話の焼ける。

「美音」

「………っ! な、何、主さま」

 呼びかけられるだけで、椅子から飛び上がらんばかりにびくつくその様子に、そして取り繕うように浮かべる似合わん作り笑いに罪悪感が刺激される。

 馬鹿め。慣れぬ気を遣いおって。

 掛ける言葉も見当たらないまま、縮こまるメイドに近づき、とりあえず頭をポンポンとしておく。

 馬鹿の一つ覚えのように、これくらいしか慰め方をしらんので。

「ある、じー………」

「そんな泣きそうになる必要などあるか、馬鹿者め。貴様は気にせず食事を続けておけ」

 世にも不思議な主人特製のメイド向けオムライスなのだからな。

 そして主人あるじは今から一仕事だ。

 そのまま食堂の入り口に向かい、そのドア横に立てかけられた出しっぱなしの箒を片手に取り、そのまま外に向かう。

「すぐに黙らせてくる」

 やかましいからな。

 そうほぼ独り言のように呟いた言葉を、耳のよい猫耳メイドは律儀に拾ったようだ。まだ涙腺は緩んだままなのか湿度の高い声だったが、聞こえてきたのは元気な挨拶だった。

「うん! 行ってらっしゃいあるじ様!」




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