第一話
「なんだこの物置小屋は。俺様の衣装部屋より狭いでは無いか」
俺様は城の兵士に連れられやって来た小屋を見てそう言った。
「貴方はもう平民です。貴方の衣装部屋など最早ありません。
そしてここが今日から貴方の住む家です」
俺様を連れて来た兵士が無感動、無表情で言った。
今迄は平伏し、恭順し、顔色を伺ってきた者が、今では俺様に愛想の一つも浮かべない。
「何を馬鹿な事を、それでは何か?平民は小屋以下の箱で馬以下の生活をしているとでも言うのか」
城の厩舎は此処よりマシであった。
「王城は全てにおいて規格外です。
寧ろこの家は平民の平均的な家より余程立派です。
政治的な理由により廃されたとはいえ、陛下ならびに王妃殿下にとっては大切なお子です。故に平民の平均収入を毎月ポケットマネーより下賜くださるのです。
ですから余計な真似はせず、大人しく余生を過ごして下さい」
そう言って兵士は俺様を小屋……これでも家なのだったか。その中に押入れ、入り口に直立不動で陣取った。
俺様の監視らしい。
落ちた王族の監視なんて、凡そ出世が見込めない配属にさぞかし腹に据えかねているのだろう。俺様を見るその目は冷たい。
俺様は仕方なく家内を散策する事にした。
終わった。
何せ小屋以下である。見る物など有りはしなかった。
入り口に直結した一番広いのが(いや広くはないのだが)団欒室兼食事室。その奥に調理室。横に寝室。反対の横に浴室と何と驚いた事にトイレが同じ部屋にあった。これでは臭くて風呂など入れたものではない。
しかし客室も遊戯室も執務室も勉強部屋も図書室もなく、どのようにして過ごせというのだろうか。全く理解不能である。
「おいお前。お前は何処で休むのだ」
しかも兵士どころか使用人の部屋さえ無かった。
「口を改めて下さい。陛下の手前とはいえ、今や私は貴方より身分が上です。
お前ではなく、テルロ様もしくはテルロさんと呼んで下さい。
そして私達は交代でこの任についています。時間が来れば交代し、私は兵舎に戻ります」
何という事だろう!
俺様がこんな下の者に様を付けるなど、こんなに屈辱的な事があるだろうか!
「お前はお前だ。落ちぶれたとしても矜恃だけは捨てん」
「そうですか。なら私はその旨報告するのみです」
フンと鼻で笑って言ってやれば、兵士は全く堪えた様子もなく、寧ろさっきより感情が見えなくなってしまった。
その上その後俺様が話しかけてやってるというのに返事すらしなくなった。
不敬だ!クビだ!処刑だ!と脅してやっても微動だにしない。
今はこいつの他に使用人もいないから何も出来んが、交代の者が来たら直ぐに罰してやる。
しかし交代の者はもっと酷かった。
「はあ?なんでテメェの言う事聞かなきゃならねぇんだよ。
テメェはもう一人なんだよ。誰も言う事なんか聞かねえっつの。バァーカ」
そう言って俺様の頬を殴りやがったのだ!
反動で倒れ、体に痛みが走った。だが、初めて殴られた頬の衝撃の方が凄かった。
痛い。
体に震えが来る。
倒れたまま見上げた交代の兵士は、侮蔑を込めた目で俺様に唾を吐いた。
怖かった。
初めて恐怖した。
それ程までに交代の兵士は暴力的で、テルロが止めてくれなければ俺様はもっと痛い目にあっていた事が見て取れた。
感情が無くともテルロが俺様を救ってくれたのだ。
「褒美を取らせる」
「いりません。貴方はもう与える物がないでしょう」
謝辞を伝えてやれば素気無く返された。
そして愕然としたのだ。
俺様には何も無い!
初めて足元が揺らぎ、暗黒の闇に囚われた気がした。
茫然自失となった俺様を、テルロは溜息一つ零すと、寝室まで連れて行き寝かせた。
その後の事はわからないが、俺様を怖がらせた交代の兵士は地方に左遷させられたらしい。
「落ちたとはいえ陛下ご夫妻のお子に怪我を負わせたのです。寧ろこの程度で済んだのはあの者にとっては時期が良かっただけです」
俺様に事の顛末をテルロが無表情で伝えてきた。
それが返って俺様に安堵をもたらした。
「ところで食事はまだか?
昨日は食欲が無かったが今は腹減りであるぞ」
「食事は自分で用意して下さい。その為の下賜費用です」
なんと!使用人どころかコックもいないというのか!これでは家で食事が出来ぬではないか!
俺様は仕方なく金貨二枚銀貨五十枚の入った革袋を持った。
「どちらへ行かれるのですか」
「そんなもの。レストランに決まっている」
「その金銭は一月分のものです。レストランなど利用すれば一月持ちませんよ」
「なん、だと……?こんなもの服一つ買えぬではないか!
父上は俺様に死ねと申されるのか!」
「平民の一月の平均収入です。平民はその金額をヤリクリして一月過ごすのです」
なんという事だ!この程度の金銭しか所持しておらぬというのに、俺様はもっと税収を上げれば良いと言っていたのか!そもそも払えるものもないではないか!
俺様は平民の実態を知り、初めて己の愚かさを知った。
そして今いる場所が得体の知れない空間であると認識し、恐怖に慄き青褪める。
「い、いつだ!?いつ俺様は許される!?
こんな怖い所早く出て行きたいのだ!父上はいつ迎えに来てくださるのだ!」
「未来永劫許されません。出ていけません。迎えに来て下さいません」
慌ててテルロに縋ればやはり無表情で返される。
そして俺様は愕然とし、脱力し、そのままヘナヘナと地に手をついてしまった。城の様に綺麗ではない、汚い床へと。
そしてブルブル震えながら汚れた己の手を省みた。
汚い。
けれどそれを拭う侍女もメイドも使用人もいない。
怖い。
俺様は……
一人だ。
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