第8話
隣を見ると、彼は穏やかな笑顔を浮かべて私を見ていた。
とても、冗談を言っているようには見えない、優しい笑顔。
万年くんの話してくれた事は、他の人が聞いたら、とても信じられないような話だと思う。
でも、私にはすんなりと理解ができた。
彼の話を聞くことで、私が彼に対して持っていた疑問が全て解けたから。
それに、ついさっき感じたデジャヴ。
(あれは、私がいつもあなたとかわしていた言葉だったんだね。)
『誰にも言っちゃダメだよ。』
私がいつも、万年桜に秘密の話をする時に言っていた言葉。
『だいじょうぶ。誰にも言わないから。』
この、万年桜の言葉を、私は無意識の内に、感じ取っていたんだ、きっと。
「話してくれてありがとう、万年くん・・・万年桜さん、かな?」
そう言うと、彼は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに嬉しそうに笑った。
「信じてくれるんだね。」
「うん。もちろん。」
「良かった、ちゃんと話して。これでやっと、ちゃんとキミに謝ることができるよ。」
万年くんの顔から笑顔が消えた。
「ボクのわがままのせいで、キミをツラい目にあわせてしまって、ゴメン。」
私の目の前で深々と下げられた万年くんの頭上には、こぼれそうなほどに咲き誇っているサクラの花たち。
じっと見ているうちに、言葉が自然と口から出ていた。
「好きだったんだと思う。」
「えっ?」
万年くんは、怪訝そうに顔を上げた。
その背景にもやっぱり、満開の桜の花。
「こんな風に、とってもキレイに咲いている、この万年桜の花が、きっと好きだったんだと思う・・・春の精だった頃の私は。その頃の記憶は残念ながら無いんだけど、私、今だってこの桜好きだもの。ポツポツとしか咲いてなくても、好きだったもの。だから、ね。万年くん。万年桜さん。」
驚いた顔をしている万年くんと、万年桜に。
私は心からの笑顔で、言った。
「いつまでも、キレイな花を、見せて欲しいな。」
「春香ちゃん・・・・」
「あ、でもね。」
嬉しそうに笑う万年くんに、私は慌てて付け足す。
「ずっと咲き続けるのは、無しよ?夏にはちゃんと葉桜になって、秋には紅葉して。冬にはちゃんと葉を落として眠りに付くの・・・次の春に思い切りキレイに花を咲かせるために。私は、今は人間で、春の精じゃないから、いつもそばにいられるし、どんな姿のあなたも見ていられる。だから・・・」
「うん。約束する。」
穏やかな表情で、万年くんがうなずく。
と。
(・・・・あれ?)
なんだか万年くんの姿がボヤけて見えるような気がして、私は軽く目をこすった。
でも、何度こすってみても、万年くんの姿はボヤける一方だった。
「そろそろ・・・・この姿とはお別れみたいだね。」
「えっ・・・。」
「ボクがこの姿でいられるのは、キミの心の傷が癒えるまで。良かった、春香ちゃんが元気になって。」
言っている間にも、万年くんの姿はどんどんボヤけ、薄くなっていった。
それが、万年桜に溶け込んでいっているように、私には見えた。
“待って!”
そう、叫びたかった。本当は。
“まだ、あなたとたくさん話したい事があるのに!”
って。
でも、必死で胸の奥に飲み込んだ。
言えばきっと、万年くんを困らせる。悲しませてしまう。
万年くんが万年くんとして存在し続けることは、万年桜にとっては絶対にいいことではないハズだから。
「ありがとう・・・あなたと・・・万年くんと会えて、お話することができて良かった。」
”ボクもだよ。”
もう、ほとんど見えなくなってしまった万年くんの声だけが、頭の中に響く。
”ボクはずっとここにいる。ここでキミを待ってる。
キミを想い、キミの幸せを願いながら。
約束するよ。
夏には葉を茂らせてキミの為に木陰を作る。
秋には紅葉して、キミの目を楽しませる。
冬には葉を落として、眠りにつき、
そして、春に目覚めた時には、再びキミに恋をして満開の花を咲かせよう。
キミを想って。キミだけの為に。
人間として生まれたキミが、幸せに生きられるように。
そうして、またいつの日にか、キミが春の精として生まれ変わり、三度出会えること を祈り続けよう。”
歌うように語りかける万年くんの声は、優しくて温かくて、ちょっぴり切なくて、私はほんの少しだけ泣いた。
泣いている間中、花びらがハラハラと降り続いていた。
それはまるで、なだめるように、頭を撫でられている感じだった。
”それから・・・・プレゼント、ありがとうね、春香ちゃん・・・・とても、嬉しかったよ。”
しばらくして、かすかに聞こえた声に上を見上げると・・・満開の桜の隙間からチラリと見えたのは、真っ赤なリボン。
それは、私がバレンタインに万年くんにあげた、チョコの箱にかけたリボンだった。
雪のように降り注ぐ桜の花びらの中、私は涙をふいて、呟いた。
「私の方こそ、ありがとう。最高のホワイトデーだよ、万年くん・・・」
それを最後に、以降、万年くんの声が私に届くことは、もう無かった。
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