第5話

2月13日。

バレンタインの前日。

私はある決意をして、万年桜に向かった。

「お帰り、春香ちゃん。」

いつからか、学校帰りの私を、彼はこう言って迎えてくれるようになっていた。

万年桜の木の下で。

「うん・・・ただいま。」

首に巻いたマフラーをきっちり巻きなおして、私はいつものように彼の隣に立ち、桜の幹に背をあずける。

雪が降りそうなほど寒い日だったけれど、やっぱり枝には、ポツポツと花が咲いていた。

「春香ちゃん・・・何かあった?今日すごく顔が強ばってる。」

彼は心配そうな顔で私を見た。

(私の心配ばっかりして・・・私だって、万年くんの事、心配なのに!)

「春香ちゃん・・・?」

心配そうな顔に、困ったような表情が加わって、そんな彼の顔を見ると少し胸が痛んだけど、私はじっと彼の目を見返して、言った。

「私、今日は絶対、万年くんのお話聞かせてもらうまで帰らない。」

予想通り、というか、いつも通り、というか。

彼はすごく困った顔をした。

それでも、私は目を逸らさずに、続けた。

「心配なの、すごく心配なの。万年くん、最近全然元気ないもん。他の事はもういい。学校とか、住んでるとことか、そんなのはもう教えてくれなくていい。でも、何で元気ないのか、それだけは教えてほしいよ・・・。」

祈るような気持ちで、私は彼を見つめた。

そんな私の視線の先で。

彼は優しい笑顔を見せた。

「ありがとう・・・キミはほんとに変わってないんだね。」

そして、ふわっと私を抱きしめた。

(・・・あ・・・)

実際のところ、彼とは手をつないだこともなかったけれども、何故だか私はこの感覚を知っているような気がした。

(何だろ、すごく落ち着く・・・)

「このままで、聞いてくれるかな。」

「・・・うん。」

小さく頷くと、彼は私を抱く腕に力を入れた。

「すごく・・・迷ってる。どうしたらいいか、わからない。できることなら、ずっとこのままでいたい、でも同じ過ちは2度と・・・。」

相変わらず、核心的な事は言ってくれないけれど、万年くんの体は小さく震えていて、彼の悩みや迷いの深さは十分に伝わってきた。

それだけでも、私には十分だった。

私はそっと彼の背中に腕をまわして抱きしめ、ゆっくり背中をさすった。

彼の心が少しでも落ちつくように願いながら。

しばらくそうしていると、彼の体の震えもおさまってきて、照れ臭そうな笑顔で彼は私から体を離した。

「少し、ラクになった?」

「うん・・・・そうだね。」

「口に出すとね、楽になるんだよ。」

「うん・・・・ほんとだね。」

そう言った彼の顔は、確かに笑顔だった。

でもどこか、私にはすごく淋しそうな笑顔に見えた。


次の日、私は手作りのチョコを持って、万年桜に向かった。

でも、いくら待っても彼は来なかった。

桜の木の根本にチョコを置いて帰った私は、その次の日も万年桜に行って、彼の事を待った。

チョコは無くなっていたけれども、その日も彼は来なかった。

その日だけではなく、それからしばらくの間、彼はずっと姿を見せなかった。

それでも私は、ずっと万年桜に通い続けた。

彼が来るのを待ちながら、以前のように桜の木に語りかけた。

その日の出来事。その日感じた事。

そして。

突然会えなくなってしまった、彼の事を。

「私、嫌われちゃったのかな・・・・・。」

いつの間にか冬も終わりに近づき、季節はもうじき春。

木の根本に腰をおろし、見上げた万年桜の木の枝には、気づくと今までに見た事の無いほど、小さな蕾がたくさんついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る