第十一章 吟遊詩人はもういない

K・全山縦走当日 六甲ガーデンテラス  




 ガーデンテラスへの道…。高松はずっと黙っていた。そういえば、彼が登山を好きな理由は聞いてなかったな。なぜ、今回の縦走大会に挑んでいるのかも…。そうだ、楓の事はどうするつもりなんだろう?聞きたかったが、彼の想像以上の落ち込みにとても聞く気が起きなかった。




 そして、われわれはたどり着く…。


 今日は晴天。展望台に出ると少し日が傾いてきたが、皮肉なほど良い景色が広がっている。




「いい景色だな。」




 高松は黙っている。そこに山路さんがやって来る。




「バスの時刻は30分後だな。それで、ケーブル駅まで行くといい。」


「もう少し…歩きたいです。」


「気持ちは解る。でもその靴じゃ、周りに迷惑をかけるうえ、自分の足も壊しかねない。」


「でも!!」




 俺と山路さんは目を合わせる。


 人は様々な理由でこの大会に参加する。こんな大会リタイアしてもさして大したことないと思う人もいれば、昔の俺みたいに泣くほど悔しい人間もいる。




「彼女…もうすぐここへやってくるよ。どうだろう。登山に慣れない彼女を一緒に山から下ろす為に一緒にリタイアって事にすれば…」




 高松は俯いている…。ダメか。そりゃ、悔しいだろうな。中学の時の俺と違って彼は未だ歩けるんだ。




「最高峰まで歩きたいです。そこでリタイアします…。」




 例の親父さんと見た景色、うんぬんのアレか。


 ただ、たとえあそこまででも、危ないんだよ。その靴で歩くのは…。山路さんは黙っている。




「気持ちはわかるけどな…大会に参加している以上、君一人の問題じゃないんだ。」


「解ってます。ここでリタイアしないと、自分の足で下山しないといけなくなるんですよね?でも、最高峰からなら、有馬温泉方面に行けば比較的安定した山道を一時間くらい下れば下山できます。最悪、ここまで戻ってきても…」




 よく調べている。俺は目線で山路さんに助けを求めた。




「私達は君に何を強制する権利も持っていない。君自身が決めれば良い事だ。だが、君がここから未だ歩くことで足を怪我したりしたら、今よりもっと多くの人に迷惑が掛かることになる。それがどれだけのものか君は分かっていない。少なくとも、私もシンジ君の力も宛にせずに、今言った道を歩けるかい?今言った道を歩いた事があるのかい?」




 高松は俯く。参ったな…。これじゃ、ここから動けない…。




「でも…、俺、ここでリタイアしたら、この先ずっと逃げちゃいます。きっと」




 俺は、このセリフにはっとした。このセリフ…俺は、昔言った事がある。そう、あの中学生の時の縦走大会だ。俺は確かにそう言った。そして、あの時の記憶が蘇ってきた。俺はしんどさから一人ギブアップして祖父母に我儘言ってリタイアしたと思い込んでいた。しかし、あの時は…。そうだ、ヘロヘロになっても無理して歩こうとしている俺に呆れて、ジジイがもうここで降りようって言ったんだ。どうしても聞かない俺にジジイが怒鳴って…。だから2人とも一緒に降りてくれたんだ。


 だから、何だって話なんだけどさ…。本当に今更思い出してどうなる?




「しゃーない…。俺が彼についていきますよ。」




 気が付いたらそう言っていた。高松は驚いて俺を見た。




「気持ちは解るが、シンジ君。我々も色々あったし、今決して良いペースで歩いているとはいい難い。完走するなら…」


「あ、俺、完走が目的じゃないですから」




 完走よりも大変なんだよなあ。


 山路さんは、少し笑って、わかった。と一言言った。最高峰までは一緒に行くよと言った。この人、本当に良い人だ。




「いいんですか?」


「あまりよくは無いかな。でも行くなら早くしよう。俺もジジイにあと一回は会わないと。」




 俺達は、歩き出した。








11・木下家  10月






 ある日、仕事から帰ると、大きな封筒が届いていた。全山縦走参加確定のメールは既に届いている。運営から送られてきたこの封筒には、参加札と言われる黄色いリボンやら、当日、チェックポイントでスタンプを押してもらうカードなどが入っている。その他、参加のしおり的な全山縦走の歴史やら当日の荷物やトレーニングの仕方など、詳しく書かれた本が入っている。リビングに座って読んでいると、ドアが開く…。




 ジジイが立っていた。ジジイは黙って、俺の横に大きな紙袋を置いた。




「何?これ」




 ジジイは台所でコップに茶を注いで飲んでいる。


 紙袋の中には登山用のザックが入っている。日帰り用…結構いいメーカーのやつだ。




「縦走用に買ったのだが、やっぱり使い慣れた奴で行くことにした。これが終わったら、当分使わんだろうし…、やるよ」




 それだけ言うと、ジジイは自分の部屋へと帰っていった。


 あの後も、一人何度か六甲山に登って縦走路を歩いている。久々に登山をして正直楽しかった。


 自然の中を歩くのは気持ちいいし、山頂に登った時に心地よい達成感に包まれながら見る景色…。山で食べる飯はは、カップめんでも旨い。


 でも、そんな俺の登山も終わりの時が近づいている。決着をつけて、また別の山へ…そう、この場合、山は人生の別の関門って事だが…。進まなくてはいけない。そんな時期が迫ってきているのだと、俺はこのザックを見ながら思った。

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