第九章 再出発
G・摩耶山山頂 つかの間の休息 全山縦走当日…午後1時
摩耶山…山頂付近には掬星台という展望台がある。京阪地区…大阪湾をぐるっと取り囲む都会そして、向かい側の和歌山方面まで、素晴らしい眺めを一望できる。はっきり言おう。六甲山…というか、京阪神地区の夜景を眺めるのは、ここがベストポジションである。ロープウェイとケーブルカーで来られるアクセスの良さも相まって冬の夜はカップルでにぎわう。多分初日の出の時とかも凄い人でだろう。
今日は快晴だ。現在展望台から素晴らしい景色が広がっている。しかし…
掬星台についた。俺はまず、座れる椅子を探しヘナヘナと座り込んだ…。景色など見てる余裕もない。すでに朝から8時間くらい歩いている。一般の登山なら、一日の行動時間の限界って所か…。はたして宝塚までどのくらいの時間が必要なのか?
めっちゃ、シンドカッタ。めっちゃしんどかった!
大事なことなのでry
なんなんだ、あの菊水山の後のアップダウン…。いや、別に初めてじゃないんだけどさ。マジで死にかけた。ぜえぜえはあはあ息をつきながら俺はここで昼食をとっておこうと、カバンをあさった。
「情けないなあ…。このくらいの上り坂で」
遅れてきた裕美が言う。
「そっちだって、途中でついてこられなくなって休んでたじゃねーか。」
「ははは。いや、本当しんどかったですね。でも、これで急こう配は終わりですから…あとは、宝塚まで六甲山を文字通り縦走ですよ。」
知ってるか?まだ宝塚まで25キロくらいあるんだぜ?
「どういう事ですか?慎吾君、どこまでたってもいないじゃないですか?」
こちらもしんどそうだが、愛の力が肉体を凌駕している楓さんもやってきた。
「いや、だから待ってるとは言ってない…。君と話せるかは彼の決心し…」
「なんで、引き留めとかなかったんですか!」
それもずっと言っただろうが…。めんどくさい奴しかいないのか…ここは。
昼飯を食べていると、自然と裕美と楓も荷物からそれぞれ持ってきた弁当を取り出している。
「すごいですねえ…。自分で作ったんですか?その弁当…あ、ごめんなさい…」
俺は無視する。母ちゃんが作ってくれたって言ったろうが。察しろよ…。あ、いや、言ってなかったな。楓は楓でえらい量の多い弁当を作ってきている。それ持ってここまで歩くの、えらいしんどかっただろう?
「い…いや…慎吾君に食べて貰えたら…って」
ああ、なるほど…。しかし…凄い量だ。
「良かったら、食べて下さい。お昼には間に合わなかあったみたいだし」
では、遠慮なく…。楓は遠慮なく手を出す俺に少し驚いたが、すぐに笑顔になり自分も食べ始めた。山で食べ物のシェアは遠慮した者負け。食べなければ命に係わるのが山…。って、まあそんなにおおげさな事でもなく単純に腹が減っていた。ありがてえ…。俺は代わりに母ちゃんの卵焼きなんかを楓に勧める。裕美は自分が持ってきたコンビニのサンドイッチを肩身が狭そうに食べながら、楓の弁当をつまんでいた。彼女は泊まりで来てるから、流石に自炊は無理だろう。若干女子力で負けた感じが否めないのか?まあ、アピールできる相手俺だけだし、気にするな。
菊水山を過ぎてから、しばらくこの3人?あれ?もう一人いたっけ?まあいいや。歩いてきた。
話はまず、マムート達との一件から…。俺、あれ、あんまり思い出したくないかったのだけど…。
「まあ、思う所はありましたよ?空気読めよって…」
いや、マジでお前がそれ言うの?菊水山を下っている途中、裕美が俺に言った。
「でも…。一つ気付いた事があります。それに気付いたら、少し怒りが収まりました」
気付いた事って何?と、おそるおそる聞いてみると…。
「田口さんがバカにされた事、怒ってたんですよね…」
田口って誰?はもういいか…。そんな高尚な考えは持ってなかったけどね。
「ちょっとはいい所あるのかな?って」
誰に言ってる?あと、ちょっとは、とはどういう事だ?
「あと、私も少しだけスッとしました!」
ああ、そう…。俺は少し笑っていたかもしれない。で、次は高松慎吾に出会ったと話た楓の反応…。
「何で、引き留めておいてくれなかったんですか?!」
うん。まあ、そうなんだけどさ…。彼も彼で色々考えてたみたいだし。鍋蓋山登ってる最中、散々文句を言われた。
「ほんとうですね?絶対どこかで待っててくれますね?」
た、多分…大丈夫かな?これ、彼に会えなかったら、俺殺されるパターンじゃねーの?でも、彼も悪い奴じゃなかった。きっとどっかで話してくれるだろう。
この後、道が摩耶山の上り坂に差し掛かり、渋滞もなくなった上り坂をひたすら登り続け、疲れから会話が途切れなかったら、もっとつらい責め苦を味わっていただろう。…っていうか、彼女、料理上手いな。弁当のおかず凝っててめっさ旨い。これ、彼結婚する方が絶対いいぞ。
とにかく、先に行った2人を追いかけないと…。もう少し休憩したい所だが、ここまでかな…。とりあえず、出発の用意を始める俺達。
「あー。皆で昼食をー!!」
ああ、田口が追い付いたか…。やはり、こいつにはこのアップダウンはしんどかったようで、この寒い中汗だくである。随分遅れてきたようだ。
「あ、残り良かったらどうぞ。箱、捨てられるんですみませんけど、処分しておいてください。」
楓があわれそうに言った。
「待って下され!拙者まだ着いたばかり…。ようやくペットボトルの水をここで買っただけで…」
「時間が無いんだ。先に行く。」
裕美が笑っている。
「ちなみに、ペットボトルなあ…。そこで炊き出しでホットレモンくれるだろ?あれ…、頼めば空のペットボトル一杯入れてくれるぞ?ここで金払って給水する人はあまりいない」
炊き出しのテントを見て、田口がナヌー!と声を上げた。
そんなこんなで、つかの間の休息を終え、俺達は、全山縦走後半戦へと突入した。
9・三宮と三ノ宮ではないどこか。
いつものネットカフェ、ブンタロー…の入り口前であるが今日は夜ではない。朝だ。
昨日、俺は最近の金曜日には珍しく家に帰ったので、土曜の朝、ここに来ている。服装は以前来ていた登山セットで全身を固めている。靴だけは流石に何年も使ってなかったので、普通の運動用の靴を購入した。なぜ、こんなことになってるかと…
「あ、もう来てる。お待たせしましたかー?」
裕美が嬉しそうにネットカフェから出てくる。彼女もすっかり登山ファッションだ。
はからずとも、2人で登山デート…というのは、流石に盛った表現か。俺も全山縦走に登る事になったので、一回2人で六甲山を歩こうと言う事になった…。そう、なった。
いや、当然、嫌がったが彼女に押し切られただけだからね!ってまた、誰に言い訳してるんだ。俺。
「そんな本格的な服持ってたのか。私服は?」
「あ、ザックに入れてます。少し重いです。朝ごはん、終わってます?そこの角のパン屋さん。もうやってますよ。私お昼も持ってないですから、そこのイートインで食べて、ついでに昼ごはん買って行きたいんですけど、いいですか」
朝、食ったんだが、別に構わないと答える。どうでもいいけど、いいのか?こいつ。側から見たら付き合ってる登山カップルなんだが。
「ちゃんと、登録できましたか?」
「ああ…」
昨日の夜。俺は全山縦走にエントリーした。とうとう申し込んでしまった。今年の全山縦走大会。相当迷って、メール送信のボタンを押したが、こうして準備をひとつずつ進めていくと後悔の念がふつふつと湧いてくる。
解説しておこう。六甲全山縦走大会は普通…新型ウイルスの流行でもない限り、毎年11月に2回行われる。前半の10日前後の日曜日に一回そして、勤労感謝の日(あるいは、その前後の日曜に)に1回…。少々天気が悪くても強行されるみたい。人が多くなり過ぎないように2回に分けるようだ。ちくしょう、どっちも翌日平日になるようにしてやがる。次の日仕事できるかなあ?
当然、中学に参加した時は祖父母に任せていたので、今回参加するにあたり、1から調べなければいけなかった。参加するには、まず様々なマラソンやロングトレイルの大会の参加者を募って管理する民間運営するサイトにユーザー登録しなくてはいけない。そんなものあるんだなと思った。そして…。そのサイトに神戸市が依頼して作られた参加フォーマットがあるのでそれに必要事項を記入して、送信する。
「これで参加ですね。」
「まだ、当選してない。」
そう。これで終了ではない。 実は、参加は抽選だったりする。いっそ、外れてくれたらいいんだけど。
「ああ、大丈夫みたいですよ。あれ、形だけで、最近は100%当選するらしいです。」
抽選と言うと東京マラソン、大阪マラソンみたいな狭き門をイメージしたが、各所で話を聞いていると、近年やはり参加者数は減少傾向にあり最近では形だけの抽選で応募すれば当選は間違いないらしい。
今回参加の手順は全部彼女に聞いた。
「さあ、今日から楽しい修行の始まりですね」
こっちはもう既にウンザリだけどな。
まあ、登山っていうのは本来孤独との闘いで、たまには誰かと登りたい…って思うようになる気持ちは解る。新神戸裏から摩耶山に登るコースは、全山縦走の途中に歩くと、足にかなりダメージが残るキツイ上り坂だが、そこだけ登れと考えれば、休日のハイキングにはちょうどいい、家族向けの登山道になっている。布引の滝も見れるし、掬星台からの眺めも素晴らしい。
「良い天気で良かった…」
彼女がそう言ったーその時…
ネットカフェの扉が開いて奴が出てきた。ジジイだ。
先のこともあってか、すっげえ気まずい。今から家に帰る所だろうか。荷物は一式持っているようだ。ジジイは登山ルックの俺達をひとしきり眺めてそのまま行こうとした。
「おはようございます。今から一緒に六甲山登ってみようって思って」
「そうか」
「良かったら来ますか?」
「やめとく。週末は人が多いからな。気をつけていくといい」
「はーい」
そんな会話をジジイと裕美はしている。ジジイは俺の方は見もせずに去っていく。
「やっぱり、来てくれませんでしたね。いつ誘っても本番で会おうって言われます。」
「一緒に登ったりしてないのか?」
「山だけは…靴とかの買い物は付き合って貰ったりしました」
おう…のろけ?を聞く事になるとは。一緒に山に行かないのは祖母ちゃんの事考えてか?まあ、いいや。
どっちにしろ、俺達2人を見た時のあの祖父の目…。形容しがたい特に何の感想もうかがえないあの目…。なんか、えらい怖く感じた。2人で山に行くことをジジイがどう思ったのかさっぱり分からない。あの年で嫉妬ってのも恥ずかしい…いや、あるかもしれんなあ。
ただ、彼女と山に行く…ていうか、2人で何かするのはこれで最後にしよう…と、俺は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます