第八章 人生最大の難関

H・全山縦走当日10時くらい 菊水山の記憶 




 鵯越の駅を過ぎ、川沿いの道をしばらく進むと遠くに鉄塔を頂く山が見えてくる。本当に遠く小さく見える鉄塔。それが菊水山の頂上だ。多分、縦走に慣れない者なら信じられないだろう。今からあの鉄塔の場所まで歩かなくてはいけないって事が!ついで言うと、そこまで行って縦走はまだ三分の一って所だ。




「あの鉄塔が菊水山の頂上だよ。」


「うそでしょ!もう、4時間歩いてますよ!俺、今の時点で足が…!」




 高松ははるか遠くにある鉄塔を絶望的に見ながら、不安そうに足をさすっている。だから言ったんだ。ジジイは黙々と歩いている。




 ああ…中学の時の俺と同じ反応してる。




「今からなら鵯越ひよどりごえに引き返せば電車で帰れる」


「う…」




 俺は続けた。うん。確かにその通りなんだけど、すでに駅を通過してかなり歩いている。そこまで引き返すには後続の大会参加者に顔を合わす事になる。楓と会う事も辛いだろうし、何よりどう考えてもギブアップして引き返してるのが見られた全員にモロばれ…。さすがに恥ずかしいだろうな。彼には。




「行きます…行きますよ。俺。」




 半ばヤケクソ感は否めないが、高松はそう叫ぶと、俺達の前を歩く。




「そもそも、なぜ全山縦走をしようと思ってるの?」


「う…ま、まあ、社会人になる為の決意表明です…よ…」




 なぜか、高松は黙る。何か他に理由があるのかな?




「まあ、別にいいけど。それならどこの山でもいいんじゃない?」


「六甲山を選んだのは…。昔、親父に連れてこられて見た夜景を見たかったんです。夜中に車で…最高峰の少し下の所から見ました。本当に綺麗で。あれをもう一度見たくて。全山縦走ならちょうど暗くなったタイミングであの辺りを通れるみたいだから」




まあ、車で行くのと、歩いて行くのとで見る景色は同じでも感動が違うのは分かる。




「いや、あそこは縦走のコースから外れてかなりキツイ坂道を登らなきゃ行けないよ?正直今の段階で足がしんどいんじゃ、あそこまで歩いてから寄り道するのは…」


「やっぱり無理でしょうか?」


「いいだろうが!本人が行きたいんだから行かせてやれば!」




ジジイが割って入る。




「いや、別に止める気はない」


「と、とにかく行きましょう」




 言うと、高松はあからさまに無理やりテンションを上げて歩き出した。


 おう、良いね…無謀な冒険を…フ、若さの特権ってやつかな?


 …これの元ネタ解るひといる?




「若さ故、経験と危機感の無さがなんとか足を進める…無謀な過ちだと思うか?」




 彼の背中を見ながらジジイが俺に言った。




「そうでなければ、何だと?」


「いや、行けばわかるさ。しかし、俺からみたらお前だって充分…羨ましいくらい若いんだがな」




 俺は今のこの俺を…、こんな状態の俺をバカにされるのが死ぬほど嫌だ。だから、常に理論武装して、バカにしてくる相手には軽く応酬して、ひたすら逃げる…ような卑怯で口汚い大人になった。


 だが、羨ましいと思われるのはもっと死にたくなる。


 変わってくれよ…もう、ジジイ相手に怒る気力も失せた。




 中一の時、縦走大会でギブアップしてから…。社会人しばらくの間まで…俺は、大きな山に登山に行く前は必ずこの縦走路(前半)を足慣らしとして歩いた。この菊水山にも何度か登ったが、本当に毎回、冬でも汗だくになり、登り切るころには足がパンパンになり、来るんじゃなかったと死ぬほど後悔する…実際、心が折れて先の鵯越で帰った事も一回…嘘。何回かある。




 そして、俺達は菊水山の入り口に差し掛かる。狭いスペースに木のベンチがいくつか置かれている。その横からさっそく鬼のように急な階段が………あれ?


 見ると、信じられない数の人が階段で渋滞している。急な階段だが、上の方まで人、人、人だ。まあ、あの人数がこの坂を上るなら…そうなるのか?中一の時、大会でもこんなんだったか?全く覚えていないけど、どうやって菊水山を登ってたんだろう。俺。




「行くぞ」




 ジジイがそういって渋滞に並んだ。






渋滞が続く…。


さすがにこの寄せ集めの3人に会話が無くなってきた。




「なかなか進みませんね。」


「退屈だなあ…。高松君。何か面白い話してよ」


「ええ!僕、この3人で、そういうポジションですか?」




ジジイの無茶ブリに驚く高松。




「そうだ。折角だから聞きたいな。彼女の好きな所。」


「いやいやいやいや、それ一番今話せないやつ!」


「じゃあ…彼女の何が嫌なのか…?は?」




高松が黙る。ジジイがため息をつく




「お前…。人が話を聞きやすい流れを生み出したのに、いきなり核心に踏み込んでドン引きされてどうする?本当に営業やっとったのか?」


「うるせえよ。単刀直入が俺のスタンスなの!」


「それで、異動させられてちゃ、世話無いな…」


「うるせ…え?っていうか、高松君、ドン引きしてたの?マジに」


「いえ…そんなには…」




 そんなに…でもドン引きはしたのか。そうか…。




「えっと、お孫さんの方の…」


「ああ、木下だ。木下真治だよ。」


「シンジさんは、楓からどこまで聞いてるんですか?僕の事」




 おお、苗字を強調したのに、いきなり名前かよ…。友達と勘違いしちまうじゃねえか(BY比企谷)




「さっき言った通りだ。突然別れを切り出されて…とにかく理由を知りたいって感じだったな。」


「彼女の事は好きです。でも…。最終的に結婚できないなら、いたずらに付き合いを続ける事ってダメなんじゃないかな…って。」




 ああ…やっぱり、だいたい皆が想像した理由で合ってた…。




「何を言ってるんだ君…」




 ジジイが突然口をはさむ。




「この歳で結婚歴無しのこいつにそんな相談してどうする!?」


「俺をディスるの止めて!?」




 あ、高松君やっぱり引いてる。目が合うと高松は申し訳なさそうにそれを反らした。同情はやめて。ほんと




「じゃあ、経験豊富なアンタが言ってやりなよ。夢を追いかける為に彼女との付き合い…最終的に結婚はどうするべきか…」


「知らん」


「ええ!?」




 俺と高松が同時に声を上げる。




「話を聞いただけでアドバイスできる人間なんておらんよ。正解も人によってさまざまだ。俺が彼女の祖父か…まあ、親なら、即刻別れて欲しいだろうな。だが、そうでない人間は…君達の結婚なんて、どうでもいい事このうえない。」




 言っちゃったよ。この人。確かに世間、世の中、他人ってのは自分が思ってる以上に自分に無関心なものだ。寂しいけどな




「どうすべきか?じゃなくお祖父さんなら…どうしますか?」




 あ、とうとう俺を飛び越えて相談し始めた。




「両方やりゃあいい。夢もつかんで彼女とも幸せな結婚をする。それで解決だ。」


「そう…ですよね。」


「いや、まてまてまて。それで解決するなら誰もこんなに悩まないだろうよ。」


「それが出来るかどうか?って話じゃないのか?出来ないならスッパリ別れりゃいい。それだけの話を皆で寄ってたかってややこしくしやがって」


「いや、もし役者として食っていけなかったら?彼女と離婚するような何かがあったら?」


「そん時は、そん時だがシンジ…。なぜ、ダメだって最初から決めつける?やって見なくちゃわからんだろ」


「いや、それはそうだが…」


「最初からそんなんだから、何もできないんじゃないのか?」


「ちょっと待て、なんでそこで俺の人生のダメだしになる?」


「この青年がほっとくと、お前みたいになるのでは、と心配したまでよ」


「いいかげんにしろよ…、80代の居候が。」




 なんか、もう、初めてネカフェで会ったあの日以来、名物になってきたな。この祖父孫闘争劇。




「待った待った!せめて、今は僕の話でお願いします。」


「ふん…」




 ジジイはそのまま黙り込んだ。




「と、とにかく…彼女は少なくとも君と話をしたがってる。未だ別れる時じゃない…と、思ってるんじゃないかな?菊水山の上で少し彼女を待ってたらいい。きっとすぐ追い付く。」


「はい…いや、でも…」




 いいねえ。悩める若い人って。




  その時ーーー


  ん?……あれ?……




 ノロノロ、ダラダラ登っていた道が急に開けて、大きな鉄塔が目の前に現れる。そして「菊水山」の文字が書かれた大きな石碑。ここ…菊水山の頂上だ…。着いてしまった。話してる間に…。


 あれ?あんまり辛くない。


 いや、なんで?いつももっと苦労して登ってたはずだ。足がパンパンで汗がダクダクで…。


 信じられないが、ちゃんとたどりついていた。


 俺は展望台に移動して今まで来た道のりを眺める。はるか遠くに明石海峡大橋…その手前にスタート地点の須磨浦が見える。無駄話ばっかりだったきもするが、ちゃんとここまで歩いてきたんだ。




「渋滞でゆっくりと登ったから、あまり辛くなかったんじゃないか?」




 すこし驚いて茫然としてると、ジジイが急に声をかけてきた。




「お前は、いつも一人で…、そして、止まらないようにとか、一定のペースを守って…とか、下らん事考えて登ってたから、勝手にしんどい思いをしてたんだ。ゆっくりと、でも着実に進んでれば、普通に登れたんだよ。この山は。」




 実際、そうだったから言い返せない…。勝手に怖がってビビッて他の人にも「この山怖いぞー」とか、いらない風評を広めてた。めっちゃ恥ずかしい俺。




「勝手に、相手を妄想して、それに怯えて、本来の力を出す前に逃げ出す…。人生において一番のリスクだと思わんか?リスクを怖がり過ぎるってのは」




 なんか、どっかで聞いた事ある名言ひっぱってきたな。




「お互い、いらない話をし過ぎたな。先に行くぞ。俺に用があるなら、あとで追い付いて来い」




 ジジイはそういうと休むこともせずに先を行こうとした。




「おい、待て…」




 と、追おうとしたが、ここで縦走大会は第一チェックポイント通過のスタンプを参加表に押してもらわなくてはいけない。俺が少し休んでいる間にジジイはスタンプを押していたようだ。俺はスタンプを貰うのに参加者の列に並ばなくては行けなかった。




 まあ、あの調子なら、体は大丈夫だろう…。果たして、また追い付けるか…その時、奴とどのくらい話が出来るのか…。今は行かせるしかない。




「僕は結構しんどかったですよ。この山の登り…で、あの…色々…ありがとうございました…。僕も、先に行きます」




 ジジイに遅れる事少々…。俺より早く列に並んでいた高松も行こうとする。




「少し…自分の考えを整理して…。そのうえで、彼女と話をしようと思います。この縦走中に話せるかはわかりません」


「そうか、まあ、色々考えながら歩くのもいいかもな。何もしないで、ただ歩くには全山縦走は長すぎる」




 高松は少し笑うと、次の鍋蓋山方面の下り坂へと歩を進めていった。


 さて、俺も…




「シンジ殿ー!!」




 突然、男に抱き着かれて体がびくっとなる。


 田口…!しまった。追い付かれたか。




「いやー。先に行ってしまったので探しましたぞ。」


「わかった。とりあえず離せ!」


「だめですぞ。あったばかりの女子2人との旅がこのヲタ風情にどれだけ苦痛であったか。もう、離しませぬぞ!」




 ああ、それは悪かったな。でも、こいつがいるってことは…




「うーん。BLは嫌いじゃ無いけど、この二人は無いわー」




やっぱりいたか…。




「信じられないなあ…。追い付けなかったら、本当に置いて行くつもりだったでしょ?」




 随分、懐かしい気がする。裕美と楓が立っていた。




「おいていって、すみませんでした。」


「うわ!気持ち悪!?何かあったの?」




 裕美が、驚く…というより若干心配した風に聞いてきた。




「ああ、色々と…」




 状況を色々と整理しないと…。また、このメンツで歩くのか。






8・三宮と三ノ宮ではないどこか






 満月のアークシティを俺…まあ、正確にはカイトだが、歩いていた。ちくしょう。もうゲームの中にしか行くところが無いのか…俺は…。今思えば、このアークシティって震災後の神戸に似てる…いや、そんな気がするだけか。俺は相変わらず、ゲーム画面を見つめている。そして、見つけた。




「エレンさん。お疲れ様です」


「何で、敬語なんですかww」




 今日に限ってはいてくれてよかった。




「あれ?今日、来てましたっけ?ブンタロー」


「いや、家でログインしてる…。さすがにあの後はなあ…」


「wwwそうですね」




 相変わらずwwwにイラっとする。




「相変わらずいるの?ウチの年よりは」


「いましたよ。呼んできますか?」


「やめれ。今日はクエストやりに来た訳でも無い。」


「ほう。じゃあ、なんで?」




 アンタと話に来たんですよ。言わせんなよ…。どうすればいいのか、わからなくてさ。




「うれしいなあ。私に会いに来てくれたんですか?」




 はいはい、そうですよ。




「でもなあ。ひどくないですか?今まで、お祖父さんの事ばっかで私の事全然興味なかったでしょ?」




 実際、興味なかったんだ。ごめんね。




「一度も聞かなかったじゃないですか。私が何者なのか?とか、なんで六甲山登ってるんですか?とか。だめですよ。女の子に興味持たないの。ナンパとか成功したことないでしょ?」


「あなた、何者なんですか?なんで六甲山のぼってるんですか?」


「やっぱ、最低ですね。あなたwwww」




 今のwwwは、あって良かったと思う。




「ウチのジジイがネットカフェに籠るのは…なんでだと思う?」


「うーん。わからないな。」


「阪神大震災について…。あれから何か聞いた?」


「ごめんなさい。核心はあんまり…。でも、関係あるんじゃないかな…って、もう私の勘ですけどね。でも、原因が20年以上前の話だとすれば、なんで今更…って疑問は残ります。」


「確かに…」




 そう、ジジイは婆ちゃんの死をしっかり乗り越えた。




「何か…思い出すキッカケがあったのかもしれませんね。」




 キッカケなあ。ジジイはどのくらい前から、ネットカフェに籠る事を始めたのか?その頃の事を思い出せば何か思い出せる…のか?もう、解らん。




「…アンタの事…やっぱ教えて貰っていいかな?アンタは何で…全山縦走の大会に出ようとしてるの?」


「どうしたんですか?急に」


「いや…ジジイが急に大会に出るって言いだした方の事は…何か関係があるのかな?って」


「…うーん。」


「もともと、登山や長距離系のスポーツが好きって訳でもなかったんだろ?神戸住まいでも無いみたいだし。なんで?」


「えーっと」




 パソコンの画面がしばらく動かない




「あ、また、取り調べみたいだったか。ごめんなさい」


「あ、いえ、別にいいんですけど…ね。それ説明すると、今まで聞かずにいてくれて事を全部話さないといけないから」




 聞かずにいてくれた?この時、彼女はそう言った。


 まったく彼女に気を使ってた気はなかったのだけど…。聞かれたく無い事もあるって事か?まあ、いいのだけど。




「そっか…じゃあ、もう聞かないっす。」


「あの…良かったら、一緒に参加しませんか?全山縦走」


「え?俺が?」




 突然の提案に俺は焦る。




「お祖父さんも、見てあげられるし、そういう場所なら話せる事もあるかもしれない。」




 さもありなん。


 この時、俺はまだ、全山縦走に参加する気なんて毛ほども無かった。


 でも、実際もうジジイと話せるチャンスはそれしかないな…と思ったのも事実だ。

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