第六章 神戸で二十余年
F・高取山越え 全山縦走当日 08時07分頃
須磨アルプスを越え、道はまた住宅地にはいる。渋滞は完全にほどけて、すいすい歩ける。
裕美も楓も…あともう一人名前忘れたあのオタクも…。まだ俺には追い付いて来ていない。
住宅地を歩きながら、俺はこの先の行程を考える。
妙法寺付近通過が2時間30分弱…って所。渋滞で止まってた時間を考えれば、いつもより少し遅いくらいのペースで歩けてる。まあ、良い感じだろう。
そこからさらに少し歩くと道は高取山の山道へと入る。
まず、この高取山の登りがめちゃくちゃキツイ。さらに、そこから容赦なく道を下り、その後に縦走最大の難関、菊水山、鍋蓋山、そして摩耶山への登り…。容赦なく急な高低差が続く。ついでに言っておくと、摩耶山を登り切ってようやく全山縦走はようやく半分ちょいってところ。ぶっつけ本番で歩き出したような人間は容赦なくこの辺りで心を折られる。
これでも、今回の縦走は結構練習を重ねて、全パート一通り歩いている。ある程度しんどいのが解ってるからそう簡単に心は折れないが、やっぱり憂鬱である。
そんな憂鬱な思いを胸に…俺は細い住宅地の路地のような場所を抜け、高取山の山道の入り口にさしかかる。
公園の隅にひっそりとある登山道入り口。
イノシシに注意!餌を与えない。むやみに追い払おうとしない!!
そう書かれた大きな看板が目印だ。
山が近い神戸の街には灘や東灘の結構な住宅地にもイノシシが出る。町の人も慣れたもので、こっちから手を出さなきゃ何もしないのが解ってるから、見てもそんなに気にしない。(まあ、何年かに一回、人が噛まれたらりする事はある)大き目の野良犬、野良猫くらいの感覚で見られているようだ。まあ、最近は野良犬なんて見なくなったがな。
他の縦走者は前にも後ろにも見えない。つかの間の一人。俺はイノシシの看板をじっと見つめた。
元々、イノシシが多かったのだとは思うが町中に出没するようになったのは、ちゃんと原因がある。
そう、あの阪神大震災の時だ…。
あの時、一時的にだが山と街の境目が殆どなくなっていた。結構な数のイノシシが生ごみを漁りに山から出てきてたのだ。
それも、もう二十数年も前の話。
阪神大震災か…。
俺は再び山道を歩いた。道は結構急こう配、日も高くなってきた。歩いているとさっきまでの寒さが嘘のように汗が出てくる。おれはたびたび立ち止まったり後から来る別の縦走者に追い抜かれたりしながら、坂道を登る。しんどい…。大会開始から歩き始めて初めてそう思った。
阪神大震災なあ…。イノシシのせいで、忘れようとしても浮かんでくる。
思い出すのも嫌な思い出だが、今回のジジイの一件では避けて通れない事実だ。
高取山の山頂…、ここにはお稲荷さんのお社が立っている。長田の町を見下ろせるかなりの絶景ポイントだ。大震災の時…、灘区住まいの俺は流石にここには来ていないが、こっから見える景色は殆ど焼け野原だっただろう。長田の古い商店街はほぼ全焼して、それこそ戦後の空襲跡みたいになっていた。昔の話とはいえ、本当によくここまで復興したものだ。
今日は天気もいい。あの景色を見ていきたいが…縦走路から外れると結構参道の階段を登らなくてはいけないので、体力的に自信が無い俺は鳥居に一礼だけしてそこを通り過ぎた。
その先…、今度は少し下った所に空き地と公衆トイレがあり、多くの縦走者が列を作っていた。先に行ってた人と後を歩いた人が行きかうポイントだ。もよおしては無いが、この後しばらくトイレが無いので立ち寄っておくことにした。
トイレをすませて出てくる。俺はふと足を止めた。
かなりの急こう配を上がったせいで、ばてて座り込んでる人が何人かいる。
その中に、奴がいた…。
………楓の元カレ……
いや、そっちかい!!
と、思わず脳内ツッコミをしてしまう事態だが、さっき裕美からラインで送られてきた写真の顔、童顔色白だが舞台俳優だからだろうか、体はがっしりして見える。名前は…忘れたが、その彼が疲れた形相で座り込んでいた。
なんだ、登山趣味って聞いたが随分序盤でばててるじゃないか。
っていうか、ここはウチのジジイが来る所ちゃうんか?まあ、でもこれはこれで…とか、色々考えながら、どうしよう、まず裕美にラインか?その男になんと話しかけるか?とか悩んでいた…。
その時ーーー。
「またせたな。そこの茶屋で売っとったからかってきたぞ…」
その彼に別のある老人が話しかける。
「すみません」
「気にするな、しかし、水分を飲み切ってしまうとは君もまだまだだな」
「いや、返す言葉もーーーー」
ーーーーー。
会話の途中その老人はふと、こちらを向いた。
「おお、やっぱり来たのか」
やっぱりじゃねえよ。どんだけ、探したか…。このクソジジイ。
6.三ノ宮と三ノ宮ではないどこか…
歩いていると、いつもの通学路が瓦礫で埋まっていた。
少し坂の上に登ると町の至る所から火災の煙が上がっているのが解る。
遠くから消防車や救急車のサイレンが響いてくるが、ある所は倒壊した建物に埋もれ、またある所は陥没しひび割れている道路を目的の場所までたどり着くことはかなり困難だろう。当然、信号も全部止まっている。っていうか、普通の形で建ってる信号の方が少ないんじゃないか?
どこかの住宅から漏れたガスの匂いが漂ってくる。ガスの匂いを感じたらすぐに離れろって親父が言ってた。ここもいつ火の海になるか解らないんだ。
数分おきに地面が余震で揺れる…。普段震度3くらいの地震が一回あればでも次の日学校で大騒ぎするのに、今は震度4くらいの揺れも普通におこる。それも何十回もだ。何度も続けて地震を経験していると、地震が起きる前はゴゴゴゴ…っていう、地鳴りが響いているのだと知る。
建物やコンクリート塀から無意識のうちに距離をとって俺は歩いた。
地震が起きたのは朝6時前…。ウチのマンションは壁に亀裂が入ってはいたが、建物はちゃんと残っていたので家の中に散乱している家具だのガラスの破片などに気を付け、形の変わってしまったドアを蹴破れば出てくることが出来た。
家族の安全を確保したら、母がすぐ近所に住んでいた祖父母の様子が気になると言うので、家族全員で行ってみた。
ジジイの家は二階建ての一軒屋。家は大きく傾いて一階の部分がペチャンコに潰れていた。親父が「あかん!」って叫んで、大慌てで家の前に走っていった。
ジジイは家の前で一人茫然と佇んでいた。母がそれを見つけ「良かった。二人ともいつも2階で寝てたから大丈夫だったのね」と、言ったところまで覚えている。ジジイはそれになんて答えたっけ?
茫然と、不気味なほど落ち着いて、ジジイはつぶやいた。昨日祖母は階段で足を滑らせ軽い捻挫をしていたから、一人で一階に寝ていたらしい。ジジイは二階の窓から家を出たが、さっきからどれだけ呼んでも祖母から返事が無いそうだ。
家族全員顔が真っ青になった。親父は兄貴と2人で家の中に入ってみるといった。母にはどうにかして電話を探して消防と救急に電話するように言い(当時はスマホは勿論、ネット、携帯、ポケベルすら無かった。使えても繋がりはしなかったろうが)、俺には近所の人で来られる人を集めてきてくれと言った。
俺はどこに行ったらいいかもわからず歩き回った。こんな時に来てくれる人がいるのだろうか。
でも行く当てもなくウロウロしていると、たまたま、中学の同じクラスの友人と出会った。事情を話すと彼のお父さんが人を集めて駆けつけてくれて、大勢でばあちゃんの救助活動が始まった。大人は頼りになる…と、子供心に思った。
ーーーーー
話の核心でない部分の説明が思わず話が長くなったので、俺は思わず我に返る。
「で、まあ、あとは予想通り。なんとか、皆で瓦礫を掘り出したけど、既にばあちゃんはこと切れててさ」
ブンタローの談話室、裕美は俺の話を神妙に聞いていた。
ま、ばあちゃんが地震の時に亡くなったって事だけ言えば良かったんだけど。
「なんて言っていいのか…」
裕美は俯いた。
まあ、そうだろうな。
ばあちゃんの遺体を葬れたのは、また随分時間がかかった後だった。なんせ、何千人も一日で亡くなったんだ。葬式なんて出来る訳がない。
ジジイはどんな気持ちで過ごしていたのやら。
そして、ジジイは山に登らなくなった。まあ、山登りの相棒的ポジションだった祖母が居なくなったからだけど。ソロ登山も俺を連れて登る六甲山も。
俺もすぐ高校生になり、祖父と2人で山に登るなんて逆立ちしても出来ない年齢になって。いつしか2人で山に登る事は無くなっていた…。
ばあちゃんの遺体を葬ったら、ジジイは当時家族みんなで避難していた小学校避難所のリーダーみたいなポジションに着き、近所の人をまとめて町の復興にボランティアとして必死に取り組んだ。当時の御近所さんからは、復興の先駆者みたいに言われて英雄扱いされ、なんかテレビの取材が来た事もあったな。少なくとも地震の後、ジジイは、立ち直って見えた。しょげた顔をしていては祖母に顔向けが出来ない…一度だけそう言ってたな。少なくとも前向きに残りの人生を歩むことを命題にしていた…ような気はする。
少なくとも、このネットカフェに籠るっていう事の原因がそのことに…20年も前のその事をいまさら引っ張りだしてきてまでやる行為なのか?ってのは疑問を感じる。ま、本人から聞かなきゃ本当の所は分からないんだけど。
「お祖父さん、今日もここ…来てますよね」
裕美の問いに俺はうなづく。
「少し話してきます。今日はこれで」
裕美はその場を去っていった。
俺はこの時頭が思い出した阪神大震災の頃の記憶でいっぱいであまり気にはしていなかったが…。
二人から友人以上の関係を感じた…ってのは、この時が初めてだったかもしれない。どうもその辺、決して恋愛経験が豊富とは言えない男は疎くていかん。
恋愛?かは分からんがとにかく、俺ではわかりえない2人の世界が存在しているのを俺はその時感じたのだった。
いったいあの後、2人でどんな話をしたのか…。今となっては知るすべもない。
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