第36話 ケッチャク

「……豊田ぁっ」


 殺してもいないのに終わったつもりになって眠りこけてしまった自分が憎たらしい。


 やはりきちんと最後までやりきらなければならなかったのだ。


 私は今度こそと決意を固め、父親である宗象しょうぞうの部屋へと足を向ける。


 目的は、ガンロッカーに眠っていたもう一丁の猟銃だ。


 まだアレが残っていたとするのなら、心強い味方になってくれだろう。


 私は急いでで廊下を進み、ほぼ全力疾走と変わらない速度で部屋の中へと飛び込んだ。


 部屋には宗象と奈緒の大きく損壊した死体が転がっていたが、それは無視して目的の物が収められている場所へと目線を向けた。


「……あるんだ」


 もし豊田が動ける状態にあったのなら、猟銃を確保しておくだろうから、正直無いのではないかと覚悟していたのだが、ガンロッカーには私の記憶と寸分違わない状態で猟銃が鎮座していた。


 私は猟銃を手に取ると、なにかしら罠が無いか確認を始める。


 レバーを引いてふたつに折り、銃身になにか詰められていないか、その状態で引き金を引いてみて誤作動を起こさないかなど確かめてみたのだが、とりあえず何か仕掛けられているようには感じなかった。


 一応、念のために弾丸を装填してベッドに向けて射撃をしてみたが、やはり正常に動作して、ベッドに大きな穴が空いただけだった。


 ……まあ、予想よりもかなり大きな反動で、銃床を当てていた肩口が骨折したかと勘違いするほど痛かったのだが。


「つっー……私がアクション映画のヒロインになれそうにないってことはよく分かった」


 せいぜい撃てて3、4発だろう。


 それ以上はとてもじゃないが痛くて撃てそうにない。


 暴れまわる猟銃を押さえつけるのにも酷く体力を使う。


 改めて、バカスカ撃ちまくっていた豊田の膂力りょりょくは相当なものだったのだと再認識した。


「猟銃を私が持ってても、絶対的有利にはならないってことね……」


 なんとも気が重い事実を、棚から取り出した弾丸と共にポケットへと突っ込んだのだった。


 そうして準備を終えた私は、部屋の外に出る。


 去り際に一顧だけして、奈緒の遺体に目礼すると、私は走り出した。






「たしかこっちから……」


 豊田の声は、車同士が派手に衝突した地点から聞こえて来たはずだ。


 私は玄関から出て、曲がり角を警戒しながら大きく回りこみ――、


「豊田、あなた……」


 私が見捨てた時とまったく変わらない姿勢で横たわっている豊田を発見した。


「ああ、美亜ちゃん来てくれたんだねぇ。嬉しいよぉ」


 調子こそいつもと変わらない気色の悪いものだったが、彼の体は違う。


 1ミリたりとも自分の力で動かすことが出来ないらしく、私の方に顔を向けることすらしてこなかった。


「あなたが何かしたわけじゃないと思っていいのね?」


「うんうん、僕は無理だからねぇ」


 私は会話をしながら豊田の視界に映るように移動する。


「ならどうして水内さんが居ないの?」


 私が銃口を豊田の眼前に突きつけると、豊田は「おおこわい」と口先だけでおどけてみせる。


「どうしてかは知らないけど、行った場所なら検討がつくってだけだよ」


「だったらそれを教えて」


 私が強い語気で脅すと、豊田は片目を閉じて反対側の眉をあげ、更に唇をへの字口に曲げる。


 笑みでもない、怒りでもない、悲しみでもない。


 ひとつだけではなく、それ以外も含めた様々な感情をぜにした、なんとも言い難い不思議な表情だった。


「……条件があるんだぁ」


「私があなたにあげられるのはこれだけだけど?」


 銃口を額に押し当てて、脅迫の度合いを更に上げたのだが……。


「それが欲しいんだよねぇ……」


 首から下が一切動かなくなってしまった。


 その上、私たちが逃げられ儀式とやらができなくなってしまったら、黒蓮会なるマフィアからどんな目に合わされるのか想像するだけでも恐ろしい。


 おわりこそ、今の豊田が真に望んでいるものだった。


「……そう、なんだ」


 襲い掛かってくる相手を激情のままに殺すことはできても、無抵抗に転がる相手を殺すのはいささか以上に気が引ける。


 それにもうひとつ、別の理由からも豊田の頭に鉛玉を撃ちこむのがためらわれた。


「死にたいって、思ったんだ」


 生き地獄。


 未来がないことへの閉塞感へいそくかん


 誰からも見捨てられた孤独が身を引き裂くほど痛いことを、私はよく知っている。


「でも、ずいぶん虫がいいと思わない? あなたは人を殺して、人を食って、利用した」


 奈緒さんをいい様に支配した。


 水内翠をはずかしめた。


 名前も知らない人を嗤いながら殺した。


 きっと、何人もの人々の命をもてあそんで来たのだ。


 だというのに自分の番が来たら、殺してくれ。


 なんて都合がいいのだろう。


 なんて自分勝手なのだろう。


 それが私は、


「だから私は……」


 私は私の感情に従って、引き金に指をかける。


 決して豊田が望んだからではない。


「私は私のためにあなたを殺すの。それ以外に理由はない」


 私がそう言い切ると、豊田の表情がどんどんほどけていき、やがて笑みの形をとった。


「ふふっあはぁ……。やっぱり美亜ちゃんはいいねぇ」


「あなたに名前で呼ばれたくない」


「そう言わないでよぉ。いいじゃないかぁ、君と僕の仲だろぉ?」


「私はあなたのことを好ましいと思ったことは一度もないの。はっきり言って迷惑」


 そもそものんきに会話などしている時間はない。


 猟銃を豊田の額に押し付けて、もう一度水内の行き先を尋ねた。


「あの男は蔵に行ったよぉ」


「蔵?」


「そ、玄関の正面に立って左にある蔵」


 なんでそんなところに、という疑問は、続く豊田の言葉で氷解した。


「翔かけるのヤツを助けるつもりだったんだって?」


「――っ! そう、そういうこと」


 奈緒が自分の息子である翔を助けて欲しいと望んでいたのは水内も知っている。


 私が眠っている間に逃げ出す準備をしてくれていたのだから、翔のことにも思い至ったのだろう。


 しかし、それならば新しい疑問が生まれる。


 なぜ、子どもを助けに行っただけの水内が、姿を消すほどのトラブルに巻き込まれたのか。


 蔵と家とは目と鼻の先である。


 私が水内の名前を叫んでいたのが聞こえないはずはなかった。


「じゃあなんで水内さんは帰ってこないの? あなただったらその理由ぐらい想像つくでしょ。教えなさい」


 途端、豊田の瞳に悪意が宿り、唇の端が吊り上がる。


 豊田はクククッと忍び笑いを漏らした後、


「まあ、バッカだよねぇ」


 心底愉しいとばかりに汚らわしい言葉を吐きだした。


「おいおい、美亜ちゃん。ペットって言ったのは君だろ? そうだよ、ペットだよ。いや、ペット以下かもしれないけどさぁ」


「は? アンタ、何を言って――」


 途中で、気付く。


 私がペットだと揶揄したのは――。


「……まさか……」


 思わず息を呑む。


 思い至った結論は、どうしても信じたくなくて、受け入れられなかった。


 頭を振って、最悪の想像を脳から追い出そうと躍起になる。


 でも、出来ない。


 豊田が浮かべている意地の悪い笑みが、私の予想を肯定していた。


「親父のタネか僕のタネか分からないんだけどさぁ、先祖返りしちゃったんだよねぇ」


「もういいから口を閉じて」


「翔はミリ・ニグリの血が色濃く出てねぇ。人間としては生きられなかったんだよぉ」


「口を閉じろって言ったでしょ!」


「それなのに奈緒のヤツは自分の息子だからって嬉しそうに世話を続けてさぁ。人間を捌くと、好物だからって必ずきもを持っていって食わ――」


「うるさいっ!!」


 聞きたくなかった。


 奈緒がそれだけ息子に執着したのは、きっと自分を傷つける敵だらけのこの世界の中で、唯一無条件で味方になってくれる存在だったからだ。


 例え翔が化け物――ミリ・ニグリであったとしても、彼女にとってはお腹を痛めてまで産んだ、可愛らしい子どもだったのだ。


 奈緒が責められるべき要素はない。


 本当に責められるべきは、そんな状況にまで追い詰めた、豊田たちだ。


「……アイツは僕と同じで絶対人として生きられないよぉ」


「うる、さいっ」


「美亜ちゃんはぁ、どんな答えを出すのかなぁ。見られなくて残念だよぉ」


 キシシ、と意地の悪い笑みをこぼしている豊田に、銃口を押し付ける。


 彼の瞳に映る私の顔は、完全な無だった。


「さよなら」


 私はそんな私を見つめつつ、引き金を引いた。

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