第33話 サイダイカリョク

「まさ、か……」


 私の足元にあるものの正体に思い至ったのか、豊田があからさまにうろたえる。


 それは、私にとって致命的な代物だったが、豊田にとっては輪をかけて致命的な代物だった。


「そ、そのまさか。そんなに難しいものでもないしね、発火装置なんて」


「や、やめろぉっ」


 なにせ豊田は猟銃を手にしており、火薬がたっぷりつまった弾薬を、ポケットいっぱいに詰め込んでいる。


 例え私が火傷で済むような状況だったとしても、彼は即死してしまう。


 なにより豊田と私では、自身の命に対する価値観が違った。


 私は、いくら死んでも構わないのだ。


「それじゃあ……」


 私が笑みを深くすればするほど、豊田の顔には怯えが生じる。


 私にはあまり理解できない感情だが、死に対して恐怖を抱いているのだろう。


 なんとも自分勝手なことだ。


 自分は好きに人の命を弄び、喰らって来たというのに、いざ自分の番がきたらこれなのだから。


 まあ、人間だれしもそんなものなのだろう。


「一緒に死のうよ、ね?」


「嫌に決まってるだろぉっ」


 豊田が身をひるがえして遁走とんそうを始める。


 ――ああ、私はそれを望んでいたのに。


 ごくろうさま。


「そう」


 軽く頷いてから、私は豊田とは逆方向へと走り出す。


 必然的に、タコ糸は私の足に引っかかってぷつんと途切れて――何も起きなかった。


 当たり前だ。


 タコ糸は水内がセロハンテープで壁に貼ってあるだけなのだから。


 確かに水内はガソリンを各所に仕掛けて回った。


 だが出来たのはそこまで。


 発火装置までは作ることが出来なかった。


 つまり私がやったのは、ただのブラフ。


 豊田はああ見えて頭が回る男だからこそ、仕掛けの可能性に思い当たると踏んでの行動だ。


 結果は大成功。


 おかげで私は撃たれることなく逃走することが出来た。


「おバカさんっ」


 私は嘲笑を残して廊下の角を曲がり、すぐそばの部屋へとふすまを開けて飛び込んだ。


 後ろ手にふすまを閉めつつ部屋の中を見回す。


 部屋は縦長の和室で、床には一面タタミが敷かれ、外に面した大きな窓ガラスからは駐車場が見えている。


 そして、駐車場にはエンジンがかけっぱなしになった状態で、運転席のドアが開け放たれた軽のトラックが一台、まっていた。


 二台分のエンジン音が聞こえて来たのは、このためだった。


 私がすぐに飛び乗って逃げられるようにと、わざわざ水内がエンジンを始動してくれていたのだ。


「窓も開けておいてって言っておけばよかった……」


 一秒だって時間が惜しいのが現状だ。


 現にふすまの向こうでは、なにやら言葉になっていない怒号が響いている。


 自分の間抜けさに気付いた豊田が怒りをあらわにしているのだろう。


 私は部屋に飾られていた木彫りのクマの置物を手に取ると、窓ガラスへ向けて放り投げる。


 ガラスは粉々に砕け散りながら断末魔の叫び声を周囲にとどろかせた。


 そうして外に出ると意識させておいて、私は足音を殺して襖の脇へと移動する。


 先ほどは読まれてしまったが、今回は――。


「逃がすわけないだろぉ!」


 ――来た。


 頭に血が上っているのと、逃げられるかもしれないことで、焦りが先に立っているのだろう。


 乱暴に襖を開け、大きな足音を立てながら入ってきて、無防備な横顔を晒す。


 その横っ面に、水内から貰い、今の今まで温存していた虎の子のスタンガンを押し付ける。


「づぅああぁっ!!」


 効果は覿面てきめんに表れた。


 豊田は奇声をあげると、スタンガンと接触した箇所を片手で覆い、その場に這いつくばって悶絶する。


「痛かったら遠慮せずに気絶してもいいんだけど」


「――――っ」


 煽ったところで私に反応する余裕もないほど激痛に苛まれているらしい。


 ただ、猟銃は左手でしっかりと握りしめているため、外界の状況はしっかりと理解できているのだろう。


 今、手元にあの牛刀でもあればとどめを刺せたのだろうけれど、残念ながらそれは不可能だった。


 私は、先ほどの一撃で完全に反応しなくなったペン型のスタンガンをその場に捨てると、窓を開けて外に出る。


「ありがとっ」


 水内への礼を唇に乗せつつ、軽トラに走り寄った。


 トラックは、待ち望んでいたと言わんばかりにブルブルとうなり声をあげ、体を細かく震わせている。


 頭から運転席に入ると、肘がハンドルの中心に当たってプァーンと鬨の声をあげた。


「えっと、マニュアルか……」


 私はオートマの免許しか持っていないため、いささか運転に不安が残る。


 それ以前に無免許運転なのだが、緊急事態であるし、今日一日で色んな法を犯しているため、今更に過ぎた。


 ドアを閉じ、ミラーで周囲を確認しながらシートベルトを締めていると、バックミラーに鬼のような形相をした豊田が映る。


 彼はそのまま猟銃を構え――。


「やばっ」


 私が慌てて体を沈めると同時、後方のガラスが音を立てて割れ、助手席のシートが不自然に揺れた。


「待てよぉっ!!」


 なんてセンスのない文句だと脳内で悪態をつきながら、サイドブレーキを下ろし、シフトレバーに手をかける。


「今ならまだ許してあげるからさぁ!」


「アンタに許してもらうつもりは……」


 左足でクラッチペダルを強く踏んづけ、右足でアクセルを踏み込む。


 エンジンが唸り声をあげ、私の乗る最大の凶器に力が宿った。


 バックとサイドミラーに目を走らせ、豊田の位置を確認する。


 豊田はちょうどいいことに、部屋から出て地面に足を着けたところだった。


「ないっ」


 私は咆えると同時に、シフトレバーをニュートラルからバックへと切り替える。


 車が急発進して私の体がGで前方へと押し出され、シートベルトが傷ついてボロボロの体に食い込んだ。


 それでも私は悲鳴を押し殺し、豊田に向けてハンドルを切る。


 バックミラーのほぼ中心に、憎たらしい顔を捕らえて――そのまま突っ込んだ。


 トラックの荷台が勢いよく窓ガラスをかみ砕き、家に突き刺さる。


 その衝撃は凄まじく、反動で私の体はシェイカーの中に入れられたかのように揺さぶられた。


「――――豊田はっ!?」


 私は頭を振って遠のきかけた意識を引き戻すと、アクセルから足を外して背後を振り返る。


 できることなら軽トラと家に挟まれてぺちゃんこになった豊田を見たかったのだが……。


「あ~もぉぅ~」


 私の視界に飛び込んできたのは、荷台の縁を掴んで立ち上がろうとしている豊田の姿だった。


 豊田はあの一瞬で大きく跳び上がり、荷台に乗ることで被害を最小限に抑えたのだろう。


 なんとも信じがたい、しかし現にこうしてピンピンしているのだから、そう考えるしかなかった。


「このっ」


 クラッチペダルを離してからギアをバックから1速に入れ――と慣れない操作をしているところで、


「だから、止まれって言ってるだろぉ!」


 豊田から、銃弾による牽制付きの警告が為された。


「いい加減、問答無用で殺すよぉ!?」


「最初からそうすればいいって言ってると思うけど」


 私を殺さないのは豊田の都合だ。


 私を欲しい。


 私を儀式に使う。


 それは私が責任を持たなければならない事情ではない。


 私は私の命と自由に対してのみ、責任を負うのだ。


「あぁ~だんだんイライラしてきたよぉ。ホントにそうしてあげようかなぁ」


「もう一度おなじセリフを聞きたい?」


「いいよぉ、もうさぁ」


 豊田は体を起こすと猟銃をふたつに折って弾を装填し始める。


 彼の手つきは荒々しく、怒りに満ちており、彼が本気で私を殺すつもりなのだと言外に伝えて来た。


「ねえ、豊田」


「なにかなぁ。君はもう殺すから、命乞いなら聞かないよぉ」


 傲慢で、短絡的。


 いつになっても、どんな時でも豊田は自分が奪う立場なのだと考えているのだろう。


 そんな豊田に向けて、私は最期の言葉を口にした。


「あなたは本当に、水内さんが逃げたと信じているの?」


「――え?」


 その意味を聞き返そうとでもしたのだろうか。


 豊田がなにかを言おうとして口を開いたところに、私の問いかけの答えが――水内が乗るバンが、突っ込んできた。

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