第27話 オワリ
この屋敷の構造は、大まかに見れば漢字の「問」を思い浮かべるのが一番近いだろう。
上部の「日」にあたる部分がそれぞれ左が豊田、右が父である
左の縦線が廊下。
その終着点に解体部屋が存在する。
中心の「口」に階段が設けられ、地下牢へと繋がっていた。
「もっと、早く歩いてくれてもいいでしょう」
これから私たちが向かうのは、豊田の父親である宗象の部屋だ。
そこに水内が猟銃を盗みに行っている。
それを防がんとする宗象も。
そして――、
「えぇ~、そうやって焦れる美亜ちゃんの顔、とってもかわいいよぉ」
捕まり、逆に人質となってしまった私も。
今、私の喉元では、先ほど奈緒に突きつけていたのと同じ包丁が鈍い光を放っている。
ほんの少しでも変な動きを見せれば、豊田の命令に従い、私の喉笛を掻っ切ってくれるだろう。
「うるさい」
わざわざ覗き込んできた豊田から顔を逸らそうとしても、首元にある鋭い刃がそれを許さなかった。
仕方なく音に意識を傾ける。
私たちの足音の他に、少し離れた位置から何か物が落ちるような音や、肉と肉がぶつかり合う重い音、水内や
――争っている。
勝っているかの負けているか。
いたぶられてはいないか。
そもそも傷口が開いてはいないだろうか。
様々な不安が気持ちを駆り立てる。
しかし私は豊田のペースに合わせてゆっくりと歩くことしかできなかった。
「…………っ」
曲がり角を曲がると、物音が一層大きくなる。
宗象の自室入り口が見えているだけに、歯がゆさはいや増していく。
「水内さん、逃げてっ! 私のことはいいから逃げてっ!」
とうとう私の口から終わりの言葉が
私の思いを伝えるための言葉はしかし――。
「
まったく違う相手へのメッセージになってしまった。
私があんな叫びを発したということは、既にこちらが片付いていることを意味する。
つまり豊田の手が空いているということにもつながるのだ。
「…………」
見る間に豊田の表情が曇っていく。
彼は自由奔放な気質であり、父親から命令されるのが嫌なのだろう。
「はいはい」
頷きつつも足取りは重かった。
「水内さんっ」
宗象の部屋はかなり広く、先ほどの解体部屋の二倍近くの広さを持っていた。
壁際には大きなベッドが置かれ、床には趣味のものと思しき釣具や調度品が散乱している。
部屋の隅にはステンレス製のロッカーが据え付けられており、既に扉が開いていて、猟銃が1丁立てかけられている。
そのすぐ隣にはガラス戸のついた棚があり、弾丸と思しき紙の箱が並べられていた。
「象吉っ!」
ガンロッカーと弾薬が納められた棚の真ん前、1メートルと離れていない場所では宗象と水内が組み付き合っている。
水内がその巨体を生かして馬乗りになって宗象へと圧をかけ、宗象は猟銃を横にして両手で保持し、顔を真っ赤にしながら抵抗していた。
どうやったのかは分からないが、状況は水内に傾いている。
もし、水内が両腕を使える万全の状態であったのなら、もう決着がついていたのではないだろうか。
「コイツもやれっ。左腕を落としてしまえっ」
殺せと言わないのは、水内が最後の生け贄であることを気にしているのだろう。
「いやいや、左腕を落としても出血多量で死ぬでしょ」
「どうでもいいっ。はよ退かせっ」
「はいは~い」
豊田は仕方ないとばかりに頭をバリバリ掻き、ため息までついてから気だるげに牛刀を拾い上げる。
「あのさぁ、お義兄さん。現実を見たらどうかなぁ?」
「なにが、だ?」
豊田が言うように、水内も理解しているだろう。
私も豊田と一緒になって部屋に入ったのだ。
奈緒が私の背後から包丁を突き付けている様は見えているはずだった。
「この女の命が惜しかったら降伏しろ~なんて、センスがないセリフは言いたくないなぁ」
「くっ」
水内の目の前には猟銃というなによりも強い力がある。
それを奪えれば、状況を逆転するとまでは行かなくとも、天秤の針を戻すことくらいは出来るだろう。
だがそれには宗象の抵抗を今すぐに抑え込まなければならない上に、豊田のちょっかいも退けなければならない。
そんな時間も力も、水内には残されていなかった。
「クソっ」
己の敗北を悟った水内が、腕を振り上げ、宗象目掛けて振り下ろす。
最後の一撃は、銃身を揺らすだけに終わった。
「…………」
がっくりと肩を落とした水内が宗象の上からおりる。
またも失敗に終わったからか、精も根も尽き果ててしまったようだ。
「こ……の……」
宗象が息を整えながら立ち上がる。
先ほどまで、ガタイのいい水内に圧しかかられ、命の危機に晒されていたのだ。
よほどそれがショックだったのだろう。
そして、そんな出来事からようやく解放されたとなれば、その反動も大きかった。
「ダボがぁっ!」
うなだれていた水内の側面を、思いきり蹴りつける。
「お前はただの
床に転がった水内を、宗象は感情のままに何度も踏みつけ、蹴り飛ばす。
宗象にとって、生け贄のためにさらって来た存在は、使われるための道具にすぎない。
抵抗することなどあってはならないし、命を脅かすなど論外なのだ。
なのに、それをした。
してしまった。
きっと今までの価値観全てを覆し、破壊するほどの衝撃を与えたに違いなかった。
「はぁ……はぁ……」
散々水内をボロボロにしたところで、ようやく暴行を加えるのにも疲れたのか、宗象は矛を収める。
いや、変えただけだった。
今度はその血走った眼を豊田へと向ける。
「もっと早く来んかっ! ダァホッ!!」
宗象はずかずかと近づくと、遠慮なしに手のひらを豊田の頬へと叩きつける。
バシッと鋭い音がして、豊田の顔が大きく揺れた。
「お前が遊んどらんかったらもっと早くに終わったんやろがっ!」
「…………そう」
「そうじゃバカタレっ」
もう一度、豊田に遠慮なく平手を見舞った後で、宗象は手に持っていた猟銃をふたつに折りつつ弾丸が納められた棚へと歩きだす。
「こいつらの足と腕をぶち抜いときゃよかったんじゃ。贄はダルマでも問題ないわ」
荒い手つきで銃弾を籠めていく。
あと数秒もしない内に、この男は宣言した通りのことをするだろう。
「親父」
「なんじゃ――」
息子からの呼びかけを、宗象は背中で受けとめる。
そして、振るわれた刃も。
「……あ?」
信じられないとばかりに、宗象は自らの背中へと視線を向ける。
そこには、豊田が切りつけた四角い牛刀の刃が半ばまで刺さっていた。
「親父を殺せばさぁ。美亜ちゃんが一晩付き合ってくれるんだってぇ」
気づかなかったのだろうか。
豊田の瞳に宿る殺意に。
抱き続けて来た恨みに。
私は気づいた。
理解した。
豊田が腹の中で自らの父親を疎ましく思っていることに。
「……悠ちゃんをきちんと弔うことも条件に入れてたと思うけど」
「ああ、そんなのもあったねぇ」
私は殺すと決めた。
必ず仇を取ると心に誓った。
だからどんなに悪辣な手段でも使う。
自分を売ることもするし、不和を誘うことだってする。
殺せればどうなってもいい。
「お……ま……
「呼び捨てにしないでくれるかなぁ」
宗象は振り返って銃口を向けようと試みる。
だが、それが致命的な行動となってしまった。
未だ牛刀を握りしめていた豊田がタイミングを合わせて腕を引くと、深々と宗象の背中に埋まっていた刃が背中の肉をごっそりと噛みちぎっていく。
そうなれば必然、宗象の体には大穴が空き――。
「し、しょ……き……」
大量の血を溢れさせながら、宗象はその場に倒れ伏したのだった。
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