第24話 アキラメナイ

「じゃあ、逃げようなんて考えないでね」


 私と水内のふたりは、別々の牢にそれぞれ入れられていた。


 もちろん、天井に穴が空いている中の牢は避けて、頑丈で抜け穴など存在しない左右の牢に。


「水内さんの手当ぐらいしてくれない。止血をしたら死なないってことは、止血をやめたら死ぬってことでしょ」


「じゃあ止血をやめなきゃいいんじゃないかなぁ?」


「意識を失って出来ないって可能性ぐらい考えたら!?」


 豊田は口角をあげて肩をすくめる。


 相手にするつもりは無いのだろう。


 ならばと別の手段を選ぶ。


「私の傷口を消毒して。あんたの悪趣味なペットに腕と胸をひっかかれたの」


「腕と胸を!? いいよいいよぉ」


 舐めまわすような視線が私の胸元を這いずり回る。


 あまりの気色悪さに、私はすぐさま体を横に向けて右腕で隠す。


「あんたに肌を見せるわけないでしょ。消毒薬と包帯をくれって言ってるの」


 小学生のように言葉の端に食いついた豊田だったが、あからさまに瞳から興味が失せていく。


 なんとも現金なものだ。


 ただ、私を餌にすることで食いつきがよくなるのは、これでよくよく理解できた。


 普通ならこういう手合いは無視するに限るのだが、この男を攻略する以外に突破口はなかった。


「このまま破傷風にでもなったら、私の価値が下がるんじゃない? それはあんたの望むところじゃないでしょ」


 私をダシにすればいい。


 手に入った治療道具を投げ渡すなりなんなりすれば結果は同じだ。


「えへぇ……。あの手この手で色々攻めてくるねぇ。そういうところが好きだよ」


 さっきから会話がかみ合っていないが、私の話題を口にした豊田は嬉しそうだ。


「あなたに言われても嬉しくない」


「うんうん。折れる時が楽しみだよぉ」


「――っ。変態」


 豊田は罵倒されたというのに一層笑みを深くする。


 罵倒されたことを喜んでいるというより、強気な私の反応を楽しんでいるのだろう。


 つまりは、失敗。


 あと出せる話題は――ひとつだけ。


「あなたのお父さん、名前も知らないけれど、あの人ならなんて言うでしょうね」


「…………」


 豊田と彼の父親は、さしていい関係には見えなかった。


 父親は力で豊田のことを威圧し、力づくでいうことを聞かせている。


 そんな、明確な上下関係に見えた。


 だからこそこの話題は豊田にとって地雷になり得ると予想していたのだが、その予想は当たったようだ。


 豊田の眉間にシワが現れ、唇を尖らせて不満をあらわにする。


「水内さんが死にそうなのに放置しました。その結果、ひとりしか居ない大事な男の生け贄が死にました、なんて私が証言したら」


 先ほど豊田が水内の腕を刺して傷つけた時、明らかに父親は憤慨ふんがいした。


 逃亡阻止のために必要な行動だったと理解して矛を収めたが、それが元で死んでしまったと分かれば、どれほど激怒するか知れたものではない。


「水内さんの止血ぐらいしてあげて。なんだったら私の傷を治療するついでと考えればいいでしょ。私だって傷と服が血で癒着してる程度には傷を負っているから」


 チッと舌打ちをする。


 それで私は説得の成功を知った。






「……これ」


 奈緒と呼ばれていた女性が鉄格子越しに包帯と水で濡らした布を差し出してくる。


 恐らくは水内の治療には人手が必要だが、自分は手伝いたくなどないから彼女にやらせようとでも考えたのだろう。


 怠惰というより、自分本位な豊田らしい判断だった。


 ――それこそ私にとって最高の幸運だというのに。


 清水というかけがえのない友人を殺された私は最悪に落ちた。


 けれどこれで私は人殺しに、最低に堕ちることができる。


「ありがとう」


 私は布を手に取り――そのまま女性の腕を掴む。


「な、なんでしょう?」


 明らかにしどろもどろになりながらも目は伏せたまま。


 彼女の立場はとても危うく、常に親子の感情を刺激しないよう、卑屈かつ低姿勢で生きて来たのだろう。


「話があるの」


 ぐいと腕を引き、白すぎて死人のように見える彼女の顔を私の口元にまで寄せる。


「あなた、ここから逃げたくない?」


 息を呑む音が聞こえる。


 瞳にも一瞬だが光が戻っていた。


 一瞬だが。


「……やめて、ください」


 そんなにすぐ希望へ飛びつくほど心が残っているならば、既に何かしらのタイミングで逃げ出しているだろう。


 それが出来ないほど、彼女の心は念入りに潰され、おかされ、洗脳されて、隷属れいぞく余儀よぎなくされているのだ。


「私は贄の手当てを仰せつかっただけです」


「こんな最悪な場所から本当は逃げたいはずでしょ? 違う?」


「や、やめて……」


 私は布をその場に捨てると、空いた手を鉄格子の間から伸ばして女性の背中に回す。


「大変だったでしょ。辛かったんでしょ。気持ちが分かるなんて口が裂けても言えないけど、少しだけなら想像はつく。だって、あの態度だから」


 先ほど家の前でした父子おやこの会話は酷いものだった。


 下卑た嗤いを浮かべながら具合だなんだ、古くなったから捨てるだのと、彼女を物か何かのように語っていた。


 きっと彼女は喜んで体を開いたわけではない。


 殺さないことを条件に、無理やり関係を強要されたのだろう。


 しかも親子ふたりから。


 あまりのゲスさに苛立いらだちを通り越して殺意すら湧き上がってくる。


 到底許せる話ではなかった。


「わ、私は……」


「ごめんなさい。いきなり惑わすようなことを言って。私たちはまたこうして捕まったわけだし」


 そう、彼女から見れば、結局捕まった私たちは、更なる絶望を深める存在でしかない。


 逃げられないということを証明する存在でしかないのだ。


 それが信じてと喚いたところで迷惑なだけだろう。


「でもお願い。私はあなたに頼るしかないの。あいつらにもてあそばれるのが絶対に嫌だから。なにがなんでも悠ちゃんの仇を取りたいの」


 ああ、分かった。


 ようやく気付いた。


 私がこんな行動をしている理由。


 これが生きたいって感情なんだって。


 こんな地獄の底にまで突き落とされて、ようやくこんな簡単なことが理解できた。


 死にたくないというだけの惰性で生命活動を継続するんじゃない。


 欲しいものがあるから、やりたいことがあるから生を望むわけでもない。


 誰にも邪魔されることなく、誰にも束縛されることなく、自らの意思で自由に歩む。


 ただ、生きる。


 自分が在る。


 これこそが人間の本能に根差した、生きたいという欲求なのだ。


「だから私を助けてほしい。ここから出してほしい。そしたらあとは私が勝手にやる。あなたはその間に好きに逃げて」


 私の熱が、手や肌を通じて直接伝わっていく。


 恐れはないと、まだ諦めていないと、私の決意が本物であることを言葉だけでなく魂で理解してもらう。


「で、ですけど……」


 私の熱が移った代わりに女性の震えが伝わって来る。


 きっと怖いのだろう。


 これまでの経験から絶対に逃げられないと理解しているのだろう。


 でも、分かる。


 彼女は一度も逃げたくないとは言っていない。


 本当は逃げたいのだ。


 逃げたくても逃げられないだけなのだ。


「ここで何人の犠牲者と、何回の脱走失敗を見たのか分からないけど……。大丈夫、今度こそ成功させるから」


「…………」


「俺からも頼むよ。ちょっとこの腕じゃ鍵を開けるのが厳しいからな」


「水内さんっ」


「ふたりで逃げるなんて寂しいこと言わないでくれよ。俺も逃げる」


 水内は痛めつけられたせいで精神が限界まで消耗しているはずだ。


 本当ならここで休んでいてもらうつもりだったのに、そうする考えは無いらしい。


 ただ、水内さんは少し誤解をしていた。


 私は逃げる算段など立ててはいない。


 原因を除去すれば、問題は解決するという考えを元に行動している。


 すなわち――私は豊田親子を殺す決意を固めていた。

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