第23話 オカエリ
「やめろっ!」
清々しくも感じられる一喝が、下卑た嗤い声を断ち切っていく。
それを叫んだのが誰かは見なくても分かる。
だから、だから思う。
なんで出て来たんだ、と。
隠れていればよかったのに。
黙っていればよかったのに。
妹はすでに殺されていた。
自分自身も殺される。
私も死を選ぶ。
水内が今ここに姿を現すメリットなんて、なにもない。
「ヒュー、カッコイイ~」
「静城さんから手を放せ」
豊田の煽りを無視し、水内は豊田の父親に人差し指を突き付ける。
「バカタレが。お前に従う理由がないわ」
「彼女に乱暴を働けば、俺は今から全力で逃げる。さっきの話ぶりからすると、明日には生け贄が最低一組は揃ってないといけないんだろう?」
家の影から出て来た水内が、そのまま私たちのところへとゆっくり歩み寄ってくる。
彼の姿は私たちと別れた時から一切変わってはおらず、武器の類も持っているようには見えなかった。
つまり、無手。
ほんとうに私を助けるため、着の身着のまま出てきてくれたのだろう。
そう、私の為だ。
妹を殺すという豊田のついた嘘のために、彼は姿をみせたのではない。
私がこいつらに汚されそうになったから、出てきてくれたのだ。
「君は馬鹿だねぇ。僕たちが約束を守る保証はないのに取引を持ち掛けるんだ」
豊田と彼の父親が言う通り、状況は圧倒的に彼らの有利に傾いている。
水内を捕まえた後で私を楽しむもよし、騙して牢屋にぶち込んだ後に約束を破るもよし。
全ては彼らの胸三寸で決めてしまえる。
水内の提案に乗る必要性がなかった。
「……お偉方は恐ろしいんじゃないか? 黒蓮会は裏社会じゃあ、そこそこに名の知れたマフィアなんだろう」
チッと舌打ちの音が耳元で響く。
豊田の顔は相変わらずのニヤニヤした笑みを浮かべたままだったが、父親の方はそうではないらしい。
「いや~、それでも足りないよぉ。こっちは美亜ちゃんとの初夜がかかってるんだからねぇ。君じゃ安い安い」
「なら俺は逃げるだけだ。見ての通り体力だけは自信があるんでな」
……足りないんだ。
今豊田たちは圧倒的に有利な状況に居る。
わざわざ下りて行って対等な立場で交渉するには賭け金が圧倒的に足りなかった。
――だったら、上乗せするだけだ。
「あ……の、さ……!」
首を掴まれて居ようと、縛られて居ようと、まだ出来ることはある。
うめき声で注意を引くことは出来なかったので、私は歯を打ち鳴らしてカツカツと音を立て、全員の視線を集める。
そして、舌をみせつけるように、口外へと伸ばす。
上乗せするのは私の命。
ちょうど捨てる所だったから惜しくはない。
「美亜ちゃんっ」
これに大きな反応をみせたのは、豊田だった。
窓から身を乗り出して、止まれとでも言うかのように手のひらをこちらへ向ける。
「ガキが。簡単にできるたぁ思うな。それは――」
私の覚悟を信じていなかったため、父親が見えるように顔を横に向け、舌先を軽くかみちぎってみせる。
たちまち乾ききった口の中を血が満たしていく。
鉄サビの臭いと塩辛さがなんとも心地よかった。
口の中で溜めた血液と唾液を混ぜ合わせ、先ほど噛みちぎった肉片と共に、憎たらしい顔めがけて吐きかける。
「このっ」
豊田の父親が顔をしかめ、顔面にかかった私の血液を手のひらで拭う。
私の決意を見て本気であることをようやく理解したのか、拘束されていた首の圧力が緩んだ。
「私はなにかを強要されるのが大嫌いなだけ。死ぬほど嫌だってだけ。アンタたちに好き勝手されるくらいなら、死んだ方がマシ」
今すぐに死なない理由はひとつだけ。
こいつに復讐すると誓ったからだ。
そのためだけに今の私は生きている。
「私と水内さんを地下牢に連れて行きなさい。それで手打ち。大人しく入っておいてあげる」
だからさ、そんな顔しないでよ、水内さん。
これは私が望んでやっていることなんだから。
「あ~あ~あ~もぉ~」
豊田がぐしゃぐしゃと髪の毛を搔きむしって悲鳴をあげる。
彼は私が自殺オフ会に参加したことを知っているため、私が自分の命を軽く見ていることぐらいよく理解しているはずだった。
そのまましばらく渋面を作って何事か考えていたようだが、妙案など思い浮かばなかったのだろう。
顔を上げて再び目を合わせた時、豊田はやはり渋面を崩してはいなかった。
「分かったよぉ。とりあえず君の言う通りにするから」
「そう」
「でも、僕の奥さんになりたかったらいつでも言ってねぇ」
その誘いは論外だったけれど、黙殺――ではなく、答えないだけに留めておいた。
「あなたも文句はないでしょ」
「……あぁ」
憮然としてはいるものの、渋々私の提案を受け入れる。
息子の方はずいぶんと自分本位に動くみたいだが、父親の方は黒蓮会とやらと自分の関係を鑑みる理性くらいは持ち合わせているらしかった。
「なら早く私を運ぶか足のロープを解いて」
「ずいぶんと態度のでかい贄じゃのぉ。自分の立場を分かっとるんか?」
「いちいち答える必要ある? 早くして」
「ふんっ」
豊田の父親は、不快そうに一度鼻を鳴らして顔を逸らした後、苛立たし気に車の中に居る女性へと指示を飛ばし始めたのだった。
「おかえりぃ」
「…………」
中から玄関を開けた豊田が嬉しそうに私を出迎える。
一方的な家族ごっこの押し付けにはうんざりだったが、こちらも先ほどと同じようにただ沈黙を貫く。
「はよ行けぇや、お前ら」
私と水内の背中を猟銃の先が交互にせっつく。
「象吉ふざけんな。お前のせいでこうなったんやぞ」
「心外だなぁ。ひとり……オバサンは僕のせいじゃないよぉ」
「残りの人数を考えんかいっ!」
「わかったわかった」
どうにも父親は怒りが抑えきれないらしい。
私たちには猟銃を、息子に対しては怒鳴り声をぶつけていた。
「きちんとするからさぁ」
「本気だなっ!?」
「本気本気、本気だからぁ――」
――私は油断していた。
この親子喧嘩を前にして、普通の親子だと勘違いしていたのだ。
こいつらは、頭のおかしい人殺しの家族だということを。
「うぐっ」
白刃が閃き、私の右隣に立っていた水内の腕にナイフが突き立つ。
豊田がいやらしい笑顔を崩さぬまま、殺気すら感じさせずに水内の右腕を刺し貫いたのだ。
「あんたっ」
私が反応できたのは、水内が痛みに膝を折ってからだった。
「おっとっと、別に約束は破ってないでしょ。殺してない」
「うあぁぁぁっ」
豊田は手首を捻り、ナイフで傷口をえぐる。
サバイバルナイフというやつなのだろう。
峰には大きな凹凸が刻まれており、それが傷口を削り広げているのだ。
恐らく水内は今、想像を絶する痛みに侵されているだろう。
「ふざけるなっ!」
「象吉、ええ加減にせいっ!」
仇の相手と同調してしまうという嬉しくない出来事は他所に置いて、私は水内の背中を支えた。
「いやいや、止血さえしっかりすればこの程度じゃ死なないでしょぉ? それよりもぉ……」
豊田は水内の眼前数センチまで顔を寄せると、
「君、鍵を開けたよね」
そう囁いた。
「危ないなぁ、危ないよ。どうやってか知らないけどさぁ、君たちが脱出した牢屋に解錠された南京錠が落ちてたんだよねぇ」
脱出して永遠に来ないつもりだったから気にも留めていなかった。
私たちは開けた鍵を、そのままにしてしまったのだ。
当然、牢屋の鍵は3つとも開いていて、入り口の鍵は開いていないことになる。
どこからどうやって逃げ出したのか、豊田はいくらでも知ることが出来ただろう。
「でさぁ。君が僕のお義兄さんってことはさぁ。探しに来たってことだよねぇ」
水内翠が連れ去られたのは2年前だ。
それからここまで水内はひとりで辿り着いてみせた。
なら潜入するのに様々な準備をしていて然るべきだろう。
そこまで思考が及べば、誰が鍵を開けたのかなんて、どんな馬鹿でも想像がつく。
「利き腕の健を切られてもぉ。あなたは鍵を開けられるのかなぁ」
状況は決して良くなってなど居ない。
私たちは確実に死へと近づいていた。
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