第22話 ミナイ

 私と清水のふたりは、荷物のように軽トラの荷台に積まれ、運ばれていた。


 何時間も辛い思いをしながら歩いてきた際に眺めていた風景が、飛ぶように流れ去っていく。


 全て無駄だったどころか、私は大切な友人を失ってしまった。


「……悠ちゃん」


 私は体を転がし、隣で永遠の眠りについている少女の顔を見る。


 清水は安らかな表情で目を閉じているため、本当にただ眠っているだけにしか思えなかった。


「私は絶対、アイツを殺すからね」


 彼女はたぶん、私が人殺しなんてするのは望まないだろう。


 とても短い、人生の中ではまばたきするほど短い時間しか触れ合っていないけれど、それでも少女が誰かを傷つけることを良しとする正確でないのは、分かる。


 だがしかし、それでは私が進めない。


 ただ逃げるだけでは、私が私を許せないのだ。


 だから、殺す。


 私のために、私の意思で人を殺す。


 名も知らないあの男へ復讐する。


 ふと、気付く。


 清水の瞳が閉じられていたことに。


 死んだ直後は眼が開いていた。


 これは誰かが閉ざさなければ開きっぱなしのはずだ。


 なら、誰が……。


「あの女の人か……」


 まるで幽鬼か人形のように生気のない女性だった。


 名前は確か、奈緒なんてあの男から言われていたはずだ。


 恐らく彼女がまぶたを閉じてくれたのだろう。


 なら、この殺人に対してなにか、豊田親子とは違う考えを持っていそうだった。


「……そういえばあの変態、奥さんのひとりが親父と一緒に出てるとか言ってたっけ」


 ならば奈緒という女性は、過去に私と同じく拉致された人かもしれない。


 そう考えれば筋が通る。


 全てを諦めきった瞳も、清水の死をいたんでくれたことも。


 果たして、女性は私の味方になってくれるだろうか。


 様々な可能性に思考を巡らせながら、私はあの地獄の場所へと連行されていった。






「おい、象吉しょうきちぃ! 出て来んかいっ!」


 家について早々、男は軽トラから降りて荒々しい声を出す。


にえが逃げ出しとるやないかっ! なにしとるっ!!」


「んんぅ?」


 入り口隣の部屋の窓がガラリと開き、にやにやとたいやらしい笑みを浮かべた豊田が顔だけを外に出してくる。


「ああ、おかえりぃ」


「なにがお帰りぃ、じゃ!」


 違う。


 豊田は父親に向かってその言葉を言ったのではない。


 私に向かって言ったのだ。


 その証拠に、私と豊田の視線が待っ正面からぶつかり合う。


「こんバカタレがっ!」


 バンっと強い力でドアが叩きつけられ、その振動が荷台に転がっている私の頭と肩まで揺さぶった。


「見ろっ」


 男はドスドスと足音を立てながら荷台までやって来ると、勢いそのままに私の襟首を掴み、なんと片手で私の上半身を持ち上げた


「もう一体しか残っとらんじゃろっ!」


「んん~?」


 ――違和感が、ある。


「また男を攫ってこないかんじゃろが! 黒蓮会のお偉方がいらっしゃるのは明日やぞっ!!」


「そお?」


 ――豊田の瞳は、逃げ出した私たちが帰ってくると知っていたかのような、奇妙な自信に満ちていた。


「明日来るのなら、生け贄が歩いてるところとかち合うだろうし、ちょうどいいんじゃない?」


 そういう目論見があったからこその自信だったのかと得心が行く。


 確かに、背後から追いかけて来た車に対しては警戒心が働いたとしても、前方からなら効きにくい。


 なにせ、100%豊田たちではないのだから。


 のこのこと助けを求め、事情を話したら一巻の終わりというわけだ。


 これ幸いとばかりに逃げた私たちを捕らえ、ご丁寧にここまで連れてきてくれるだろう。


「バカタレ、お偉方を使う奴があるかっ」


 もっとも、拉致監禁の責任者はなんらかのペナルティが課せられることは想像に難くないが。


「あ、それから逃げたのは3人だよぉ。男1人に女2人。あとひとり、男が居るはずだけどなぁ」


「あぁん!? 揃っとらんかったら意味無いじゃろうが!」


「…………」


 豊田が深く歪んだ笑みを形作る。


「居る居る。まだこの家に居るって」


「――――っ」


 絶対の自信を前に、思わず息を呑む。


 水内は、肉親を捜すために私たちと別れてこの家まで戻った。


 このことは、私……それから清水しか知らないはずだ。


 いったい何故、そんなことまで知っているのだろう。


 その疑問は、豊田が家の中に向かって叫んだ言葉で氷解した。


「ねぇ、お義兄さぁんっ」


 ――知っていた。


 水内の正体も、目的も。


 そして同時に、今の言葉は水内にとって最悪な解答でもあった。


 お義兄。


 それは婚姻している相手の兄に対して使う言葉だ。


 例え本人――水内そうの妹である水内みどりがどれだけ結婚を望んでいなかったとしても。


 


「ダメだよぉ、身分証明書はきちんと管理しないとぉ。水内みないなんて苗字は珍しいんだからぁ」


「なに言っとんじゃ」


「んー?」


 豊田が振り向き、私に向かってニィっとわらう。


「今から男の方も捕まえるってことだよぉ。まあ、逃げておいてくれた方が抵抗されなくて楽だったんだけどなぁ」


 泳がされていた。


 豊田の父親に見つかる、なんて不運が無くても結末は一緒だった。


 結局、私たちはここに連れて来られた時点で王手をかけられていたのだ。


 そのことに気づいた私の顔を、豊田は満足気に眺めて悦に入る。


「いいからはよせぇ」


「はいはい」


 父親に促され、豊田は渋々といった感じで私から視線を外すと、両手でメガホンを作って口元に当て、


「早く出て来ないと君の妹を殺しちゃうよぉ」


 と言い放った。


「水内さんっ! 出て来ちゃダメっ!!」


 この脅し文句は絶対の力を持つ。


 例え嘘だと分かっていても、決してその魔力には抗えない。


 なにせ、水内が自分の命を投げ出してでも救おうとしてきた存在なのだ。


 それを捨てるという選択肢を、彼は持ち合わせてなどいない。


「嘘だからっ! もう殺されてるっ!!」


 以前豊田が自分の奥さんたちについて言及した。


 その時、父親と一緒に外出している人物――奈緒と呼ばれ、助手席に座っている女性だろう――以外、決して命があるとは言わなかった。


 それを鑑みるに、水内翠は既に死んでいると考えるべきだろう。


「おやぁ、心外だなぁ。僕の大事なお嫁さんだよ? 大切に扱うに決まってるじゃないかぁ」


「あなたが大切に扱っても、拒絶することはあるでしょっ」


 私が自殺を望んだように。


 死ぬより辛い現実というのは存在するのだ。


「はい、ごー」


「今豊田の隣に誰も居ない! すぐには殺せないから出て――」


 最後まで言い切ることは出来なかった。


 豊田の父親が私の襟首を捻り上げ、首を絞めて無理やり黙らせたからだ。


「よん……って、美亜ちゃんは殺さないでねぇ。僕の奥さんになるかもしれないんだから」


「バカタレ。女の贄が居なくなるじゃろが」


「さ~ん。……え? 古い方を捨てればよくない?」


「奈緒はがええんじゃ。もったいなくて捨てられんわ」


「にぃ~いっ。……美亜ちゃんも良さそうでしょぉ。気が強いし、きっといい具合だよぉ」


 ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな!!


 どうして私がお前たちの慰み者にならないといけない。


 なんで人間がそれほど簡単に捨てられるのだ。


 そんなのは絶対に受け入れないっ。


 もしそんな状況になったら、舌を噛みちぎってでも絶対に死んでやるっ。


「ふぅ~む」


 思わずナメクジが肌の上を這いまわったのかと思うほど気持ちの悪い視線が私の体を舐めまわしていく。


 男性からの性的な視線にさらされたことは何度もあるが、この親子のものは吐き気すら催すほど気色が悪かった。


「いっぺん試してからかのぉ」


「し……ねっ」


 首を圧迫されて意識がもうろうとし始めてはいたが、殺意を以ってなんとか単語だけは絞り出した。


「美亜ちゃんはやっぱりいいねぇ。このままやっちゃおうかぁ」


「―――――っ」


 私はここで終わってしまうのか。


 理不尽な暴力に屈してしまうのか。


 結局私は負けてばかりの人生だったのか。


 そんなのは、嫌だ。


 こんな負債だらけの人生なんて、生きていたとは言えない。


 私は、生きたい。


 誰にも、何にも邪魔されることなく人生を歩みたい。


 私の願いはたったそれだけだ。


 なのに――。


「いーち」


 ――それが、凄く遠い。

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