第21話 チチオヤ

 赤い煙が舞い、血風が踊る。


 肉が、骨が、粉々になって周囲へと散らばる。


 二の腕から胸の中心までを、まるでスプーンですくい取ったかのように、綺麗にえぐり取られていた。


 死んだ。


 間違いなく即死した。


 清水悠は、少し傷つきやすいけれど懸命に生きようとしていた優しい少女は、突然に、唐突に、何の前触れもなくその人生に幕を下ろしてしまった。


「ゆ……う……ちゃ……」


 脳が目の前の光景を拒絶する。


 清水悠の死は嘘であると、必死になって否定する。


 でも……ああ、でも。


 濃密な血の臭いと目前に降り注いだ血しぶきが、現実を私に突きつけてくる。


「ああぁぁぁぁっ!! なんで! なんでなんでなんでなんでなんで!!」


 なんで死なないといけなかった。


 どんな理由があって、こんな死に方をしなければならなかったのか。


 彼女がこんなひどい目に合う理由などあるはずがない。


 そんな悪いことなどしていないはずだ。


 死を望んだからだろうか。


 生を拒絶したからだろうか。


 たった一度でも死に魅入られてしまったら、生きる権利を失ってしまうのだろうか。


 そんなの、あまりに酷すぎる!


「――――あっ!」


 今、ようやく自分に命が亡いことを気づいたかのように、清水の体が崩れ落ちる。


 べちゃりと、自らの肉と血が作った赤い池にその身を横たえた。


「悠ちゃ――悠、あぁっ! 悠ちゃんっ!!」


 私は地面を爪でひっかき、満足に立ち上がることすらできない足を叱りつけ、床を這って少女の遺体の元へと急ぐ。


「そんな……」


 視界の中で逆さに映っている清水の頬を、両手で包む。


 いつの間に泣いていたのか、私の瞳からこぼれ落ちた涙が彼女の目元を濡らす。


 ――最期を迎えた彼女の顔は、驚くほど静かだった。


 驚愕はない。


 自分が死ぬことすら認識しなかったのだろうか。


 苦痛に顔を歪めてもいない。


 死ぬことこそが、気が狂いそうになるほどの恐怖から逃れられる唯一の手段だったのか。


 私には想像することしかできなかったが、それらのことが彼女にとって少しでも苦痛を和らげることに繋がったのなら、良いことなのかもしれなかった。


「悠……ちゃん」


 あとからあとから留まることを知らない泉のごとく、涙があふれ出てきて止まらない。


 私は悲しかった。


 悔しかった。


 一緒に脱出して、死から逃れて、もう一度生きようと思っていたのに。


 歩きながら、帰ったら一緒に遊ぼうなんて約束もしていたのに。


 それらは全て、踏みにじられてしまった。


「まったく、面白みがないのぅ。一発で死によってからに」


 私のこめかみに熱い鉄の塊――銃口を突き付けて来た、この野太い声の持ち主によって。


「お前さんはもっと楽しませてくれるんか――ん?」


 間違いない。


 清水を撃ち殺したのはこの男だ。


 そしてこの男は愉しむために人を殺したのだろう。


 声のトーンからは愉悦しか感じられず、後悔だとか懺悔の念は欠片も存在しなかった。


「…………」


 手を清水の頬から離し、地面について支えにする。


 私は目をつぶり、一度深呼吸をして心を落ち着ける。


 確認しよう。


 ここで飛び掛かったとしても、無意味に殺されるだけだ。


 そんな行動に意味はない。


 こいつを喜ばせるだけの愚かな行為だ。


 私はなにがしたいのかをきちんと心に決めてから動かなければならなかった。


 だから深く、心の奥底へと問いかけて……簡単に答えを得た。


 ――こいつを、殺したい。


 私の大切な友人の仇を取りたい。


 殺された少女のためではなく、私のためにこの男の命が欲しい。


 いつか殺すために、今は我慢する。あえて従う。


 私が今から生きているのは、今ここで死なないのは、そういう理由からだ。


「…………ねえ」


 目的がはっきりと定まった私は、ゆっくりゆっくり男を刺激しないように顔を上げて、男の正体を確認した。


 男は50代前半くらいか、髪の毛に白いものが混じっている。


 顔にはいくらかシワが刻まれているが、まだまだ脂が乗っていて現役といった感じのエネルギッシュな雰囲気が漂っている。


 身長は160前半くらいで、水内よりは圧倒的に小柄なのだが、重量では勝っていそうなくらい太ましい。


 ただ、脂肪で太っているのではなく、全身にくまなくついた筋肉の鎧がそう思わせたのだ。


 そして何よりも一番大事なことは――、


「あなた、豊田っていうヤツのことを知ってる?」


 顔のかたちが、あの変態にそっくりだということ。


 あの人殺しに筋肉を付け加えて、2、30歳ほど老けさせたらこうなるだろう。


 間違いなく親子か親族などの血縁関係があるはずだ。


「ふんっ。無礼な女だな」


 男は不快そうに鼻を鳴らした後、持っていた猟銃の先で私の額をつつく。


「ワシがその豊田だが……そうか。どこかで見た顔だと思ったら、お前は象吉しょうきちのやつが連れて来たにえか」


「象吉? って、あの変態のこと?」


 私の問いに、男はふんっと鼻から鋭い呼気を出す。


「不出来な息子だ。まったく、儀式は明後日だというのに贄を逃がしおったか。ほかには居らんだろうな」


「自分で探したら」


 強い言葉で突き放すと、またも男は強く鼻息を噴き出した。


「めんどくさい女は好かん。はよ言え」


 ゴリッと猟銃の固い銃口が押し付けられる。


 選択の余地はなかった。


「……ここに居たのは私たちふたりだけ。ほかはアンタの馬鹿息子が殺した」


 私はまたも捕らえられてしまったが、まだ水内は自由の身だ。


 嘘にならないように、しかしミスリードを織り交ぜながら返答すると、男が忌々しそうに舌打ちをする。


「あの……! つまみ食いはほどほどにしとけと言ったろうに」


 男の反応で分かったことがある。


 豊田――息子の方だが――は、攫って来た人間を好き放題殺しているということ。


 それから拉致監禁および殺人と食人が、この男たちにとってはつまみ食いを注意するなんていう日常になるほど何回も行われたということだ。


 異常……否、もはや生きている世界が違うのだろう。


 人間を攫ってきては、殺して食べる。


 儀式とやらで生け贄にする。


 彼らにとってはそれが普通のことで、やって当たり前の常識なのだ。


「まあいい……。おい、今のが本当か探ってこい」


「は? 本当だって――」


「お前じゃないわっ!」


 男が命じたのは私ではなく、男の背後に佇んでいた存在に対してだった。


「はい……」


 ほんの数センチ離れただけで大気に混じって消えてしまいそうなほど覇気のない返事をしたその女性は、声だけでなく存在感そのものがとても薄い。


 年齢は見た感じ30代前半。


 化粧ひとつしていないというのに病的なまでに白い肌。


 あまり手入れをされていない、腰まで伸びるまっすぐな髪。


 綺麗な人のはずなのに、まったく生気の感じられない瞳が全てを台無しにしてしまっている。


「分かりました」


 女性がうなずくと、長い髪の毛が白いローブのような服の上で舞い、死者のような瞳も相まって、まるで死体が動いているかのように感じられた。


 幽霊のような女性が、私の横を通り過ぎて山小屋の中へと入っていく。


 その背中に男は「はよせいや」と声を投げつけた後、私に視線を戻す。


「お前はこれで自分の手足を縛れ」


 男は腰から麻のロープを外すと、私に投げ渡してくる。


 どうやら私のことは殺さず連れ戻すらしかった。


 だが、私には絶望などない。


 あるのは決意と殺意、それから不甲斐ない自分への怒りだ。


「悠……この子は?」


った獲物は喰うに決まっとるだろうが。阿呆か」


 男は至極当然といった顔で異常な言葉を吐きだす。


 清水がこのまま放置されることなど絶対に無いことは分かっていたが、やはり食べるのだ。


 私の、友人を。


「…………」


 私は少女の肉体がそんな目に合う前に決着をつけることを心に誓い、ロープを自らの足に巻きつけ始めた。


 静かな怒りを胸に秘めて。

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