第19話 キュウケイ
きつい。
辛い。
足痛い。
傷がうずく。
歩き疲れた。
というかお腹空いた。
食事なんて昨日は干し肉一枚で、今日は干し肉半枚になる。
ひもじい。
のど乾いた。
などなど、私の頭の中では文句が洪水のようにあふれ出す。
ただ、言葉にだけはせず、ひたすら我慢して歩き続ける。
それは隣を黙ってついてくる少女も同じなようだ。
先ほどまでは何事か話しかけてくれていたのだが、今はもう無表情かつ無言で歩き続けていた。
「ごめん、今何時?」
「ん~?」
清水の反応が鈍い。
「どのくらい歩いたんだろうね」
「ああ」
聞きなおすと、清水は得心が行ったという感じで頷き、ゆっくりとした動きでポケットからスマートフォンを取り出してスイッチを入れる。
黒瀬の端末はロックがかかっているので通信には使用できない。
しかし、画面に時刻だけは映るため、時計代わりに利用しているのだ。
それから、私のスマートフォンの電池をもたせる意味もあった。
「今9時だから、もう4時間も歩きどおしだよ……」
たいして寝てもいないのに、格闘したり地面を這いずりまわったり監禁されたり化け物に襲われたりと色々あった。
その上4時間も山道を歩きどおしとなると、さすがに疲労困憊を通り越してぶっ倒れそうだ。
「4時間か。平均時速3キロと仮定したら、12キロ移動した事になるのだけど……」
自動車なら20分もしないで追いつける距離でしかない。
本音を言うならば、もう少し距離を稼いでおきたかった。
ただ……。
「ちょっと……休憩……」
清水が膝を抱え、その場に座り込んでしまう。
無理もない。
先ほどから彼女は気づかれないように足を引きずっていた。
恐らく足の裏はマメが出来てそれが破れ、ぐずぐずになっているのだろう。
かくいう私も同じ状態だった。
「もう無理。一歩も動けない」
「あとこれの10倍くらい残ってるなんて、考えるのも嫌になるね……」
「うえぇぇぇぇ~~っ」
清水の心底いやそうな悲鳴が聞こえてくる。
まだ残っていることを自覚させて、もう少しだけでも歩かせてみようという作戦は失敗したらしい。
というかとんでもない事実は私のメンタルにも傷をつけてしまい、完全に自爆行為だった。
「……やっぱりあの変態の頭をカチ割って車を奪うべきだったかな」
「なにそれ怖い」
冗談抜きでそう思えてくる。
これから更に、今まで歩いた距離をもう10回分を歩くより、一回分の労力で戻る方が圧倒的に楽だ。
ただ問題は……私に人が殺せるかどうか。
ちょっと想像してみたのだが、その状況の絵自体は思い浮かべることができても、現実感はまるでなかった。
たぶん、というか間違いなく、私に意図的な人殺しなど不可能だろう。
うん、やっぱりやめておこう。
「まあ、人を殺せるようなら自殺なんて考えてないよね」
「ふふっ。言えてる」
そうやって傲慢になり切れないのはよく分かっていた。
清水と少しだけ笑いあってから現実に立ち返る。
「じゃあここは豊田が追ってくるときに見つかるかもしれないから、せめて少し離れよう」
幸いなことに道の両側は木々が生い茂っている。
数メートルほど横にずれるだけで、道からは見えにくくなるはずだった。
「うい~」
「どんな返事してるの」
千鳥足――ふざけている様にみせて、足の痛さを隠しているのだろう――の清水に合わせてゆっくりと道を横切り、木々の海へと分け入っていく。
すると、周囲の光景が一変した。
先ほどまでの、ともすれば寂寥感でも漂ってきそうな寂れた道とは違い、そこは葉の緑と土の茶色に光の白と、様々な色で飾られた世界だった。
「――――っ」
「……こんな時じゃなければピクニックに来たかったなぁ」
木漏れ日を手のひらで受け止めた清水が、残念そうに呟く。
ビルが立ち並ぶコンクリートジャングルで育った私の感性も、この場所は綺麗な場所だと告げていた。
「ホント……」
胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
葉っぱの香りがすぅっと鼻を抜けていき、まるで森の木々が慰めてくれている様な感じがした。
「あの変態が居なかったら最高だね」
「うんうん――ってあれ?」
突然、清水が素っ頓狂な声をあげた。
首を傾げていたかと思うと、私の肩に手をのせ、つま先立ちをして何か遠くの方を眺め始める。
「どうしたの?」
同じ方角へ視線を向けても、私にはなにも分からない。
ただ幹の柱と葉っぱの天蓋が写るだけだ。
「いや、えっと、う~ん?」
清水は奥歯に物が挟まったような返事をしながら、しきりに首をかしげている。
「なにか、壁? 黒い壁みたいなのが見えた気がして……」
「壁……」
こんな
あるとしても、ただ壁だけが存在するなんてことはあり得ないだろう。
ならいったいどんな施設があるというのか。
それは私たちに対してプラスになるのかそれとも――。
「悠ちゃん、まだ歩ける?」
「…………頑張る」
なんとも頼もしい答えだ。
それから私は彼女の案内で壁とやらを探して森の中を進み、一軒の山小屋を発見したのだった。
山小屋は一階平屋建てで、横幅が10メートル程度とそこそこに大きい。
また、外観はずいぶんと古めかしく、長い間放置されているような印象を受ける。
壁にはタールが塗りこめられているのか真っ黒で、清水は恐らくこれを木々の狭間から垣間見たのだろう。
「なんでこんなところに……」
「しっ」
不用意に声を出した清水に鋭く注意を飛ばす。
ここに誰かが居るのか、そして居たとしても私たちを助けてくれる存在なのかは分からないのだ。
下手をしたら、ここに住んでいるのは豊田のお隣さんで、儀式とやらの関係者なんて可能性もあった。
「どうする?」
小声で問いかけたのだが、清水の答えは聞くまでもなく、彼女の顔に書いてあった。
いわく、疲れた、と。
「私は大丈夫だと思うなぁ」
予想通り、彼女はここで休憩していくことを希望した。
確かに、土の上に直接座って休憩するよりかは体力が回復できるだろう。
「なにかあるかもしれないし」
あわよくば水や食料や救急セットとまで贅沢は言わない。
布切れ一枚手に入るだけで少しはマシになるはずだった。
まあ、無断でものを拝借するのは窃盗という犯罪なのだが、いわゆる緊急避難というやつで目をつぶってもらえるかもしれない。
「…………」
「10キロ以上離れてるんでしょ? さすがに関係ないよ」
慎重を喫するなら避けるべきだ。
でも、私たちは疲れ切っているというのも事実。
森特有の涼しさを避けられる場所は魅力的にすぎた。
「注意して、行きましょう」
そう結論を下したのだが、つまるところ無策でしかない。
なにかを判断するのには圧倒的に情報が足りなかった。
「は~良かったぁ」
「気を抜かないの」
ここへと至るまでとは逆に、私が先頭に立って山小屋の入口へと向かっていった。
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