第18話 サヨナラ
「え……なんで?」
命を守るためには逃げるしかない。
そしてここで別れて逃げる理由など存在しない。
今まで支えてくれた人が居なくなってしまうという事態を前にして、清水は異様なまでにうろたえていた。
一方私はひとつだけ思い当たることがあって、こうなるんじゃないかと少しだけ思っていた。
水内が危険だと分かっているのにここへ潜入した理由。
彼の妹――
「妹が捕らわれているかもしれないからな」
「え……」
水内は元来た道へと曇りのない瞳を向ける。
そんな水内を、清水は戸惑いの目で見つめていた。
そう、彼女は分かっているからだ。
恐らくは、水内自身も。
あの家を見た。
豊田という男を知った。
儀式なるもののために私たちを捕えているという理由も知った。
だったら予想してしかるべきだ。
1足す1のように簡単で単純な、計算とも呼べないくらい、出て当然の答えなのだから。
「…………可能性は?」
私は問いかける。
この問いはきっと、とても残酷で、理不尽で、水内の心を傷つける行為だ。
それでも私が口にしたのは……何故なんだろう。
「………………」
水内は唇を噛みしめ、握りこぶしを震わせる。
「…………っ」
そして口を開き、音を立てて息を吸い込んで――しかし言葉にすることなくそれを吐き出す。
いや、したくても出来なかったのだろう。
なぜならそれは、私の問いかけの答えは、なにがなんでも受け入れたくなくて、ずっとずっと否定してきたもののはずだから。
――私はいったいどんな顔をしているのだろう。
――分からない。
「……あいつが、豊田が、4番目の奥さんにならないかと言っていただろう」
同時に言っていたことがある。
「なら3人は、生きているんだ」
ひとりは儀式の準備をしに行った、と。
他のふたりのことは一切触れていなかった。
生きているのか死んでいるのかすら、言わなかった。
なら、たぶん……。
「生きてるはずなんだよ……」
朝の静寂に、水内の絞り出すような声が染み入っていく。
聞いているのは私と清水、それから森の木々だけだ。
水内はどれほどの決意をもってこの言葉を口にしているのだろう。
私には彼の覚悟を否定することなんて、絶対にできなかった。
「……そう」
一度頷いてから、顔に笑みを張りつける。
それが成功しているかは――分からない。
ああもう、分からない事ばかりで嫌になる。
なんで世界はこんなにも私の思うようにいかないのだろう。
世界がもっと簡単だったらよかったのに。
「そうなんだ」
「ああ、そうだ」
念を押すようにもう一度問いかけると、水内も念を入れるかのように頷く。
これで間違いないと、自分を説得しているようにもみえた。
「…………」
「…………」
沈黙が痛い。
でもそれを破る言葉も思い当たらない。
私はただ黙って水内の寂しそうな瞳を見つめるしかなかった。
そうやってしばらく見つめ合っていたら、鼻の先にどうしようもない衝動が溢れ出してしまう。
「くしっ」
なんでもないくしゃみ。
寒さ故の生理現象だ。
「……冷えると体に悪いよな」
水内の顔には助かった、なんて言葉が書いてあった。
もし、私が無駄だと言えば、彼は頷いてくれたのだろうか。
私たちを助けるという理由を盾に、人生の理由を諦めただろうか。
「着てくれ。他人が、しかも男が着てたものだなんて気持ち悪いかもしれないが」
「ううん、ありがとう」
水内が手渡してくれた、グレーのコートを肩に引っかける。
大柄で男物のコートはとても大きく、袖も肩幅も余りに余っていた。
でも、温かい。
温度だけではなく、水内の心があたたかかった。
「良かった」
水内が軽く何度も首を縦に振る。
「……ここがどのくらいの場所か詳しくは分からないが」
すっと腕を伸ばし、前方を指し示す。
その方向には、微かに車――恐らくは豊田のものだろう――が通った後がまっすぐ続いていた。
「山の形から、東にまっすぐいけば人里に出られるはずだ」
「……何キロくらい?」
「何十キロ、だな」
訂正された数字は、私の希望的観測を軽々と吹き飛ばしてしまう。
思わず「うえっ」なんてちょっとはしたない声が出てしまっても許されるはずだ。
「……それ、一日で辿り着ける?」
「山道だし、難しそうだ……っと、忘れてた」
水内はそう言うと、ワイシャツをめくってお腹から水の入ったペットボトルを取り出す。
次いで丸裸の干し肉をポケットから。
どちらも豊田から貰ったもので、黒瀬が殺されたが故に余った物資だ。
ただ……。
「もう少しマシな保管場所はなかったの?」
ロマンチックからかけ離れ、普通とも言い難い場所から出されたソレをもらうのには、少なからず抵抗があった。
「コートは君たちがロープ代わりにしてただろっ。それに逃げるのに忙しくてもっとマシな場所に持ちかえる時間がなかったんだよ」
「それは、そうだけど……」
納得はした。
感情は別だけど。
今後の道のりを考えれば、少なくても無いよりかはある方がいい。
ためらいがちに受け取ってからコートのポケットに突っ込んだ。
「ありがとう、お礼だけは言っておく」
「そうしてくれ」
渡す物だけ渡し終わった水内は、迷いを見せることなく踵きびすを返す。
もう忘れていたことは無いのだろう。
私は彼の背中に別れの言葉をぶつけるために口を開いて、
「……あ……」
また閉じる。
さよならなんて言葉を口にしたら、それが永遠になってしまいそうで怖かったからだ。
無言のまま歩み始めた水内は、果たして同じ思いだっただろうか。
なんて、願望が混じりすぎかもしれなかった。
「み、美亜さんっ。水内さん行っちゃう……」
今まで黙っていた清水がさすがにとばかりに口を挟む。
でも私はそんな少女の言葉に、首を左右に振ることで拒絶の意思を示す。
「しかたないから」
「でも……」
「しかたないから」
私がなにかを言う権利はないし、そのタイミングも失っている。
それに、彼が命をかけてしたいということを止めたいとは思わなかった。
そのまま私と清水のふたりは、水内の姿が木々に隠れて見えなくなるまでずっとその場で立ち尽くしていた。
「行こ」
「……うん」
ようやくふたりで歩き出したのだが、清水はしきりに後方を気にしている。
しかし、水内が戻ってくるなんてことは絶対に無い。
もちろん、私たち二人が彼を追いかけることも、絶対にあり得なかった。
「……ねえ、悠ちゃん」
「うん」
清水の返事には、どこか納得のいっていない響きが混じっていた。
「人って不思議だね」
「……そうかな」
「不思議だよ。私も悠ちゃんも死にたがってたのに、今はこうして生きるために歩いてる」
「…………」
「自殺したかったんだよね、私たち」
今の今まで忘れていたけれど、昨日の私は死にたかったのだ。
死ぬために、色んな人とネットを使って連絡を取り合っていた。
集まったメンバーの中で、死ぬつもりが無かったのは豊田くらいのものだ。
「水内さんはどうだったと思う?」
「それは……」
そう、それは水内とて例外ではなかった。
彼は積極的に自分で自分を殺したいとは思っていなかったのかもしれないけれど、自分の家族のために自らの命を捨ててもいいなんていう、ある意味で私たちと同じ方向の考えを持っていたのだ。
「そう、なんだよね」
「…………」
「……私には止められないよ」
明確な言葉にしなくとも、清水もそのことを悟ったのだろう。
たった一言の反論もしてこなかった。
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