第14話 トナリニイル

「ミリ・ニグリか……」


 私が露骨に話題を逸らしたことには気づいているだろう。


 だが水内はそれを指摘することなく話に乗ってくる。


「両生類を祖とする人間とは似て非なる種族らしい。聞いたところによると、神さまとやらが創ったんだそうだ」


 流石に眉唾ものだがな、とは水内の感想だが、私も全面的に


 どうしても人間とは思えない醜悪な容姿は、そう説明されれば思わず納得してしまいそうな説得力があった。


「彼らは基本的に山間に住んでいるが、時折人里に下りてきては男女をさらい、自分たちの奉じている神へ、供物として捧げるらしい」


 豊田も確かに儀式と言っていた。


 私たちの置かれた状況から察するに、私たちが供物で間違いなさそうである。


 神がどうとか生け贄がなんだとか、信じられない単語が飛び交っていて到底信じられるものではない。


 しかし、起きていることは事実だった。


「確かに筋は通る話ね、筋だけは。信じられない話だけれど」


「で、でもでも、そんなことなんで許されてるの!?」


「日本における年間の行方不明者数は、数万人にのぼる。そのうちの10人にも満たない人たちが、カルト教団の生け贄にされてたってバレたりしないってことでしょ」


 警察は基本的に死体や明らかな殺害現場が出て来なければ殺人事件としては扱わない。


 ひとりの行方不明者に対してふたりの担当官を決めて終了。


 その担当官も、複数人の行方不明者を掛け持ちしている。


 まず見つかりようがないのだ。


 死体まで隠遁する方法を持ち合わせている連中なら、拉致し放題だろう。


「それから、ミリ・ニグリは攫って来た女と交わり、半分だけミリ・ニグリの血を引く半人半妖の存在を生み出しているらしい」


 チョー=チョー人だとかトゥチョ・トゥチョ人だとか言われる存在は、人間社会に紛れ込み、自分たちの種族に便宜を図っているとも水内は語った。


 陰謀論は隙では無いのだが、もしそれが本当なら……状況は最悪を通り越して絶望しかなかった。


「正直、トンデモ過ぎてうさん臭くなってきたんだけど」


「俺もそう思うが、黒蓮会というマフィアが関わっているのは事実だ」


「…………」


 水内が妹の死を信じたくなくて、でっちあげたか飛びついた嘘話と考えた方が納得がいく。


 そんな思考が表情に出てしまっていたのだろう。


 水内は口元に手を当て、少し考えてから新たな説明を加えてくる。


「ドクター・ドリームという幻覚剤は使われたから覚えているだろう。あれの原料になる黒蓮は、ここで生産されている。それならマフィアが関わっているのも納得がいくんじゃないか?」


「それは……確かに」


「あるかも、だけど……」


 ヤクザものたちが、薬で頭のおかしくなった豊田のような連中に薬の原料を栽培させ、見返りとして生け贄を都合する。


 大麻を育てていたとかいう話は時折ニュースになるし、それであればあり得そうな話だった。


 だけど、ひとつだけそれでは説明の出来ないことがある。


 私たちの遭遇した、人ならざる化け物だ。


 あんなものが自然発生するとは思えない。


 あの化け物――ミリ・ニグリさえ見なければ、もっとすんなり納得がいっただろう。


 ……いや、そんなこと今は関係ない。


 今私がすべきことは別にある。


 私は先ほどまでの思考を無理やり脳の片隅に追いやり、本来の目的を引っ張り出す。


「……ずいぶんと話がズレたから戻すけど、そのミリ・ニグリとかいう化け物は――」


 私は黒瀬が入れられていた牢を指で指し示す。


「あそこから出入りした。だから私たちもあそこから逃げ出せるかもしれない。ここまではいい?」


「ああ。だからあの牢を開けろってことだな」


「そう」


 水内は納得したように軽く頷くと、目を閉じてなにごとか考え始める。


 いったい何を天秤にかけているのかは……だいたい予想がつく。


 本当は家の中を進みたいのだろう。


 妹が居るかもしれない家の中を。


 まったく、これでは水内が信用に足る人物だと証明されてしまったようなものではないか。


 ここに居る人間の中で鍵を開けられるのは水内だけなのだ。


 彼がこうすると決めれば、私たちはそれに従うしかない。


 それなのにわざわざ自分の目的に合わない私たちの意見を考慮に入れてくれている。


 それこそ彼が誠実な人間であるというなによりの証左だった。


「……分かった、そうしよう」


 罠の脅威とミリ・ニグリの脅威。


 比べればどちらが上かはだれでも分かる。


 女性の私でも抗えるミリ・ニグリの方が、危険は低い。


「ありがとう」


「だがひとつ条件がある」


 男の人から条件と言われ、少し身構えてしまう。


 しかしそれは無用の心配だった。


「下は見るな。そっちは俺が探す」


 下。


 すなわち黒瀬の死体が転がっているからだろう。


 まったく視界に入れないなんてことは不可能だが、彼なりの気遣いなのだ。


「……ありがと」


 私が口にしたお礼は、少しばかり自嘲が混じっていた。






 それから脱出口は程なくして見つかった。


 水内との約束を律儀に守っていた清水が、牢の中に入った途端、天井に空いた穴に気づいたのだ。


 ただ、私たちが潜り抜けるには少しばかり小さかったので、水内が清水を肩車して穴を掘り広げて……脱出の準備は整った。


「まずは清水さんが上がって、それから君。最後に俺だな」


「…………」


「どうした?」


 分かってと言っているのなら今までの信用は全部崩れ去ったと言っても過言ではないだろう。


 分かっていないのなら、それはそれで気が利かない。


 まあ、男の人なら仕方のないことなのだろうが。


「……私たちの服装、なにか分かる?」


「服装?」


 水内は不思議そうに首を傾げ、私のスーツを下から上に眺めまわす。


 どうやら本当に分かっていなかったらしい。


「スカート」


 私はレディーススーツを身にまとっている。


 つまり、パンツスーツでない私が先に上がるとスカートの中を水内に見られてしまう可能性があるのだ。


 むろん、暗いからまず見えないだろうが、そういうことを意識しないで居られるほど羞恥心を無くしてはいない。


 セーラー服を着ている清水ももちろんそれは同じだろう。


「…………ち、違うっ! お、お、俺はそんなこと考えていない!!」


 どうやら水内はさほど女慣れしているタイプではないらしい。


 大慌てで首と両手を左右にぶんぶん振り回した。


 今が暗闇なのが本当に悔やまれる。


 きっと水内は耳元まで真っ赤になっていたことだろう。


「土台になる人間は大きくないといけないと思っただけだ、うん」


 あからさまな逸らし方だったが、別段いじめたところで益は無いのだから「そうね」と適当に相槌を打っておく。


 床から天井までは目測で3メートルくらい。


 ひとりで飛び上がったところで穴まで到達するのは不可能だろう。


「私と悠ちゃんであなたを持ち上げて上まで登ってもらって、あとは……」


 ついと水内の羽織っている頑丈そうなコートを指す。


「それに捕まった私たちをあなたに引き上げてもらうしかないと思う」


 私たちと言いつつ、実際にはひとりずつ持ち上げてもらうことになるのだろうけれど。


 ふと、水内が何か言いたそうな表情をしていることに気づく。


「コートが犠牲になるのは嫌?」


「それは別にどうでもいいが……君は本当に大丈夫なのか?」


 水内が心配しているのは私の左腕のことだろう。


 水内たちが穴を広げている間に真水で傷口を洗浄させてもらったし、持っていたハンカチできつく縛ってもらった。


 現状、これ以上の手当ては望むべくもないのだからこれで何とかするしかないのだ。


 大丈夫だと言い返そうとして、ふと、たわいのないいたずらを思いついてしまう。


 こんな場所と状況で、そんなおふざけをしている場合ではないのだが、私はその衝動に抗う気がまったくしなかった。


 ああ、そうだ。


 ちょっとだけ。ちょっとだけ想ってしまったのだ。


 今まで生きてきた中で、今この時この時間が、一番誰かと触れ合えている実感があるのだ、と。


「ダメだったら、あなたが助けてくれるんでしょう?」

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