第13話 ココニイル
「ありがとう」
私たちが入れられていた牢屋の南京錠が解かれ、狭い空間からようやく解放される。
まだ脱出に成功したわけではないし、命の危険に晒されているのだが、それでも肩の荷がひとつ下りた気がした。
「肝心かなめの時にはあまり役に立ててないから、申し訳なくて素直に礼を受け取れる気分じゃないな……」
水内はガタイもいいし様々な知識と技術を持っている。
それでもこうなってから取りこぼしてばかりなことを気にしているのだろう。
仕方がないと言えば仕方がない。
彼は望み過ぎているのだし、背負い過ぎているのだから。
みんなが殺されたのは、決して水内のせいではない。
「か、鍵を開けるなんて、すっごく
すかさず清水がフォローしていたが、水内は口惜しそうな表情で「ありがとう」と返すしかなかったようだった。
「ねえ」
私は廊下に出て早々、この地下牢の入り口とその二重格子の向こう側にある階段を見やりながらがら言う。
「水内さんはこの後どうするつもり?」
「どうって……」
水内は私と同じ方向へと視線を向ける。
「ここの錠前を開けるつもりだが?」
つまり、二重になっている格子戸の南京錠をふたつ解錠し、更に階段の上にあるだろう扉にも鍵がついていたらまたそこも開けるつもりなのだろう。
「それよりも先に、黒瀬さんが入れられていた方の南京錠を外してもらえない?」
「……なんでそんなことを?」
水内は眉をひそめて私のお願いを
黒瀬はもう死んでいる。
しかも、先ほど化け物が逃げ込んだばかりなのだ。
開ける道理はない。
「黒瀬さんの牢屋の中だけど、じっくり観察した?」
「いや、そこまででもない」
私は水内の疑問に対して質問を重ねることで応えていく。
「とにかく見たのは事実でしょう?」
「ああ」
「なら、化け物の姿は見た?」
答えは言わずとも分かっている。
見ていないはずだ。
先ほどから私たちは色々している。
場合によっては隙にも見えるような態度を取ってもいた。
なのに化け物が襲って来る様子はない。
それどころか、物音ひとつ立ててはいないのだ。
ならば一番納得のいく結論はひとつ。
既にこの場から逃げ去ったのだ。
「黒瀬さんの牢屋の中に、あの化け物が入って来た通り道があるかもしれない」
「……おいおい」
私の狙いを察したか、水内は顔を引きつらせてぼやく。
「まさか――」
「そのまさか。階段を上っていっても、その先には罠がある」
豊田の言葉を信じれば、トラバサミが仕掛けられているはずだ。
他にもセンサーが仕込まれていて豊田に通知が行くだとか、予想もつかない致死性の罠だったりが仕掛けられている可能性があった。
つまり、虎口に飛び込むくらい危険な行為なのだ。
「でもこっちのルートはさっき化け物が入って来たルートだろ。その腕の傷を作ったヤツとばったり出くわす可能性もあるってことじゃないか。危険すぎる」
「罠よりはマシ」
あの『ナニカ』は、確かに力は強かった。
牙も肉を引きちぎるだけの鋭さを持ち合わせている。
だが、私でも対抗できた。
清水が蹴り飛ばそうとしたら逃げ出したのだ。
危険は罠より小さい……と、思う。
「ミリ・ニグリが一体とは限らないっ」
「…………?」
ミリ・ニグリ。
聞いたこともない単語が突然飛び出してきたため、思わず清水と顔を見合わせる。
「なんですか、それは?」
女性陣共通の疑問を清水が口にした。
「あっ」
問いかけられたことで、水内は一瞬しまったとでも言いたげな表情へと変わる。
それで、気付いた。
水内がずいぶんと事情に詳しかったことに。
彼はドクター・ドリームという幻覚剤の名称まで知っていた。
鍵開けという特殊な技能を持ち、特殊なツールまで持ち込もうとしていた。
ミリ・ニグリという、恐らくは化け物の名称を知っていた。
そしてなにより、彼からは自殺を望む特有の匂いがまったくしなかった。
「水内、さん……」
積み上げられた状況証拠が予想を疑念へと変わっていく。
テロリストは人質の中に仲間を紛れ込ませていることもあると聞くが、まさか水内もそうなのだろうかという荒唐無稽な妄想が現実味を帯びてしまう。
先ほどまでただの気のいい男性だと思っていた水内が、今は悪魔か何かのように思えてならなかった。
「…………お、俺は…………」
私と清水、ふたりの目を見て自分が疑われていることを理解したのだろう。
水内は一度視線を下に落とし、頭をガリガリと掻く。
彼はなにを隠しているのか。
なにを考えていたのか。
彼のことがなにも分からない、なにも知らないという事実が、否応なしに不安をかき立てる。
「悠ちゃん……」
私は一歩後退り、背中で清水を押してまた牢に戻ろうとした。
しかし――、
「違う。君たちの考えは間違ってる。俺は味方だ」
水内が頭を振って私たちの考えと行動を否定する。
だがその言葉が真実なのか、私には判断できない。
「俺は……」
苦しそうな顔。
傷ついている顔。
ためらっている顔。
演技なのか、本当なのか、まったく分からなかった。
「……言いにくいことでもあるの?」
水内の視線が虚空をさまよう。
「謝りたい、かもしれない」
血を吐くように、一言ひとこと絞り出していく。
それは、彼にとって罪の告白だった。
「本当は、どうなるか知っていた」
「え?」
「みんなで集まったあの時、俺は既に罠だってことを知っていたんだ」
「つまり――」
「違うっ」
内部情報を知っていたなんて、奴らの仲間である可能性の方が高い。
でも、可能性はもうひとつだけ存在した。
仲間であることを否定したのだからその反対側。
すなわち――
「つまり、敵ってことでしょ。話は最後まで聞いたら?」
「あ、ああ……悪い」
水内がガックリと肩を落とす。
諦めた、というよりは安心した、という感じだった。
「私たちを餌にしようとしたってことね」
「そんな、酷い!」
私の背後から清水が抗議の声をあげた。
これ以上苦しみたくないから自殺――人生から逃げるという手段を望んだのに、実際には地獄へと放り込まれてしまった。
門へと足を踏み入れたのは自分の意思だとしても、その出口が求めるところとは違う場所に繋がっていると知っていたのなら、それ以上は立ち入らなかったことは間違いない。
それを、水内は止めなかったのだ。
不満に思うのも無理はないだろう。
「ストップ、悠ちゃん。こっちも最後まで話を聞こう」
一度清水を諫めてから話に戻る。
「……餌、までは考えていなかったが、止めなかったのは事実だ。そう思われても仕方がない」
ただ、と続ける水内の顔は、今までで一番苦しそうだった。
「ここには二年前、俺の妹、
「――――っ」
2年前に、ここに連れて来られた。
その言葉がどれほどの絶望を生むのか、私にもよくよく分かる。
清水も、私と同じように息を呑み、絶句していた。
「……ごめんなさい。疑ったことは謝る」
「いや、いい」
多分、いや、確実に水内の妹は殺害されている。
生け贄とやらにされたか、それともあの豊田のおもちゃにされたのかは分からないが、少なくとも無事では居ないはずだ。
「…………」
「…………」
きっと、水内自身も既に妹である翠の命が亡いことは分かっていただろう。
それでも諦めきれなかった。
まだ生きていると信じていた。
信じたかった。
死体を確認していないという未知の希望に一縷の望みをかけていたのだ。
「……ねえ」
「なんだ?」
そんな危うい状態にあった彼が、ここを見てなにを想ったのだろう。
諦めたのだろうか。
この惨状を前にしても、まだ妹の生存を信じているのだろうか。
「……ミリ・ニグリって?」
私にはそれを確かめることは出来なかった。
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