第12話 ケツダン
「――――ッ!!」
私に噛みついていた『ナニカ』は声にならない息の塊を吐き出しながら飛び
この暗闇の中、ある程度見えて行動ができるほど夜目に優れているということは、間違いなく光に敏感なはず。
そんなヤツに一瞬強い閃光を当てればどうなるか。
結果はコレ。
とりあえずは、私の読みが勝ったというところだ。
「美亜さんっ!? その腕っ!」
私のことを名前で呼んでくれるようになった清水が大声で叫ぶ。
光源が私のスマートフォンしかないから、転がっていった『ナニカ』を見る事は叶わなかったのだろう。
「悠ちゃん、そっち! 気をつけてっ!」
スマートフォンを操作して、ライトを点けている暇はない。
わずかに光を放つ画面を『ナニカ』が転がっていった方向へと向ける。
そして――見た。
見てしまった。
「うっ」
「ひっ」
それは小さい猿のような見た目をして、全身が真っ黒い色をしていた。
始めは毛皮で覆われたサルか何かかとも思ったが、目の前の生物には一切体毛がないのだ。
ゴムのような質感の皮膚で全身が覆われていた。
顔は、カエルかなにかの顔面を、無理やりハンマーで叩いて引き伸ばし、人間の顔に成型しなおしたような見た目をしていて、思わず目を背けたくなるほどおぞましく、名状しがたい容姿をしていた。
「どうした、なにがあった!?」
騒ぎを聞きつけて目を覚ましたのか、鉄格子を越えて水内の声が届く。
「――変な化け物っ!!」
「分かった、すぐ行くっ!」
咄嗟でうまく言語化できなかったのにも関わらず、頼もしいことを言ってくれる。
ただ問題なのは、南京錠をピッキングして開けるまでは時間がかかるだろうということだ。
その時間をどう稼ぐか――。
「やぁっ!」
私が悩んでいる間に、清水がサッカーボールでも蹴るかのように踏み込み、大きく足を振ってつま先を叩きつけようとする。
ただ、そういう事に長けていないことや薄暗いことも相まって、目標を大きく外して格子の鉄棒で大きな音を立てるだけに終わった。
それが功を奏したのだろうか。
『ナニカ』はフシャァッと一度だけ息を吐いて威嚇したかと思うと、鉄格子の合間をするりと抜けて、逃げ出していく。
ただ、『ナニカ』は階段を上らずに、牢獄の奥へと走り去ってしまった。
そちらの方角には、薬で眠らされているであろう黒瀬と、南京錠を開けようと試みている水内が居る。
ふたりの身が危ない。
「そっち行った! 気をつけてっ!」
「――分かった!」
警告する以上のことはなにも出来ない身が、歯がゆくて仕方がない。
なんとかして状況を確認したくて鉄格子のところにまで行き、スマートフォンをかざして廊下の奥を確認する。
しかし、『ナニカ』の影すら捉えることができず、得られるものはなにもなかった。
カチャカチャという金属音が聞こえてくることが水内の無事を知らせる唯一の手掛かりである。
それが途切れることの無いよう、ひたすらに祈るしかなかった。
「ねえ、美亜さん。今のって……」
清水が、右の二の腕辺りにしがみついてくる。
とりあえず脅威が去ったから、今更ながらに不安が戻って来たのだろう。
「私にも、分からない。アレがなんなのか……」
というか、本当に生物だったのだろうか。
テレビでも図鑑でも、ありとあらゆる媒体でもあんな生き物は見たことがない。
ビッグフットやチュパカブラみたいな都市伝説やトンデモを扱う雑誌やサイトになら紹介されていそうだが、そういうのは存在していないことを分かっていて冗談で掲載しているのだ。
実在していると紹介されているわけじゃない。
もはや集団で夢を見ていたとでも思いこんだ方が説明がつきそうだった。
「サルの前身の毛を剃って特殊メイクを施して、人を襲うように訓練する……みたいなことをしたら出来なくもないかもしれないけど……」
そんな手間なことを豊田がするだろうか。
しそうと思えばしそうだし、やりそうにないと思えばやりそうにない。
分からない、という結論にしかならなかった。
「――つっ」
ズキンと、左腕の傷がうずく。
襲われた時に分泌されたアドレナリンが切れて、痛みを自覚し始めたのだろうか。
とにかく一度痛いと自覚したら、ズキズキと痛みが脳内で大暴れし始めてしまった。
「……ごめん、まだ水は残ってたかな?」
止血のために右手で服の上からしっかりと傷口を押さえてから清水の方へと顔だけを向けて尋ねる。
なにかしら病気でも持っていたら危険だ。
破傷風にでもなってしまったら、腕を切断する羽目になってしまう。
「あっ、傷……」
私の渋い表情を見て、傷の存在を思い出してくれたのだろう。
清水は慌てて足元を探ってくれる。
「……ごめんなさい。お水は全部飲んじゃってた……」
見つけたペットボトルを拾い上げ、暗い顔でプラプラと左右に振って中身がないことを教えてくれた。
「謝らなくてもいいよ。私も飲んだし」
こんなことなら豊田の顔面にぶちまけたりしなきゃよかったと後悔する。
まあ、あれは何か変な物を混入されていないか知るために必要なことだったのだが。
「――そういえば黒瀬さんはまだ飲んでないかもっ」
「あ」
言われてみれば確かにそうだ。
豊田が食料と水を持ってきて、そこからすぐに黒瀬は逃げ出して――失敗した。
飲み食いする時間はほぼゼロに等しい。
清水の言う通り、まだ残っている公算は十二分に存在した。
しかし、問題がひとつ。
水内が作業を続ける物音はまだ聞こえてきている。
ということは、あの化け物は黒瀬の牢に逃げ込んだ可能性が高かった。
「いずれにせよ、水内さん待ち、ね」
私が自嘲気味にそう呟いたところで、「開いたっ」という声と、カチャンっという一際大きな金属音が聞こえてくる。
「水内さん、気をつけてくださいっ」
「黒瀬さんの牢に化け物が潜んでいる可能性がありますから」
清水の注意を私が更に補足する。
「分かった」
キィッと金属の擦れる音がした後、水内の足音がだんだんと近づいて来る。
そして……止まった。
水内の持っている懐中電灯かスマートフォンか何かと思しき光が、鉄格子の前でゆらゆらと揺れているだけ。
まだ、彼の姿は見えない。
「……なにか、あった?」
返事は、ない。
「ねえっ」
しつこく応答を求めると、一拍の後に、
「…………ここを逃げよう」
なんて言葉が返って来た。
「…………」
「なんで?」
不思議そうに首をかしげる清水に、曖昧な表情を浮かべてみせる。
私と清水、そして水内の三人で眠りにつく前に話し合って結んだ約束がある。
暗くて道が分からない。
黒瀬が意識を失っている。
水や食料もない。
その他もろもろ、今脱出するのは不安材料が多いため、明日また考えようという結論に達したのだ。
だから、今逃げることはしないはずなのだ。
「悠ちゃん」
水内の言葉の真意に気づいてしまった。
でも、分からない方が、良かった。
ここから逃げ出すのに一番問題だったのは、薬で意識を失っていた黒瀬が動けなかったこと。
その問題が、解決した。
つまり、答えはひとつしかない。
「黒瀬さんが、亡くなったの」
「――――っ」
清水が口元を押さえて息を呑む。
やっぱり、私と違って優しい娘なのだ。
私はショックはあったがどちらかといえば罪悪感が先に立った。
黒瀬は豊田に幻覚剤をかがされたから、あの化け物に襲われても目覚めることができなかったのだが、それは私が逃げろと彼女を煽ったことに端を発する。
そう、私も原因の一翼を担っていた。
「…………」
少女の視線に非難はなかったけれど、だからこそ私にはそれが痛かった。
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