第10話 ココニイタリユウ

 この地下牢は、狭くて暗くて汚くて正体の知れないすえた匂いが常に充満している。


 その上肌寒さまで感じられ、まともにくつろげる場所ではない。


 そもそもを言えば、儀式とやらで使われるために拉致監禁され、いつ殺されるか分からない状況にあるのだから心穏やかに居られるはずがなかった。


「清水さん、寒いんじゃない?」


 私は体育座りをして両足に顔をうずめている少女に声をかける。


 セーラー服を握りしめている手が震えているのは、恐怖だけが理由ではないだろう。


 光が一切入ってこないこの場所からは知るべくもないが、外の世界では既に陽が沈んでいる時間帯だ。


 太陽の恩恵にあずかれなくなった地面が、つまりは私たちの閉じ込められている牢を構成する物質が、冷え始めたのだ。


 なにかしら対策を立てるのは急務といえた。


「…………」


「……なんて、私が寒いだけなんだけどね」


 少女はなにも応えてはくれない。


 先ほど脱出に失敗したことで、絶望が心を蝕んでいるのだろう。


 私は努めて明るく振る舞い、「隣に座ってもいいかな?」と問いかける。


 やはり返事は無かったが、緊急時を言い訳にして強引に座り、肩をよせた。


「ちょっとアレだけどさ、なにも無いよりはマシだと思うから……」


 私が先ほどまで座っていたゴザを持ち上げ、バサバサと振るって裏側についていた土を落とす。


 あまりにもみすぼらしい防寒具だったが、なにも無いよりはマシだろうと判断してのことだ。


「肩にかけていい?」


 返事を待たず、私は自分と清水の体をゴザで覆う。


 ただ、ゴザは毛布と違って布特有の柔らかさを持ち合わせておらず、手を離した途端にストンと地面に落ちてしまった。


「……むぅ、うまく行かないね」


 今度は私たちを具にした手巻きずしを作るような感じでゴザを巻き付けると、両端をふたりの間で合わせて指でしっかりと掴む。


 思っていたよりも暖かくないとか、ゴザに沁みついていた変な臭いがしてきたとか、色々と問題はあったけれど、とりあえずはマシになったと思いたかった。


「…………」


「…………」


 しばらくの間、ふたりして無言のまま体を寄せ合う。


 拒絶されることは無かったので、私がしたことは要らぬお節介ではなかったのだと思う。


「……あのさ」


 少しだけ、少女の震えが治まって来たのを感じて口を開く。


「あなたは、人が信じられなくなったって言ってたよね」


 私たちが自殺をするために集まった時、全員揃うまでは間があった。


 その際、先に来た人たちの間で少しだけ話をしたのだ。


 もちろん流行だとか好きなものだとか、そんななんでもない世間話ではない。


 何故死にたいのかを、だ。


「……そう思ったのはなんでなのかな?」


「…………」


「難しかったら無理しないでね。話したければでいいから」


 やはり何も言ってはくれない。


 拒絶されたかと思って居住まいを正すと、


「…………す」


 こちらにギリギリで届かない位ちいさな声で呟いて、きゅっと私の手首辺りを指でつまんできた。


「うん」


 本当は聞こえなかったのだけれど、それを正直に言ってしまうと、清水の出鼻をくじくことに繋がるかもしれない。


 だから私は力強く頷いてから、頭を傾けて少女の口元に耳を近づけた。


「私は、本気で好きだったんです」


「……うん」


 本音を言えば、私は恋愛が苦手だ。


 男の人を好きになったことなどない。


 当然、女の人もだ。


 誰かを好きになるという感情そのものが希薄で、理解することができなかった。


「でもユウ君はそうじゃなかったみたいで……」


「うん、それで?」


「少し、したら……別のひとと……」


 感極まって来たのか、涙で言葉がつまり、しゃくりあげるせいで呼気が乱れる。


 私の服を摘まむ指先が、力を入れすぎて真っ白になっていた。


「それ、それっからっ……周りの、みんなっもっ……」


「うん」


 聞き取りづらい話を拾い集めて整理すると、彼女が悩んでいたことの本質が見えて来た。


 どうやらそのユウ君とやらは女子生徒の間で人気のある存在だったらしく、付き合っている頃から女子の間では相当ひがまれていたらしい。


 だが、別れたことでそれが変な方向へと暴走を始めてしまった。


 捨てられたのは清水に問題があるからだと、あることないこと言いふらされたそうだ。


「それは……辛かったんだね」


「うんっ」


「痛かったんだね」


「うんっうん……っ!」


 失恋の痛みなんてみんな味わっていることだ。


 ちょっと悪口を言われたり陰口を叩かれたりするなんて、口さがない連中はいくらでもいる。


 だからその程度のこと――なんて、私はこれっぽっちも思わない。


 傷は、傷だ。


 痛い。


 とても痛い。


 うずいて、いたんで、むしばんで、さいなんで来る。


 傷の大きさなんて関係ない。


 たまにこういうことを言う人がいる。


 戦災孤児なんてかわいそうだろう。それに比べたら日本に生まれた時点でお前は幸せだ、と。


 そんなはずがあるか!


 そんな訳があるかっ!


 もっと大きな傷を抱えた人が居るから、それよりマシな私は不幸じゃないなんて、傷が痛くないはずだなんて、おためごかしもいい所だ


 傷は、みんな等しく痛いのだ。


「でも……それなのに……次があるよって、我慢したらって……」


「そう……」


 その言葉はきっと、失恋して出来た傷を更にえぐったのだろう。


 理解してもらえない。


 自分の辛さを分かってもらえない。


 孤独。


 周囲と心が断絶する。


 それは死に至る病とも言われるものだ。


 だから彼女は人間ひとが信じられなくなった。


 そして彼女は死を望んだ。


「あのさ……」


 お母さんやお父さんはどうだったのか、なんて聞いてしまいそうになって、慌てて口をつぐむ。


 もし本当の意味で味方に、理解者になってくれていたのだとしたら、清水は今この場に居ない。


 味方であってくれたとしても、想いまでは理解してもらえないのだ。


「私は恋愛とかよく分からないから、そっちの辛さは分からないんだけど……」


 孤独の辛さは、よくわかる。


「……私は基本的にひとりぼっちでね。誰か特別仲がいいひとは居ないし、なにか大切なことを打ち明けられるひとも居ないし、悲しみや喜びを分かち合えるひとも居なかった」


 だって、私も孤独ひとりだったから。


 私の周りには、私を理解してくれる人は誰も居なかったから。


「ずっとずっと、人生ってそんなものだと思ってたけど……気づいたら、あの場所に居たんだ。自殺したいって思ってるみんなと」


 生きるのが辛かった。


 死んだ方が楽だと思ってしまった。


 ひとりは寂しかった。


 でも誰とも理解し合えなかった。


 誰も理解しようとしなかった。


 きっと私は変われないし変わらない。


 私なんてそんな存在もの


「簡単に分かるなんて言葉、使っちゃいけないって思うけど、ひとりだけ世界から取り残されたようなあの感覚は、理解してるつもり……かな」


「静城……さん」


 いつの間にか、清水が顔をこちらに向けていた。


 ぱっちりと目は大きく、とても愛らしい。


 涙に塗れたまなざしは、ちょっと胸の奥がうずいちゃうくらいに魅力的で、綺麗なドレスを着させて引き出しの一番奥にしまっておきたい欲求に駆られてしまいそうになる。


 こんな繊細で一途ないい子を振るだなんて、ホントもったいないことをするものだ。


「生きるって難しいよね。みんな、なんで出来るんだろ」


「……なんで、だろ」


「ねー」


 結論。


 私たちはやっぱり生きたいなんて思えない。


 でも、こんな所で無様に殺されるのはご免こうむる。


 あの変態殺人鬼のお嫁さんだなんて、絶対に願い下げだ。


 だから……。


「でもさ」


「うん」


「逃げ出したいよね」


 私があえて『生きよう』なんて言葉を使わなかったことに気づいただろうか。


 その理由は分かってくれただろうか。


 隣から、あっと小さく息を吐く気配が伝わって来る。


 肩にのっかる重さが増えたのは、きっと気のせいじゃないだろう。


「うん、逃げ出したいね」


 そうして私たちはちょっとだけ。


 本当にちょっとだけ、笑う事が出来たのだった。

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