第8話 センタク

「言っただろぉ? 無、理、だって」


 言葉をひとつずつ区切り、嫌味ったらしく強調する。


 目論見がうまく行ったからか、鼻高々とした様子であった。


「……罠、ね」


 黒瀬の悲鳴が聞こえて来たという事は、比較的近い位置なのだろう。


 もちろん考えなかったわけではない。


 しかし、この男がやって来たという事は、通る道は存在するはず。


 冷静になれば安全なルートを見極めることも出来ただろうが、混乱しきった彼女には不可能な芸当だったのだろう。


「そうそう、トラバサミって知ってるかな。踏んだ瞬間、ギザギザの刃が付いたわっかがバクッと足に噛みつくんだよねぇ」


 なるほど。


 そんな凶悪な物を入り口周辺に仕掛けていたというわけだ。


 粘着質で衝動的な様に見えるが、意外に慎重な側面も持っていたのか。


「痛そうだねぇ。可哀そうだねぇ」


「わざと痛いのを選んでるんでしょ、あなたが」


 私の指摘に対し、豊田はまたもカカカッという独特の笑い声をあげる。


「ちなみに日本では違法なんだよねぇ。でも君の言う通り、愉しいから使わせてもらってるよぉ」


 こいつの相手をしている暇などない。


 私は視線を横へ――男性ふたりの方へと向ける。


 水内みないは長身でやせ型、髪を短く切り揃え、真面目な顔をしているのにどこか微笑んでいる様な、そんな柔らかい雰囲気を纏った男性だ。


 そんな水内は悲痛に顔を歪め、ベージュのコートを血に染めながら、既に事切れているであろううえきの死体に、無我夢中で蘇生を試みていた。


「早く黒瀬さんを助けに行って! 樹さんはもう無理!」


「え――?」


 今ここに、輸血などの治療を施せる機器とそれらを扱える技術を持った者が居れば、樹はかえって来られるのかもしれない。


 しかし、こんな場所では望むべくもない。


 なら、命の選択をしなければならなかった。


 冷静に、冷酷に。


 命を数と可能性で考えてはかりに乗せ、より多く助かる方を選ばなければならなかった。


「おや、自己犠牲までするんだぁ」


「そんなのじゃない」


 このまま呆けてたら一人も助からない。


 でも、助けに行けば、ふたり……最低でもひとりは助かるのだ。


 こんなこと、勇気を振り絞ってくれた年端もない少女の前では口にできないけれど。


「自己満足が正解」


 ……ごめんなさい。


 私はあなたの命を諦めてしまった。


「クハッ!」


 その笑いは、どんな意味を持つのだろう。


 私たちおもちゃが豊田の予想を飛び出したこと嘲笑ったのだろうか。


 はたまたその逆で、見ようによっては三文芝居を大真面目にしていることを嗤ったのか。


 私には理解できなかったが、少なくとも腹が立つことだけは確かだった。


「水内さん、早く行って!」


「だ、だが……」


 水内は私と豊田、そして清水と順に視線を移していく。


 ここで黒瀬のところに行くという事は、私たちを見捨てるということである。


 でも、それは仕方ないのだ。


 ナイフを持った人間なんて、暴力のプロである警察であっても拳銃を使う案件である。


 背が高く、マッチョというほどではないがそこそこに筋肉がついている水内であっても、素手で立ち向かうのは無謀に過ぎた。


 ここは私たちを見捨てる方が正しい。


「黒瀬さんを助けてあげて!」


「ねえねえ」


 そんな私の決意を邪魔するべく、悪意の塊が動いた。


「こうすれば――」


 手にしたナイフの切っ先を、私の首筋へ向ける。


「――君はどうするかなぁ?」


「ぐっ」


 ぎしりと、水内の体が強張る。


 ああ、きっと水内さんはこういう命の選択をするのが苦手な人なのだ。


 声を聴いた時にも思ったが、そういう優しい――悪い言い方をすれば甘い男性だった。


「早く行って! 分かるでしょ、大人なら!!」


 頭の中で理解できたとしても、眼前で選択することを迫られたら、本当に正しい路を選べる人は少ないだろう。


 だから私は必死で懇願した。


「きちんと言った方がいい? 鍵を地面に置いて、自分の意思で牢屋に戻れ。でなければ彼女を殺す――って、か~っこいいねぇ! 映画の悪者になった気分だよぉ」


「無視して、水内さん。行って! 早くっ!」


「~~~~っ」


 水内は口をへの字口に曲げて渋面を作り、ただひたすらに悩んでいた。


 悩んで悩んで……時間に背中を小突き回され――。


「ひとつだけ条件がある」


「なにかなぁ」


「黒瀬さんを、五体満足でここに戻してくれ。怪我をしていたら治療をしてやってくれ。いいだろう?」


「水内さんっ!」


 ここに居れば私たちに待っているのは死、だけだ。


 水内さんの判断は、その死をただ先延ばしにするだけにすぎない。


 今だけが、生存者を出す唯一のチャンスかもしれないのだ。


「静城さん」


 水内が手のひらを私に向け、言葉を遮った。


「まだ、チャンスはあるかもしれない。だから、待とう」


「あれあれあれぇ? 僕が居ることを忘れてないかなぁ」


「……今が、一番大きいと思うけど?」


 豊田がなにか茶々を入れてきているが、まるで合わせた様にふたりして黙殺する。


「それでも全員助からないなら相応しいチャンスではないと思う」


「…………」


 きっと水内は譲らないだろう。


 ふたりもの人間を見捨てることなど出来ないだろう。


 彼はきっと、そういう人間なのだ。


「……わかった」


 私が不承不承ふしょうぶしょううなずくと、水内は小さく、そして苦しそうに微笑んでから、キッと鋭い視線を豊田に向けた。


「豊田、さっきの条件を呑むならお前の言う通りにする」


「呑まないなら?」


「ここを出て、ついでに南京錠を下ろす。鍵は今俺が持っているんだ。困るだろう?」


 豊田は軽く何度か頷き、「いいよ」と条件を受け入れた。


「それから、樹さんも丁重に埋葬してやってくれ。頼む」


 埋葬の件を、お願いという形にしたのは要求を大きくし過ぎて断られる可能性を勘案してのことだろう。


「それはさすがにお断り……と言いたいところだけどぉ、それも受け入れてよ。薬漬けで病気の肉はまずいんだよねぇ」


「礼は言わない。最初からお前のせいだからな」


「はぁいはぁい。それじゃあ鍵を返してくれるかなぁ」


 豊田はめんどくさそうに頷くと、ナイフをしまってからっぽになった手を突き出した。


 だが、水内はそれに対して首を横に振ることで拒絶する。


「まずは黒瀬さんを戻してからだ」


「……僕が美亜ちゃんを人質に取ってるって分かってる?」


「私があなたを拘束しているってことは分かってる? というか気安く名前で呼ばないで」


 他の人はどうだかわからないが、私は私の命を勘定に入れていない。


 例え今すぐ殺されるとしても、なんとも思わなかった。


「はぁい。分かったよ、奥さん」


「気持ち悪いから止めて」


「先にあのオバサンを連れて戻ってくる。オーケー?」


「…………」


 一度強く腕を捻ってから豊田を解放する。


 ただ、その程度ではなんの痛痒も与えられなかったようで、豊田の顔面は1ミリたりとも動かなかった。


「…………」


 拘束を解かれたというのに、豊田はなぜか動こうとはせず、己を抱きしめて固まっている。


 もしや考えが変わったのかとまた飛び掛かれるように警戒していたら――。


「ん~、いい匂い」


 豊田は私が捻り上げていた方の腕を鼻先を押し付け、クンクンと私の残り香を執拗に嗅ぎ始めた。


「えへへへぇ。これが美亜ちゃんの香りかぁ」


 しかもその顔は、まさに恍惚こうこつといった感じでデロデロにとろけている。


「――――っ」


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いっ。


 本当に、心底しんそこ性根しょうねから腐りきっていた。


 だが大きな反応をみせればまた悦ぶだけかもしれないので、グッと胸の奥に押し込むしかなかった。


 それから私の匂いを十二分に堪能した豊田は、上機嫌で階段を昇って行ったのだった。

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