第6話 カギ

「――なるわけないでしょっ」


 いつ殺されるか分からないような相手とつがいになる趣味はない。


 その上、4番目?


 例えまともな人であっても女性を何人も囲って喜んでいるような、不誠実極まる男を好きになることなど絶対にあり得ない。


「そう? 一生幸せにするよぉ」


「――――っ」


 反射的に、そんな訳は無いと怒鳴り返そうとして――思い直す。


 違う、おかしい。


 さっき言っていたことと矛盾する。


 いや、もしもならば矛盾はしない。


 けれどそれはあまりにも最低最悪すぎる。


 私には到底受け入れられない。


「…………その自称奥さんたちは――」


 言葉にして確認するのにためらいが生まれる。


 確かに黒瀬の言う通り、私は豊田から好感を持たれているため殺されにくいだろうという安心感が、心の片隅にはあったのかもしれない。


「生きてるの?」


 豊田は忙しいと言った。


 そして、水をひとりで抱えてこの場所に持ってきた。


 つまり、他の誰かに手助けしてもらうことは出来ない事を意味する。


 4人も人手があるのならば、脅してでも死体を解体させたり、水を持ってこさせたりするくらいは出来るはずだ。


 それをしないとなると、考えられる可能性はひとつ。


 既に殺されているから。


「…………なんでそう思ったのかなぁ」


「別に」


 私は理由を懇切丁寧に説明する探偵ではない。


 豊田の言葉の端々から推測して気づいた、なんて正直に言って警戒されようものなら、今後不利にしか働かないだろう。


「あなたみたいな人と、喜んで結婚するはずがないから」


「それは心外だなぁ。みんな喜んでくれてるよぉ」


「そう、じゃあちょっと連れてきて紹介してくれる? 私がもし四番目の奥さんになったとしたら、仲良くする必要があるでしょ?」


「…………ひとりは親父と一緒に出ててね」


 一瞬の間こそ答えだ。


 誰もこの場に連れて来られない。


 よしんば生きていたとしても、自ら歩いて来ることが出来ない状態にされているのは確実だった。


「あっそう」


 私はそっけない態度でそれだけ言い残すと、豊田から自分の体を引きはがす。


 豊田も、それ以上私を引き留めることはしなかった。


「清水さん」


 私は干し肉についてしまった土を払いながら、部屋の隅でうずくまっている少女に声をかける。


「今、立てる?」


 私の問いかけは、少女の頭頂部にあたって虚しく落ちる。


 清水はまだショックから立ち直ることが出来ないのだろう。


 だが、それでは困る。


 彼女の為にも、今すぐにでも立ち上がってもらわなければ、とても困る。


「……聞いて欲しいことがあるんだけど」


 一度振り返って豊田が他の3人へと食料を渡しに行っていることを確認してから清水の側へと駆け寄った。


 そして彼女の耳元に唇を寄せると、


「――――」


 とある内容を口にする。


 その効果は劇的で、先ほどまでの態度が嘘であるかのように、清水はバッと顔をあげた。


 目はパッチリと大きく、まつ毛も長い。


 頬もぷっくりとしていて、唇も厚く、コケティッシュな感じのする可愛らしい少女だった。


 ただ、うっすらと施されていたであろう化粧が、今は涙に溶けて流れ、指摘できない程度にはひどい状態になってしまっている。


 まあ、鏡が無いので確認できないのだが、私も同じく酷い状態なのだろうけれど。


「出来る?」


「……あ……」


 突然すぎて、まだ踏ん切りがつかないのだろう。


 弱々しい瞳を私へと向けてくる。


「絶対、やってほしいの」


 しかし、一応彼女の意思を確認してはいるものの、拒否させるつもりはない。


 彼女が動いてくれなければそもそも始めることが出来ないのだ。


 必ずやってもらうつもりだった。


 ……ふと、今の行動が私の上司と被っていることに気づき、なんとも表現のしづらい奇妙な感覚を覚えてしまう。


 私はこうして自分の行動を無理やり他人に強制され続け、自殺を考えるほど追い詰められてしまった。


 なのに、追い詰められた先で私も同じことをしているなんて、滑稽な話に思えてしまったのだ。


「な、んで、笑ってるの……?」


「これは、自嘲。私はバカだなぁって」


 軽く頬を叩いて表情を変える。


 安心できるように、自信に満ちた、それでいて親しみやすい笑顔に。


「ごめんね。本当は私が全部できればいいんだけど、それは難しいから、お願いしてもいいかな?」


「…………」


 清水の視線があらぬ方向へと泳ぐ。


 きっと彼女は分かっている。


 しなければならないと。


 でもそれと怖いのとは別だ。


 やらなきゃいけないのに、やりたいと思っているのに体が動かないなんてこと、私はよく分かっている。


 出来ないことは、出来ない。


 心構えとか、気の持ち様とかで何とかなることはないのだ。


「……はい、お水。少し飲んでおいて。無理なら唇を湿らせるだけでもいいから。楽になるよ」


「あ、ありがと」


 水の入ったペットボトルの蓋を開けてから清水に渡し、キャップを手に握らせる。


 それで準備は終わり。


 あとは決意を固めておくくらいだろう。


 私だって、誰かに対して死んでもいいという想いを込めて暴力をふるうのは初めてのことなのだから。


「ねえ」


 食料を配り終え、鉄格子の前を通り過ぎて行こうとした豊田がこちらへと振り向く。


「なにかな?」


「干し肉、汚れてるから食べられない。持って帰って」


 ずっと持ち続けていた干し肉を手のひらの上に乗せて、豊田へ見せる。


「……ちょっと地面に落ちただけでしょぉ?」


「その地面が問題。あなたがここで人を殺して血をぶちまけたの、忘れたの?」


 私が目を覚ました時、豊田は名前も知らない男性の腕を切り落とし、頭蓋をカチ割った。


 その光景は、まだ網膜に焼き付いている。


「ちょうどいいスパイスじゃないか」


 冗談のような反論だが、鼻を鳴らして抗議してくる様子からして本気なのだろう。


「私たちは食べられない」


「……はぁ。まったく、我がままだなぁ」


 豊田は頭をボリボリ掻くと、めんどくさそうに近づいてきて手を伸ばす。


 それを、待っていた。


 私は干し肉を持っていた方の手で、豊田の手を掴み、逆の手で襟首を掴む。


 そのまま彼がなにも反応できないでいる内に、思いきり引きよせた。


「ぐっ」


 さっき私がやられたことの再演。


 豊田の額と頬骨が鈍い光を放つ鉄の棒に勢いよくぶつかり、派手な物音を立てる。


 だが私の目的はそんなことではない。


 腕を捻り上げて豊田に関節を決め、首に腕を回して鉄格子ごしに豊田の体を固定する。


 そのまま、


「行けるっ!?」


 背後に向かって声だけで確認をする。


 無理でも、構わない。


 清水ができないのなら、私がこのままこの男を絞め殺せばいい。


 抵抗が無くなれば、ゆっくりと鍵を奪うことが出来る。


「あ……あ……」


 やっぱり動けないか。


 殺人鬼には近づくのも怖いだろう。


 仕方がない。


 そう思っていたのだけれど――


「う、うんっ」


 清水はバタバタと足音を立てながら走り寄ってくると、すぐさましゃがみ込んで豊田のズボンに付いたチェーンを外しにかかる。


「ぎ……み……」


 豊田の力は、外見からは予想も出来ないほど強い。


 体勢が崩れ、満足に力を入れられないはずなのに、それでも私の腕をじりじりと押し上げてくる。


 これでは絞め殺すなんて不可能に近いだろう。


「アンタに……抱き着いて、あげてるんだから、喜べば!?」


 悪態をついてる間に、私の腕は首からはがされてしまっている。


 これが男の人の力。


 正直舐めていた。


 ちょっと先手を取ったくらいではひっくり返せないほど差がありそうだった。


 私が諦めかけたその時、


「外れたっ」


 嬉しそうな声で清水が叫ぶ。


 なにが外れたのかは言わずもがな。


 鍵束と、豊田を繋ぐチェーンだ。


「隣に投げてっ!」


 今、この鉄格子の鍵は外すことが出来ない。


 でも、隣と更にその隣、すなわち黒瀬と水内、植木の入れられている牢獄は別だ。


「うんっ」


 返事と共に、ジャラジャラと騒音を奏でながらチェーンの付いた鍵束が地面を滑っていく。


 これが黒瀬の手に渡れば、私たちは解放される。


 しかし――。


「ちょっとおいたが過ぎるんじゃないかなぁ」


 拘束が、外れてしまった。

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