第4話 ジサツガンボウ

「アンタ、頭おかしいんじゃないの!」


 女性のものと思しき声は、男性よりも更に近い位置から響いてきた。


 多分、お隣の房に入れられているのだろう。


 物言いにこそ少し含むところが無いでもなかったが、とりあえずこれで4人の無事――といっていいのか分からないが――を確認することが出来て、少しだけホッとする。


「あんな狂ったサイコパスが近くに居るかもしれないのに、あんな大声出してさ。それとも自分はあいつに好かれてるから安全だとでも思った? どんだけ自分勝手なのよ!」


「…………」


 自分だって今ヒステリックに喚きたてているじゃないかと反論したかったが、ここはぐっと我慢する。


 そういえば残る一人の女性、確か名前は黒瀬くろせ由香里ゆかりと名乗っていたか。


 彼女は私の働いていた会社にも居る、いわゆるお局様と言われる様な類の人種だった。


 自分の人生がうまく行かない原因を他人に押し付け、ひたすらに非難する。


 それが原因で更に人生は破綻していくのに、決して直そうとしない。


 関わり合いになるだけ損というタイプだ。


 黒瀬は肩にまでかかる髪の毛先をまっすぐ揃え、前髪は73分けにしており、比較的整った顔の上に黒縁の四角い眼鏡をかけている。


 ただよく見ると眉間に小じわがいくつも出来ていた。


 今の言動から察するに、どうせ毎日こんな感じに当たり散らしているのだろう。


 こういう相手は黙っておくに限る。


 私は今までの人生でそれを学んでいた。


「あなたは私たちを危険に晒したの! 理解してる!? ねえ! ねえっ!!」


 耳障りな金属音が連続して聞こえてくる。


 猿のように鉄格子をゆすっている姿が、まるで見たことのある光景であるかのように、はっきりと脳裏に浮かんだ。


「聞いてんの!? これだから若い子はさぁ……!」


「失礼、少し気になることがあるので私の話を先にさせていただいてもいいですか?」


 文句は愚痴へと変わり、なんら建設的な話が出てきそうにもないことを察したのだろう。


 男性がやんわりと間に割って入ってくれる。


「私がまだ――」


「命に関わるかもしれませんから!」


 怒気が混じり始めたのを敏感に悟ったのか、黒瀬はピタリと口を閉ざした。


「ありがとう。……それで、君はー……えっと……」


 私の呼び方が分からないのだろう。


 素直に自分の名前を伝えると、男性は一度私の名前を舌先で転がしてから自己紹介をしてくれる。


水内みないそうだ。よろしく、静城しずきさん」


「挨拶よりも急ぐ案件があるんじゃないの?」


 黒瀬の嫌味に思わずため息が漏れ出てしまう。


 こんな時であろうと、否、こんな時だからこそ、彼女の八つ当たりは止まらないのだ。


「静城さん。君を除いて1時間前には全員が目を覚ましていたんだ。使われたのはドクター・ドリームなんて呼ばれる幻覚剤の亜種だと思うんだが、体に異常はないかな?」


「え?」


 言われて体を撫でまわして確認してみるが、なにもおかしい所は感じられない。


 感覚も気になるところは多分ない。


 空腹なのは、半日の間なにも食べなければ当たり前だろう。


 気分は最悪だったが、それだっていつもの事だった。


「少し副作用が大きい麻薬なんだ。何かあったら遠慮せずに言ってほしい。……もちろん黒瀬さん、あなたもだ」


「……問題ないわよ」


「それは良かった。じゃあ、次だ。というかこれが本題だけれど……」


 これからどうするのか。


 そんな言葉を告げられたけれど、私の答えはひとつだけ。


 どうしようもない、だ。


 鉄格子は頑丈で、人間の力では小動こゆるぎもしない上、私の手のひらくらいはある南京錠でがっちりと施錠されている。


 じゃあ床や壁を掘るのはどうかというとそれも難しい。


 地面を人が通れるほどの大きさになるまで掘るには時間がかかる。


 その間にあの気持ちの悪い殺人鬼がやってきたら、見つかって終わりだ。


 じゃあ壁はとなると、昔ながらの土壁は、とても頑丈で重い。


 例え破ったところで隣の房と繋がるだけで、脱出には全く繋がらなかった。


「逃げるに決まってるでしょ!」


「……自殺するために集まったのに?」


 黒瀬の言葉に、私は思わず突っ込んでしまった。


 そう、私たちは自殺するために集まったメンバーだ。


 そもそも死んで構わない人間のはずなのだ。


 豊田という殺人鬼に殺されるのは嫌だが、自分で自分を終わらせることにはさして抵抗感は無かった。


「わ、私はこんなところで死ぬなんてまっぴらごめんなの! それにあんな奴に殺されるのは絶対に嫌!」


「そう、それもそうね」


 私は構わなくても他人がそうとは限らない、なんて当たり前の話をしたいわけじゃない。


 少しだけ、可哀そうだと思ってしまったのだ。


 私と同じ牢の中で震えている少女が、未来を失ってしまう事が。


「でもこのままだと、あの変態に殺されて終わりだと思うけれど、どうするの?」


「…………」


 この状況を好転させる方法を、簡単に思いつけば苦労はしない。


 そもそも理不尽を回避できる生き方ができたのであれば、私たちは死にたいなんて思っていないだろう。


 職場で上司に怒鳴られ、同僚には愛想笑いを浮かべ、魂が摩耗しながら生きる意味すら見失うなんてことにはならないだろう。


 恋人や友達なりと心からの笑顔を浮かべて楽しい人生を生きていけたはずだ。


「……アンタ、あの変態に気に入られてたみたいね」


「かもね」


「ならアンタがアイツを誘惑しなさいよ!」


「はぁ?」


 そもそも豊田は、命の価値をよく分かっていない子どもが、愉しく遊べるオモチャを見つけた時と同じ目で私を見つめていた。


 決して好意の目なんかではない。


 もしそういう意味が混じっていたとしても、間違いなく、殺される以上のことをされてしまうだろう。


 冗談じゃない。


「なんで私が」


 頭にウジ虫でも湧いているんじゃないだろうか。


 嫌味を言ってくる様なヤツのために、体を差し出すつもりは無い。


「アンタひとりが犠牲になれば、他の全員が助かるかもしれないでしょ! ひとりと四人、比べるまでもないじゃない」


「あなたが自分の体を差し出せばいいでしょう?」


 相手にしないのが一番だとは分かっている。


 でもこれは相手にせざるを得なかった。


 もし本当に私が生け贄にされてしまったら――。


 考えただけでもおぞましい。


「アンタの方が可能性があるからよ! 私はみんなの為を思って言っているの!」


「いつの間にあなたがとやらの代表になったんですかね」


「待った待った、俺はそんなことは望んじゃいない。うえきさんもそうだろう?」


 売り言葉に買い言葉。


 際限なくヒートアップし始めた私と黒瀬の口論に、男性――水内が割って入った。


「……ああ」


 樹と呼ばれた男の人は、ずいぶんとくたびれた様子だった。


 壮年の彼は、確か重い病気にかかっていて先がないから死にたいんだったか。


 生きているのが辛い。


 その上未来が無いのが決まっているというのは、かなり息苦しいだろう。


「私も、お嬢さんを犠牲にしてまで助かろうとは思わないよ……」


「それにどうやって逃げるかも分からないだろう? もしここが人里離れた山の中だったら、歩いて逃げるのは不可能だ」


 ――水内の言う通りだ。


 バンの中で練炭自殺を試みた場所ですら町はずれの山のふもとだった。


 そこから私は8時間、他の人は7時間意識を失っていた。


 仮に6時間、バンを使ったと仮定すると、最低でも100、200キロは移動したはずだ。


 たいして体力があるわけではない私を含めた女性陣が、飲まず食わずで移動できる距離ではない。


「だから! その女と車を交換して――」


「既に捕まえているのに交換してくれるとは思えない。モノにしたいのなら力づくで襲えば……ってこれは失礼すぎるな。申し訳ない静城さん」


「いいえ」


しろって言ってるのよ、私は!」


 自分が痛まないから平気で他人に傷を要求する。


 私が一番嫌いな人種だった。


 なにか最高に痛快な返しが無いか、記憶の中を掘り返そうとして――。


「…………はぁあはっ」


 鉄で出来た境界線越しに、殺人鬼と、豊田とよだ象吉しょうきちと目があった。

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