第3話 カンキン
私が押し込められている牢獄は、だいたいタタミを2枚並べて敷いたより気持ち広いくらいの大きさだった。
窓は無く、壁も床も天井も、全てが土で固められている。
唯一入り口だけが鉄格子で作られており、その隙間からわずかながら光が差し込んでいた。
「……ふぅ」
鉄格子の外は無人で、誰の姿も確認することはできない。
先ほどようやくあの食人鬼の男が、死体と共に消えてくれたからだ。
これから先の危険は分からないが、今この時だけはひとまず危機的状況が留保されたことは間違いなかった。
「…………」
これから何をすべきだろうかと少し悩んで……ああ、こんなことを考えるのは私らしくない。
私は基本的にひとりで生きて来た。
他人とかはどうでもいいと思っていた。
でも、さすがに自殺まではひとりで踏ん切りがつかなかったので、柄にもなく誰かを頼ってみようなんて考えたのだけれど、結果はこれ。
きっと私はひとりで居るのがいいのだろうけど……。
「ねえ」
そんな自分への言い訳つらつらと考えつつ、私は同室の女の子に話しかけた。
らしくないのは分かっているが、部屋の隅で手真っ白になるくらい己を抱きしめて震えている子ども――とはいっても高校生くらいだが――を放置するのはさすがに気が引けたのだ。
「君は……
学生はひとりだけだったので覚えていたのだ。
「なにか知ってることとかあったら教えてくれないかな?」
しかし返事はない。
もちろん、うなずいたり逃げようとする素振りすらみせなかった。
固く己の世界に引きこもり、全てを拒絶しているのだろう。
恐怖から逃れるためには非常に賢い選択だ。
現実からは逃れられないけれど。
「……話せるようになったらでいいから」
さすがに慰めて抱きしめて甘やかしてまで話をしようとは思わない。
適当なところで切り上げると、私は私の所持品の確認に移った。
いつも愛用しているハンドバッグは……見当たらない。
牢屋の中にあるのはゴザと、なにに使うか分からない木の板だけだ。
ポケットを探ると、幸いなことにスマートフォンは入っていたのだが……。
「圏外、ね」
アンテナは全滅。
まあ、ここが地下である可能性を鑑みれば仕方のないことだろう。
問題は他にもある。
時計の表示は18時を回ったところ。
「午後6時……ってことは、練炭自殺を試みてから8時間くらい経ってる、か」
あくまでも、試みて、だ。
結果的には未遂で終わったのだろう。
あの食人鬼も早めに絞めるなんて言っていたから、今の私たちが生きているのは確実だ。
恐らく私たちはバンの中で睡眠薬か何かを嗅がされて、意識を失ったのだろう。
そういえば気絶する瞬間、甘い匂いを嗅いだ気がする。
「なんて、全部推測でしかないか……」
だいたい過去起こったことにほとんど意味はない。
私が考えるべきは、これからどうするか、だ。
「……気は進まないけど」
一瞬、鉄格子にしがみつくあの中年の男性を幻視してしまう。
鉄格子付近であの人は殺された。
彼の悲痛な叫びが、今もまだ耳の中で反響している様な気がしてならない。
きっと彼はあんな終わりを迎えたくはなかっただろう。
自殺をするために集まっておいておかしな話だが、誰も進んで死にたい人間は居ない。
ただ、現実が辛すぎるから、生きているより死ぬ方がマシだと思ってしまうだけなのだ。
だからこそ、腕を鉈で切り落とされ、出血多量で動けなくなったところを殺害された上に、死体を同胞たる人間に喰われるなんていう最悪な死に様は、絶対にご免こうむりたかったろう。
「どうか……」
安らかな眠りを、とでも言えばいいのだろうか。
死後の安寧なんて、魂がないことが分かっているこの世界では全く意味のないものだ。
それでも、願わざるを得なかった。
名前も知らない男の人のために一礼した後、恐る恐る鉄格子へと近づいて行く。
彼が握っていた場所を避けて、鉄の棒を握り、軽く前後に揺すぶってみる。
ガチャガチャと金属音が返ってきて、当然のように施錠されていることが分かった。
仕方ないので鉄格子から外の様子を伺ってみる。
鉄格子から出てすぐは、幅2メートルくらいの廊下が右方向に伸びているように見えた。
廊下を挟んで反対側は、同じく鉄格子の入り口が設けられており、更にその奥にももうひとつ同じ鉄格子で出来た扉がある。
それら二重扉の向こうには階段らしきものが伺えるのだが、それ以外に出られそうなところはないため、恐らくは唯一の出入り口なのだろう。
それ以上は角度的に確認することが出来ないため、再びポケットから文明の利器を取り出した。
インカメラを起動した状態で、格子のすき間からそっとスマートフォンを伸ばす。
あまりにも光源が少ないため、きちんと映ってくれと祈るような気持ちで画面に目を向ける。
「…………隣にも、牢屋がある?」
うっすらと、光を反射している格子状の金属らしきものが見て取れた。
そういえば自殺オフ会に集まったのは、男4人女3人の合計7人だ。
ひとりがあの殺人鬼の豊田で、もうひとりが私の目の前で殺された男性だとすると、私を入れてあと5人は生き残っていると考えた方が自然だろう。
ならばこの隣、そして更にその隣の牢屋の中に、彼らが閉じ込められている可能性は高い……はずだ。
「あのっ」
私は意を決して声を発する。
「誰かいらっしゃいますか?」
私の声が闇の中に吸い込まれて消えていく。
応えてくれる人は誰も居ない。
やはりここに捕らわれては居ないのだろうか。
それとも、もう私と少女以外の全員が殺されてしまったのだろうか。
不吉な想像を振り払うために、私はもう一度声を張り上げる。
「居るんですよね!? 返事をしてくださいっ!!」
念のため、手でメガホンを作って口元に当てて更にもう一度、
「生きてますよねっ!? お願いします、返事をっ!!」
叫んだ。
土の壁が受け止めきれなかった声の残滓が、わずかだけれど私の手元にまで戻ってくる。
それ以上の手ごたえはまったく感じられなかった。
無意識に出たものだろうか。
目じりから涙がこぼれ落ちる。
私はひとりでも大丈夫なはずなのに、何故こんなものが出てくるのだろう。
胸がかぁっと熱くなり、訳の分からない衝動が湧き上がってくる。
辛い。
怖い。
こんなにも他人の声を求めたのは、生まれて初めてかもしれなかった。
でも、どれだけ求めたところで土くれは応えてなどくれない。
この牢獄の中には、私と女の子以外は誰も居ないのだ。
「私たちだけしか……違うか。ふたりは居るんだからそれで――」
「もう少し、声を押さえてもらえると嬉しいかな。さっき出ていったばかりだからね」
声だ!
小さく抑えられた男の人の声!
ノイズの混じっていない綺麗な重低音で、生を感じさせる強さが籠められている。
鼓動が速度を増し、感情は高揚していくのに、しりもちをついてしまいそうになるほど気が抜けていく。
とんでもなく矛盾しているものが同時に私の心を満たしていった。
「すみません……」
納得した。
私以外の誰もが頑なに声を出そうとしなかったのは、あの殺人鬼が物音を聴きつけて帰ってこないか心配だったからなのだ。
数分は経過していたので、私としては十分かと思っていたのだが、みんなはそうでもなかったのだろう。
少し気持ちが焦りすぎていたかもしれないと反省の念を抱いた。
「いや、お……私もそろそろ声を出してもいいとは思っていたから、そこまで恐縮しなくとも構わないよ。気にしないでほしい」
こんな異常な状況だというのに、私を気遣う男性の声はとても柔らかい。
おかしな話だが、自分から死のうとしていた人が出来る気遣いとは思えなかった。
「ありがとう、ございま――」
「私はこんな考えなしを許すつもりはないんだけど」
そう。
普通、自殺なんて考える人は、こんな風に棘だらけな物言いをしてくるのだ。
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