第2話 ヒトクイ

 赤い光を放つ刃が、今度は男の脳天に振り下ろされる。


 生木が砕けた様な鈍い音がして、男の頭がザクロのようにはじけ飛ぶ。


 血と脳漿が辺りにまき散らされ――私の頬や服にも赤いまだら模様が描かれた。


 そっと手を伸ばして指先でそれを拭いとる。


 ――血だ。


 色といい、感触といい、臭いといい、間違いなく本物の血液だ。


 今、私の目の前で人が殺されたことは違いようのない現実なのだ。


「はい、終り。静かになったでしょう」


 それを為した下手人が、光の中から姿を現す。


 年齢は20代後半、背は低くて160あるかないかくらい。


 髪は短く、肌は小麦色、柔和な顔立ちをしており、鉈を持って人を殺すより、教室の隅で静かに読書をしていそうな雰囲気を持っていた。


 もちろん、そんなのは他人を騙すための仮面だろう。


 なぜならこの男の瞳が最初に会った時とは明らかに違い、ドブを更に汚泥で濁らせたような闇を宿らせていたからだ。


「……静かにするために、あなたは人を殺すんだ」


 名前は確か――。


豊田とよだ象吉しょうきちさん」


 ネットで知り合い、共に自殺をしようと集まった7人の中に居たひとりだ。


 そうだ、思い出してきた。


 さっき死にたくないと足掻き、それでも殺されてしまった男のひとも、そのオフ会に集まったうちのひとりだ。


 私たちはみんなで大型のバンに乗って郊外に行き、そこで練炭自殺を図った。


 充満する煙の臭い。


 息苦しさ。


 暗転する世界。


 全て覚えている。


 私はあの時死んだはずなのに……なんでまだこうして生きているのだろう。


 もしかして、ここは地獄なのだろうか?


 だとしたらずいぶんと貧相な地獄だ。


 こんな土だらけの地下牢みたいにせまくるしい場所、鬼も閻魔も満足に立つことも出来なさそうだった。


「あ~は~はぁ~。まあ、時折……できるときだけね」


 つまるところ、彼――豊田が人間を殺したのは今だけではないという事。


 最低でも二回以上。恐らくはもっともっと殺しているに違いない。


 それだけの余裕と狂気をこの男ははらんでいた。


 本当は今すぐ私も叫び出したいくらい怖い。


 でも、この男の前でそういうことをしたくなかった。


 この最低極まる人間失格相手に怯えてやるものかという負けん気が湧いてきたのもあるが、一番の理由は……。


「ところでさぁ……」


 豊田は、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、私のことを舐めまわすように見てくる。


 あまりにも粘着質で無遠慮な視線を前に、我知らず自分を抱きしめてしまう。


「あぁ~~、いい! いいよぉ~!」


 更に豊田の笑みが深くなる。


「最初見た時から気になってたんだよねぇ~。すごく色っぽい」


 正直な話、外見を褒められたからといって嬉しくともなんともない。


 特にこんな性欲まみれの目で見てくる男からだと、吐き気すら感じる。


「そう。眼科行った方がいいんじゃない」


 私は自分のことだから知っている。


 そもそも私の容姿はそこまで褒められたものではないのだ。


 地味な顔立ちの癖に目つきだけはキツいし、薄い唇だとか少し左に曲がっている鼻筋だとか、寝不足と疲れがたたってアイシャドウでも隠し切れないほど真っ黒なクマ、くせっ毛で毎朝大爆発する髪に、豊満とは言い難い体つきと、不満を上げだしたらきりがない。


 もの凄く悪いというわけではないだろうが、満足のいくレベルでもない、といった感じなのだ。


 ただ、今はこんな男から好かれたくないという思いもあって、つっけんどんな対応になっているというのもあった。


「いいねぇいいねぇ、君はとっても僕好みだよ。こういうの見たら、震えあがって縮こまっちゃうのが普通なのにさ。その娘みたいに」


 豊田が差す方向へと視線を向けると、そこには俯いて顔を隠し、両足を抱えて部屋の隅に体を押し込めるようにして座っている少女が居た。


 顔は分からないが、身にまとっている学制服には見覚えがある。


 間違いない。彼女も自殺オフ会に参加していた少女だ。


「べつに、あなたに媚を売るためにこういう性格してるわけじゃないの」


 私は基本、否定的だし斜に構えた性格だ。


 誰かに甘えたり、弱音を吐いたりしたことはほとんどない。


 だからこそ、本当は目の前の殺人鬼に恐怖しているなんて、欠片でも態度に出したくなかったし、口が裂けても言いたくなかった。


「それが好みなんだよぉ」


 豊田は私に見せつけるように、上唇をゆっくりと音を立てながら舐めあげる。


 これにはさすがに建前なぞ気にしている余裕は無かった。


 生理的に無理だ。


 視線に触れていることすら汚らわしい。


 暗いとはいえ光源は豊田の後ろにあるので、手でスカートを押さえてなるべく素肌を豊田の視線から隠す。


 それだけでは足らないと判断し、座ったまま軽く後方へ移動すると、ゴザを膝の上にかけた。


 少し過剰な反応で不機嫌にさせたかと思い至り、豊田に視線を戻すと、嫌悪感を剥き出しにした態度ですらヤツにとっては守備範囲内だったらしく、未だ悦に入った気色の悪い笑みを浮かべていた。


「その人……」


 無理やり話題を逸らそうとして……私は殺されたばかりの男の名前を知らなかったことに思い至る。


 残念ながら死んだ男の人は自己紹介で自分の名前すら名乗らなかったのだ。


 そのぐらい、この世界から消えてなくなってしまいたいと思っていたのかもしれない。


 なのにこんな形で無理やり人生を閉じられてしまったことは、同情を禁じえなかった。


「少しぐらい丁寧に埋葬してあげたら?」


「……埋葬?」


「殺したんだったらもう充分でしょ。あなた、殺すことが目的なんじゃ――」


「違うよぉ。食べるために決まってるだろぉ」


 今度こそ、言葉を失った。


 食べる?


 なにを?


 人間を?


 どうして?


 この男は正気なのか?


 人間は食べ物じゃない。


 少なくとも、人間は人間を食べたりしない。


 共食いは社会の成り立ち、すなわち存在基盤を根底から覆す行為だ。


 人間が人間を平然と食べる世の中になれば、人間という群れは成り立たなくなってしまう。


 だから、共食いだけは生物として本能から忌避すべき悪であるはずなのだ。


「脂ぎってるコイツは足が早いから、一番最初に絞めておかないといけないんだよねぇ」


 どうやら豊田はそういったことを、経験から知っているらしい。


 という事は必然的に何度もこんなことを繰り返しているであろうことが伺える。


 いったい何回このようなことを繰り返し、何回人間を殺害して、何回人間の肉を食せばそういったことを理解できるようになるのだろう。


 4、5……きっと一桁では足りない。


 二桁、それも10や20ではなく、もっともっと多く。


「あ、脳みそは親父の好物だったなぁ。失敗失敗」


 そんなところまで食べるのかとか、ひとの頭を割っておいてとか、想像すらしたくない事の方があったが、それよりも気になる言葉が混じっていた。


「おや……じ?」


 この監禁は、この男が単独で行っている犯行ではない可能性がある。


 それは、私の絶望をより深める可能性だった。


「ん?」


 私の呟きに豊田が反応をみせる。


「聞きたい?」


「聞きたくない」


 即断で拒絶する。


 本当は少しでも情報を得るために聞くべきだったのだろう。


 家族構成が分かれば、危険になる人物がどれだけ居るのか知ることが出来る。


 目の前の殺人鬼は口が軽そうなうえ、私に対して好意的な態度を取っているため、話を発展させれば、住んでいる場所からこの牢獄のことも聞きだせたかもしれない。


 でも、無理だった。


 言葉を交わすなんてことはもとより、同じ場所に居て、同じ空気を吸っているということ自体が汚らわしかった。


 私は顔を背け、横の土壁を睨みつけて拒絶を露にする。


 いや、違う。


 本音を漏らすならば、これ以上は耐えられなかったのだ。


 狂気が私に伝染して、私の常識が殺人鬼のものと入れ替わってしまう事が怖かったのだ。


 その後、何度も話しかけてくる豊田に対してじっと沈黙を貫き続けたのだった。

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