厄介な手合い

 その男性は、知り合いの知り合いだった。四つ上の大学生で、眉間には深いしわが刻まれていた。髪は若者らしい流行のスタイルで、清潔感もある。(しかしそれが清潔であるということではない。彼には『清潔っぽさ』しかなく『にじみ出る不潔さ』を隠しきれていなかった)

「時間をとっていただいてありがとうございます」

「いえ、暇ですし、色々な方と言葉を交わすのが私の趣味なので」

「噂には聞いております。何でも、人の心が読めるとか」

「それは誇張というものです。勘でしかありませんし、しょっちゅう外します」

「だけれど、あなたに自分の思っていることや隠していることを見事にいい当てられたという人は多い。私の友人もその一人です」

「では、そういうことにしておきましょう。おかけになってください」

 知的な印象はあった。考えをまとめてから、話を始めている。言葉も選んでいるし……おそらく、会う前に何度もシミュレートしているタイプだ。何を言うか、予め考えている。だからどこか……人間として歪な感じがする。

「それで、何か大切な話をしたいとのことでしたが」

「はい。もう率直に話させていただきます。私は復讐を計画しています。しかし、それをどのように成し遂げるか、迷っているのです。そこで人の心に詳しいとされている方に聞いて回っているのです」

 なるほど。確かにこの人は、合理的に物事を考えるのは得意だが、人の心に配慮したり、理解するのは苦手そうだ。そして合理的な思考の帰結として「詳しい人に聞けばいい」と思ったのだろう。自分で分析したり、理解しようと努めることはそもそも選択肢に入っていない。なるほど、復讐を計画するタイプだ。復讐さえすれば、自分の中のわだかまりが解決されると思っている。復讐の過程で、自分自身もより優れた人間になれると思い込んでいるタイプ。

 ……余計なことを言うと、こちらまで復讐の標的にされてしまうタイプ。一番本当のことを言えない相手であり、この人自身はなぜ自分からもっとも誠実な人が離れていくのかずっと理解できないまま時を過ごしていく。

「どちらの意味でしょうか。復讐のために、人の心を操る術を学びたいのか、それとも復讐相手をどのような状態にさせれば、より心理的な苦しみを味合わせられるのか」

「両方ですが、どうすればより強く相手が苦しむか、という方が重要だと思っています。正義のためとはいえ、人の心を意図的に操るのは……道徳的とは言えませんしね」

 正義。道徳。私はうんざりする。このタイプはいつもそういう言葉を使う。しかも、自分の行動や存在、行動理念をそれに従えるためではなく、むしろすでにある自分の行動や存在、行動理念をあとから肯定するために使う。もし彼が、何かしらの偶然によって犯罪を犯してしまったなら「正義や道徳なんてものは、社会が個人に押し付けた勝手なものだ」なんて言い始める。彼の言っていることは常に正当だが、その正当性は彼自身のためでしかない。私はそういう自分勝手な正当性に腹が立つ。

 しかし、本当のことを言ってはいけない。こういうタイプを刺激すると厄介だから、上手に受け流さないと。

「申し訳ないのですが、私は復讐には関わり合いたくありません。単純に、怖いのです。私は根っからの臆病者で、人を攻撃するのも人から攻撃されるのも……苦手です」

「しかし、単に自分の意見を言うだけでしたら、何の問題もないのではないですか? つまり……『こういうタイプの人間は、こういうことをされると何よりも苦しむ』みたいな法則を教えてくれるだけでよいのです」

 厄介極まりない! この人はやはり、こちら側の心情を完全に無視して行動する。自分の考えていることが相手に実は伝わっていることなど、少しも想像していない。根っから利己的なのだ。そして全ての人間が利己的だと思い込んでいる。救いようがない……一番争いを産むタイプ。

「人はそれぞれ違うものを持って生きています。実際に会ってみるまで分かりませんし、会ったとしても数日経ったらまるっきり変わっていることもあります。私がそれについて誤ったアドバイスをしてしまった結果、○○さんの行動に何か不都合を及ぼす可能性がある限り、私は何も言えません」

「いえ、私はそもそも『人の心を理解している』という人のことを全て信用したりはしません。あくまで、様々な情報のひとつとして取り扱うので、それが意図的でないのならば、誤っていたとしてもその責任を押し付けたりするつもりはありません。人はよく間違える生き物ですし」

 その言葉がどれだけ失礼な言葉か、この人は分かっていないのだ。そのくせ自分が無下にされたり失礼なことを言われると、腹を立てる。自分が正しいということを信じて疑わない。恐ろしくて、気持ち悪い。

「ごめんなさい。力にはなれません」

「どうしてですか?」

 私は黙って首を振った。敵意は見せないように。仕方なくという風を装って。

「ではせめて、なぜ何も教えてくれないのか、それだけでも教えていただけないでしょうか」

 これは率直に答えるべきだ。

「あなたが怖いからです」

「……なるほど」

 彼はそこで初めて考え込んだ。彼がどのような選択をとったとしても、私には用意がある。脅してきたら、沈黙。素直に引き下がっても、沈黙。こういう時に言いなりにならないために、私は色んなものを捨ててきた。くだらないいざこざや、利己的な欲望に巻き込まれないために。

「ではどうやったら、人から恐れられずに済むのでしょう」

 私は首を振った。もし正直に答えるとしたら「お前がお前でなくなれば」としか言えない。この人の単純さや攻撃性は、どこまでもこの人の本質に強く結びついてしまっている。

「何も答える気がないのですね。せっかくここまで出向いてきたのに。やはりうわさ通りだったというわけだ」

 浅ましい考えだ。そうやって私を不安にさせることによって、小さな復讐心を満たそうとしているのだろう。本当に……本当に浅ましい。仕方ない。その浅ましさに、付き合ってやろう。だからここで私がとるべき態度は、不安そうな面持ちでまばたきすること。

「もうこれ以上は時間の無駄ですね。余計な手間をとらせて申し訳ありませんでした。では失礼します」

「こちらこそ、お力になれなくて申し訳ありませんでした」

「思ってもないくせに」

 もちろん。思ってもないよ。でもこうしない限り、私はあなたに巻き込まれていた。

 不機嫌な背中が遠ざかっていく。私はほっと胸をなでおろす。

 彼は自分がこの世界を一段階黒く染めてしまっていることにずっと気づかずにいることだろう。よしんば気づいたとしても、彼はそれを己の正当な権利だと主張するはずだ。

 まったく、厄介な手合いだ。


 私はひとりきりになれたことに深く安心し、ソファに腰かけて目をつぶった。

 私は私でいられることが幸せだ。それだけで十分だということを、私は知っている。

 あぁ、冷たくも優しい孤独よ。どうか傷ついた心を癒しておくれ。

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