仕事帰り、旦那に甘える

 仕事は疲れる。やりたくないことをやらされることは多いし、やらなくてもいいことでも、私は常にできることは全部やりたいから、どうしても仕事量が増えて、休む時間が少なくなってしまう。

 頼られるのは嫌いじゃないんだけど、でも正直どうでもいいと思ってる人のために自分の身を犠牲にするのは趣味じゃない。なんだか腹が立つから、繁忙期に有給取ってやろうかと思ったが、踏みとどまった。

 そんな風にしても、彼は喜ばない。

 アキ君。

 アキ君は今頃私の帰りを待っている。おいしいご飯を作って、お風呂も沸かしてくれているはずだ。あぁそうだ。今日は一緒にお風呂に入ってもらおう。うん。そうしよう。


「ただいま!」

 玄関を開くと同時に叫んだ。できるだけ綺麗に聞こえるように、喉を広く開けて、大きく響くように。彼に対するアピールだ。

「おかえり」

 彼の方はというと、いつもと変わらない柔らかくて低い声色。私はそれに安心して、ふっと頬を緩ませる。肩が自然と下がって、体中の緊張が一気に解けていくのが分かった。

 すたすたと彼が歩いてきて、手を広げる。私は靴をゆっくり脱いで、はやる気持ちを悟られないように、すました顔で抱擁する。

 でも、抱き着いたら感情は全部伝わって欲しい。この強い愛情が、安心が、全部この人に伝わって欲しいと思う。

 思い切り、強く抱きしめる。でも痛くないように、彼の一番がっしりした胸の部分に体を預ける。脇や首に負担がかからないよう気を付けて、一番強く抱きしめる。

 彼は、私と同じくらいの強さになるよう加減をして抱きしめてくれる。心地よい圧迫感。心音のテンポが少しずれていることに、このうえない幸福を感じる。あぁ、今日は素晴らしい一日だった。

 うん? でもまだ、今日は終わってないな。そうだ。この後一緒にお風呂に入るんだ。

「お風呂、一緒に入りたいな」

「あー。ごはんもうすぐできるんだけど、先にお風呂入る?」

「ごはん何? というか火、大丈夫?」

「うん。消してから来たから大丈夫。鶏のモツ煮込みと鯖の塩焼きだね。あと今日は、ちょっと珍しい野菜買ってきたんだ。サラダ、いつもとちょっと違う感じになると思う」

「どんなの?」

「アイスプラントっていう奴。スーパーで売ってて、気になったから買ってみた。ちょっとシャキシャキしてて、塩味。面白い味だよ」

「じゃあ……お風呂入らないで、待ってるね」

「どうしても一緒に入りたいんだね?」

「うん」

 私は、まだ抱きしめたまま。アキ君は少し困ったように笑う。私は仕方なく離したあと、台所に向かうアキ君の背中に抱き着きなおして、そのまま一緒に歩いていった。

「どれくらいでできそう?」

「すぐできるよ。十分もかからないと思う。あとは味噌汁とサラダ作って盛るだけだから」

「じゃあずっとこうしてる」

 多分、少し邪魔だなぁって思われてる。でもこうやって、好きな人に構ってもらえること、ちょっと意地悪なことを許してもらうことが、私は大好きなのだ。

「アキ君好き」

「僕も好きだよ、マチ」

「もーーー!」

「牛かな?」

「ふふふ」

 幸せだと思う。この後に二人でおいしいご飯を食べて、しかもそのあと一緒にお風呂に入って、そのあときっと……

 色々と想像してしまって、少し恥ずかしくなった。

「マチ今ちょっと変な事考えてたでしょ」

「えっ?」

「違った?」

「ううん。考えてた。よくわかったね」

「実はクセがあるんだよね、内緒だけど」

「ええー!」

「はい。ごはんできたよ。運ぶの手伝ってくれる?」

「手伝います部長!」

「部長は君だろう?」

「じゃあ社長!」

「ふふふ」

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