夢食い
「なぁ和樹知ってるか? 夢食いの話」
「大輔。何それ」
「夢を食う化物なんだけど、自分好みの夢を見てるやつにとりついて、夢を食っちまうらしい。夢っていうのは、見る方の夢じゃなくて、叶える方の夢な?」
「どういうこと?」
「どうやら人を無気力にして、どんな夢も叶わなくしてしまうらしい」
「それは『うつ』っていう病気のことかな」
「まぁ、似てるんじゃない?」
僕は自分の言葉にちょっとだけ不安になった。
*
うつ病。
そう、密かに憧れていた女の子、井上愛理の調子が最近よくないのだ。以前はとても明るく、活発で、勉強もスポーツもよくできていたのに、今は成績も落ちて部活もやめ、友達との関係にも問題があるみたいだった。
きっと何か嫌なことが重なって、気分が落ち込んでいるだけだと思うけれど、どうしても心配なのだ。
「おい和樹? 聞いてる?」
「ん、何?」
「その夢食いってのには、ひとつだけ弱点があるんだ」
「弱点?」
「そう。夢食いっていうのは、愛が弱点なんだ。愛だぜ、愛。つまり、その人の夢を応援する人が助けに来ると、夢食いは退散しちまうらしい」
「何ともロマンチックな話だね」
「だろ? だからさ、お前にも俺の夢を応援してほしいんだ。夢食いにつかれても大丈夫なように」
「ミュージシャンになりたいんだっけ、大輔は」
「そう。正確にはロックンローラー。時代遅れなんて言うなよ?」
「言わないよ。応援してる」
「お前も夢が出来たら、ちゃんと言うんだぞ」
僕の夢は……
*
――ありがとう。
*
カレンダーを見て、目を疑った。
「おはよう、和樹」
階段を降りると、母がすでに朝食を用意していた。
「おはようお母さん。今日って、二十三日?」
「うん。そうだけど」
「昨日って、二十一日じゃなかった?」
「え? 昨日はちゃんと二十二日だったけど」
「おかしいなぁ。そうだ。昨日、『相貌(流行のドラマ)』やってた? 僕見てないんだけど」
「和樹、昨日帰り遅かったじゃん」
「え?」
そんな記憶はなかった。
「ほんとに大丈夫? もしかして昨日、変な人に連れてかれて、変な場所で変なことされたりした?」
お母さんは言葉の途中で自分の言っていることのおかしさに笑い始めていた。
「うーん。なんか疲れてるだけだと思う」
「顔色はいいけど、体温、計っておきなよ」
「うん」
平熱だった。とりあえずいつもの支度をして、学校に行くことにした。
*
「よー和樹!」
大輔はいつも通りだった。
「あのあと、どうだった?」
「どうって何が?」
「お前、何とぼけてんだよ! まぁ話したくないならいいわ。ご愁傷様」
本当に何の話か分からなかったが、流すことにした。
「あ、そうだ。別の話なんだけどさ」
大輔の方も、気にしていない様子だった。
「前夢食いの話したじゃん。覚えてる?」
「うん」
「どうやら最近分かったことらしいんだけど、夢食いって記憶を奪うことができるらしいぜ」
「記憶を奪う?」
「うん。何が条件かはまだ判明してないらしいけど」
「たかが都市伝説に判明も何もないと思うんだけど」
「いやいやいや。夢食いは本当にあるんだって! 実際、ネット上だけじゃなくて、芸能人とかも体験したことあるとか言ってたし!」
「冗談か何かでしょ」
僕はそのとき、夢食いの話をまともに取り合う気がなかった。
すでにそれが、僕の生活に大きく影響していることとも知らず。
*
「おはよう!」
教室に入ると、元気のいい挨拶が聞こえた。誰だろうと思ったら、僕が気になっていた女の子、井上愛理だった。
僕は後ろを振り返る、別の人に挨拶をしたのだと思ったからだ。しかし、誰もいなかった。
「うおい」
大輔はそう言って、僕の背中を叩いた。
「えっ?」
僕は驚いたけれど、とりあえず小さく「おはよう、井上さん」と返した。
嬉しさよりも先に困惑が広がった。それに、自分の中でも何か変化があったような気がした。もしかつての自分なら、嬉しくて舞い上がっているか、あるいは恥ずかしくて顔を赤くしていたに違いない。
でもこの時は、自分でもびっくりするくらい冷静だったのだ。まるで、いつも通り友達に話しかけられたみたいに。
「おかしいなぁ」
「おいおい和樹どうした」
「いや? 何でもないよ」
「そっか……なんか相談事あったらちゃんと言うんだぞ?」
「ないよ。でも、ありがとう大輔」
――ありがとう。夢の最後にそんな言葉が響いたのを思い出した。あれは誰の声だっただろう? 多分女性の声だったと思うけれど……
*
「私、好きな人ができたんだ」
僕の席は、井上さんの左斜め後ろだった。当然、彼女が友達と話す声はちゃんと聞こえてくる。
「え! 愛理そういうのずっと興味なかったんじゃ?」
「うん。だから、初恋」
最近元気がなかった井上さんが今日ご機嫌だったことに、僕は安心した。それと同時に、その言葉の中身を理解して、少し気分が落ち込んだ。
「え、どんな人? どこで知り合った人?」
「最近私調子悪かったじゃん?」
「なんかずっと不機嫌だったよね」
「その時に、励ましてくれた人。私を助けてくれた人」
あぁ、と僕は思った。それだと僕には何の希望もない。井上さんを助けたことなど一度もなかったし、そんな勇気があるわけでもない。
でも、あまり大きなショックではなかった。なんだか最初から分かっていたみたいで、自分が失恋したという事実を、奇妙なほどあっさりと受け入れることができた。
まぁ、そんなもんか。心の中で、そう呟いた。仕方がない。
*
「なぁ和樹ぃ。ほんとお前、昨日何があったん?」
「何の話?」
「だって昨日、雨降っててさ……」
僕の記憶では、昨日もおとといも雨など降っていなかった。
「覚えてないなぁ」
「……ほんとに話すつもりないんだなぁ。大丈夫? ほんとに。親友として、素直に心配なんだけど」
「ほんとに覚えてないんだって」
*
家に帰って明日の支度を済ませて夕食。偶然、テレビでは、心霊系バラエティ番組がやっていた。
大輔が言っていた、夢食いの特集。夢食いの概要は、だいたい大輔が言っていたのと同じだった。
「私、声優になるのが夢だったんですけど、ある日なんか背中に重たいものを感じて、『声優になってどうするんだ?』『お前には絶対に無理だ』とか、そういう声が聞こえてくるようになったんです」
その話は、嘘っぽくなかった。
「何か、予兆とかありました?」
「物覚えが悪くなってましたね。前日の記憶とかが、すっぽり抜け落ちたり。特に、いい思い出とかが全然思い出せなくなって」
「なるほど」
「それでもう、気持ち的にはどん底で、専門学校にも行かなくなって、どうしようもなくなった時に、親友がうちに来て『きっと大丈夫!』って言ってくれたんです。そしたら、その肩の重いものがいつの間にか消えてて、前よりもずっと夢をかなえるために頑張れるようになったんです。思えばあれは、夢食いだったんだなぁって」
「その親友さんは、今どこに?」
「何度かお礼を言ったんですが、なんだかきょとんとしていましたね。あの子にとって、落ち込んでる友達を励ますのは当たり前だったみたいです」
「いい話ですね」
「でも、彼女がいなかったらと思うとぞっとします。本当に、感謝してるんです」
その出演者は、現在人気声優らしかった。つまり彼女はそのあと、ちゃんと夢を叶えたわけだ。
いい話だなぁと思った。心霊系の話って悪趣味だったり胸糞悪かったりすることが多いけれど、今回の話は素敵だな、と思った。
*
眠りに落ちてすぐ、そこは夢だと思った。叶える方ではなく、見る方の夢。
「お前の夢はなんだ?」
白い空間の中、黒いもやもやがそう尋ねてきた。僕は何も思い浮かばなかった。
「では、お前はこの先どんな人生を歩みたい?」
「僕は、誰かの役に立つ人生を歩みたい。誰かを助けられる人でありたい」
――私を助けてくれた人。
井上愛理が今恋をしている人。その人はきっと、僕よりずっと優しくて、素敵な人なんだろうなと思った。その人みたいになりたいし、その人みたいな人生を歩みたい。
「お前には無理だ」
「かもしれない」
「お前はずっと、誰かに迷惑をかけ続けるんだ。お前の夢はかなわない」
「どうして?」
「お前の夢を、俺が食ってしまうからだ!」
黒いもやもやが広がって、僕はせき込んだ。息が苦しくて、目が覚めた。
*
頭が痛かった。なんだか、本当に何をしてもうまくいかないような気がした。体を起こすのも億劫だった。
気合を入れて、なんとか顔をあげる。時計を見る。まだ夜三時。まだ早すぎる。寝よう。
眠れない。時計のチクタクいう音がうるさかった。これじゃ、明日の学校に影響が出てしまう。寝不足のまま生活するのは嫌だった。眠らないと。
でも、眠れない。目をつぶっても、頭ではぐるぐると嫌な言葉ばかりを考えてしまう。
僕は無能で、生きる価値がない。生きる価値がある人などそもそもいるのだろうか? でも生きる価値ってなんだろう。ただ食って寝て……それを何千回と何万回と繰り返して、最後には死んで灰になってしまうのに。なんで僕たちはこんなに頑張らなくちゃいけないんだろう? なんで、起きていなくちゃならないんだろう?
苦しかった。外が明るくなってきて、少しだけほっとした。朝五時半。僕は体を起こした。背中が重たかった。首と肩が凝っていて、一睡もしていないような気分だった。
誰もいない朝のリビング。テレビをつけると、ニュースがやっていた。嫌なニュースばかりだった。交通事故で誰それが死んだとか、某有名人が離婚したとか、変態的な犯罪者が捕まったとか、ただ吐き気を催すようなニュースばかりが並んでいて、思わずテレビのスイッチを切った。ただ目をつぶって、時が過ぎるのを待とうと思った。
*
なんだか、何もかもがどうでもよくなっていた。大輔はいつも通りだった。
「おはよう、和樹」
「うん」
返事をするのも面倒だったけど、いつも通りを最低限演じようとした。
「昨日もだけど、本当に大丈夫か? やっぱりおとといなんかあったんだろ。教えろよ」
「何の話?」
「とぼけるなよ! お前おととい、急に用事ができたって、俺を置いて走っていったじゃねぇか。どしゃぶりの雨の中」
「ふーん」
そんな記憶はなかったし、どうでもよかった。
「分っかんねぇな……ほんと俺、お前のこと分かんなくなってきた。お前そんなに強情なやつじゃなかっただろう? 秘密主義者でもないし。もしかして、誰かの秘密が関係しているとか? 確かにお前は口が堅くて人の秘密を漏らすようなやつじゃないけど……」
僕はついに、無視をした。疲れたからだ。大輔はそれ以上何も言わなかった。
*
「おはよう」
井上さんは今日も僕に挨拶をした。昨日にもまして元気そうだった。それを喜ぶだけの余裕は、今日の僕にはなかった。僕は大輔に対してしたように「うん」と、小さく返事をしただけだった。
なんだか、世界が色褪せたみたいだ。
*
時間は瞬く間に過ぎ去っていく。数学、国語、歴史、保健体育。どの授業も似たような光景で、先生も似たようなことを言っている。僕はただぼんやりとしているだけ。何もやる気がしないし。
きっとこんなふうにしていたら、すぐに成績が下がってしまう。大輔だっていつか僕に愛想をつかしてしまうことだろう。
なんだか、すごく悲しいけれど、仕方がないような気がした。
こんな僕じゃ、そんなふうになって当然だ。
「水城君!」
僕が昼休み、机の上で突っ伏していると、どこかで聞いた声が耳元で響いた。綺麗で、楽し気な声。
――ありがとう。
あぁ。あの声だと気づいた。
「ねぇ水城君。今日の放課後、大事な話があるんだけど、聞いてくれる?」
「うん」
相手が誰であるかも確認せずに、そう返事した。めんどくさかったのだ。
「七限目が終わった後、この教室に残っててね」
「うん」
*
雨が降っていた。傘を持ってくるのを忘れた。でも別に関係ないかと思った。濡れて帰ったって、それで何か変わるわけじゃないから。
そういえば、教室に残ってくれと言われていた。
少しだけ、待ってみよう。
ざあざあ。ざわざわ。雨の音のせいで声が聞こえづらいから、クラスメイトたちはいつもよりも声を張っている。ちょっとうるさかった。
でも、そのざわめきは少しずつ小さくなって、その分雨の音が大きくなった。みんな帰り始めていたのだ。
ふっと呼吸をして、顔をあげる。右斜め前には、かつてずっと眺めていた背中があった。今やもう、ほとんど興味も湧いてこない。
失恋。
あぁそうか。僕が落ち込んでいるのは、恋に敗れたせいかもしれない。でも、そもそも戦えてすらいなかっただろう? 僕はとても情けないやつだ。
*
ついに、二人きりになった。
僕と、井上愛理。
彼女はゆっくりと、椅子ごと体をこちらに向けた。
「水城君。おとといのこと、覚えてる?」
この人も大輔と同じことをいうのか、とうんざりした。
「覚えてない」
「やっぱり」
「え?」
「水城君。君は、夢食いに記憶を食べられたんだ」
予兆。そういえば『いいことが思い出せなくなった』とテレビ番組で……
「そして今、夢も食べられている」
夢食い。昨日のあの夢は、その化け物の仕業だったのだろうか?
「水城君の夢って、どんな夢?」
「僕の夢……」
――私を助けてくれた人。
目の前の人の言葉を思い出したけど、それは、僕の心を傷つけただけだった。
僕は、誰かを助けたことなどなかった。僕は、何ひとついいことをしてこなかった。少しも、思い出せないのだから。
でも、この記憶は……
「私の夢はさ、素敵な恋をすることだったんだ」
井上さんはじっと僕の目を見つめている。僕の愚かな思考まで吸い寄せられて、ただただ耳を傾けるばかりだった。
「でも、今まで出会った男の人はみんな自分のことばっかり考えていて、付き合ってみても楽しかったことなんて一度もなかった」
自分のことばっかり。あぁそうだ。僕は、誰かの役に立ちたいといつも思っている人間だった。
「それに私自身も、素敵な人に好かれることができるほど、魅力的じゃないなって、おとといまでずっとそう思ってて、落ち込んでたんだ」
ふうっ、と冷たく息をこぼした。
「私も夢食いに、夢を食べられてたんだ」
でも、と井上さんは顔を上げた。
「水城君。おとといは、本当にありがとう。きっと覚えてないんだろうけど、今日みたいな雨の中で、傘もささずに歩く私を追いかけてきてくれて、本当に嬉しかったんだ」
僕は、何といえばいいか分からなかった。ただただ困惑していた。
「私は、君に助けられたんだよ。君のおかげで、新しい夢ができた」
「新しい夢?」
「うん。水城君と、恋がしたい」
雨がぴたっとやんだ。雲の切れ間から太陽が斜めに教室に差し込んだ。
「好きです。付き合ってください」
陽の光が僕らの左の頬を赤く染めあげ、まつげをキラリと光らせた。井上さんの潤む瞳が、僕の心の氷を解かすようだった。まるで、もうひとつの太陽のようだった。僕の背中には、重たい荷物の代わりに、翼が生えてきたようだった。
世界はこんなにも輝いている。生きていてよかったと、そう思った。
「喜んで」
思わず、そう答えていた。井上さんはこれ以上ないほど嬉しそうに微笑んで、手を差し出した。僕をその手を握った。暖かかった。この記憶が消えないことを願った。
「安心しろ。俺は、同じ人間から二度食ったりはしない」
太陽とは反対側に落ちる僕らの影から、楽し気な声が響いた。
「どうか、お幸せに。俺の仕事はこれで終わりだ」
*
雨上がりの空。僕らは手を繋いで軽快に歩く。空には虹がかかっていた。
悪い夢は、幸せのためにあるのだ。
僕たちは目を合わせて微笑み、二人で理解した。
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