投影

 ぶるぶる震える人形がいた。


 私はそれを手に取って、メアリーと名付けた。するとメアリーは、震えるのをやめた。少し笑った気がした。

「人形が笑うわけないでしょ」

「でも、震えたよ?」

「地震か何かじゃないの?」

「ううん。床は揺れてなかったもん」

「気味悪いこと言わないでよ、佳代」

「揺れたもんね? メアリー?」

 メアリーは返事をしなかった。


 金色の髪。青い目。丸い間接に、白い肌。それは、私のお母さんの弟さんが私のために買ってくれたものらしいんだけど、お母さんはそれが嫌いだったから、私に言わずに押し入れの中にしまっておいたらしい。

 押し入れの中は、なんだかじめじめしてて、寂しさそのものみたいだった。メアリーが震えるのも、仕方ない。


 私はメアリーを抱きしめてみる。そのあとに、腕をぐるぐる回して遊ぶ。

「痛い痛い痛い!」

「えっ?」

「痛いってだから!」

 私は後ろを振り返ってみるけど、誰もいない。おかしいなと思って、笑った。

「私、私! あなたのお友達、メアリー!」

「あらメアリー。喋れたんだ」

「うん。だから、腕ちょっと、元に戻して」

「うん」

 私はメアリーの言う通り、腕を元に戻した。メアリーはよく見たら、赤色の涙を流していた。

「痛かった?」

「痛かった。ほんとはびっくりさせたくなかったから、声は出さないつもりだったんだけど……」

「涙も?」

「あ、なんか出てる?」

「うん。血みたいなの出てるよ」

「あちゃー! ストレス溜まると、でちゃうんだよね」

「ごめんね。私、メアリーに酷い事しちゃったんだね」

「そうだよ! もっと丁寧に扱ってくれないと困るよ」

「そうだよね。私も腕あんなにぐるぐるされたら、きっと痛くて、泣いちゃうもん」

「とりあえず、涙拭いてくれないと、黒くなって腐っちゃうから」

「うん。メアリーちょっと待っててね。ティッシュ持ってくる!」

「焦らないで! 危ないから!」

 私は急いで立ち上がってティッシュを持ってきた。その時に足に何か当たった気がしたけど、気にしなかった。

「ただいまメアリー! 今拭いてあげるからね!」

「痛い……焦らないでって言ったのに」

「あ、蹴ってた? ごめんね?」

「ぐすん。佳代、ひどい……」

「ごめんってメアリー。ほら、見せて? うわぁ。かわいそう」

 服にこぼれた涙も全部吹き終わると、メアリーは綺麗になった。肌もいつもよりもツルツルしてて、羨ましいくらいだった。

「それにしても、お人形さんって喋れるんだね?」

「うん。強い想いがこもってると、ね。そういうアニメとか見たことない?」

「知らないなぁ」

「そっかぁ……」

「でも、私メアリーが喋るの分かって、嬉しいな。私あんまり喋る人いないし」

「お母さんはいつもテレビばっかり見てるもんね」

「うるさいって言われるの。話しかけると」

「かわいそうに」

「押し入れの中じゃないだけマシだよ」

「たしかにそうだ」

 メアリーは体をカタカタと揺らした。笑おうとしているのだ分かって、私も笑った。



「お母さん! メアリーどこにやったの?」

「メアリーって、あの気味悪い人形のこと? 捨てたわよ」

「えー……」

 私はどうしようと思った。捨てるって、どこへ? でもどうせお母さんは、教えてくれない。教えたら、私が探しに行くのが分かってるから。

 仕方なく諦めて、積み木で遊ぶことにした。でも、なんだか寂しかった。

「メアリー!」

 我慢できずそう叫んだ。

「うるさい!」

 お母さんもそう叫んだ。私は思わず涙が出てきた。ぶるぶると肩が震えるのが分かった。メアリーはきっと、こういう気持ちだったのかなぁと思った。

「メアリー……」

 なんだか腹が立って、お母さんを殺したくなった。お母さんが死ねば、メアリーが帰ってくるような気がしたのだ。

 でも人を殺すのは悪いことだ。悪いことだから、やっちゃいけないことだ。でもメアリーを捨てるのって、人を殺すのと何が違うのかな? 人を殺したら、人に殺されても文句は言えない。メアリーを捨てたら、メアリーを捨てられても仕方ない? お母さんにとってのメアリーって何?


 私だ。


「私、私のこと捨ててくるね」

 お母さんにそう言った。

「あんた何言ってるの?」

「メアリーが捨てられたから、私も捨てられることにする」

「馬鹿なこと言ってると、叩くわよ」

 叩かれたくなかったから、走って逃げた。靴も履かずに外に出て、メアリーを探した。

 どこにいるのか分からなかったから、時々遊びに行く公園に向かった。公園には誰もいなかった。夕陽が出ていた。普段なら、家にいなくちゃいけない時間だった。

「メアリー!」

 うるさいと怒鳴る人はいない。私は捨てられたから、私は自由だ。

「メアリー!」

 好きなだけ、叫ぶことができる。なんだか気持ちよかった。きっとメアリーも、同じ気持ちだと思う。捨てられて、よかったのかもしれない。

「メアリー!」

 おうちに帰ろう。疲れたし、眠たい。お腹もすいた。おしっこもしたい。

 メアリーのことは、もういいや。




 夢を見た。それがいつのことだったかは分からない。そもそもそれが後から作られた妄想でないということを示すこともできない。それが本当だとしても、お母さんは絶対にそういう細かい想い出を覚えていないから、確かめることもできない。

 ただできるだけ、正確な形で記録したかっただけ。 

 メアリーなるもの。それは私の寂しさが産み出した仮想の人格なのかもしれない。

 今もどこかで生きているのか、はたまた焼却炉で灰になって、風になって、流れていったのか。

 また会いたいとは思わないけど、いつか私もそうなるのだから、寂しくはないよな、と思った。


 最初から最後までメアリーは、私自身の投影だ。


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