ショートショート集
睦月文香
二回目のデート
「や、おはよう。楽しみにしてたよ」
「うん。おはよう」
二回目のデート。まだ付き合ってはいない。でもきっと、付き合うことになるだろうという確信がある。予感ではなく、確信なのだ。私はこの人に強い好意を抱いているし、この人も私のことが好きだ。
「なんか今からしたいことある? なければ予定通り進めるけど」
「すぐ映画館行くんじゃなくて、おしゃべりしたいな。君のこと、もっと知りたい」
「嬉しい事言ってくれるね。そんなの言われると、言っちゃいけないことまで言っちゃいそう」
「言葉には気を付けてね」
「そんな優しくそんなこと言われたの初めて」
「私も言ったの初めて」
独特なテンポが心地よかった。こんなに会話がかみ合うことは滅多にない。滅多にないというか、この人以外では、ありえないことのような気がするのだ。
「ねぇ。私がもし今日は映画の気分じゃないって言ったら、気分悪くする?」
「んー。それくらいなら多分全然平気だと思う。でもやることなすこと否定され続けたら、ちょっときついかも」
「私はそういうことしないから、私たち喧嘩しないね」
「むしろ僕が君を不快にさせてしまうんじゃないかって不安だけどね」
「私、人から不快にさせられるのに慣れてるから、平気だよ」
「いつも我慢してる君を、少しでも安らがせることができる人でありたい」
「もうほとんど告白だよね、それ」
私たちは見つめ合う。微笑み合って、目を逸らし、また目を合わせる。
「そのさ。いきなりこの話するのはアレかもしれないけど、いい?」
私は前に思いついたことを彼に話そうと思った。
「何かな」
「同棲の話。私たち多分、あんまり一緒にいすぎない方がいいと思うんだ」
「それには賛成かも。平安時代みたいな感じで一緒にいられたら、いいね」
「うん。時々会って、一緒にいる。休日の片方だけ、とか。平日、疲れた日に一緒に夕食食べるとか。それくらいでいい。ううん。それくらいがいい」
「どんなにおいしい料理も、二人前とか三人前出されるとうんざりしちゃうからね」
「どんなもの、どんな量でも全部たいらげるのは豚の流儀だしね。私たちは、繊細な人間だから、繊細な人間なりの流儀がある」
「それに関しては僕も同意見だ」
私は右腕を絡ませる。頭を預ける。ずっと、産まれてきてからこうしたかったような気がする。幸せだ、と感じた。思わぬ幸福だ。
頭を撫でられると、ずっとこうされていたいという気持ちになる。全てを預けたいという気持ちになる。
と、同時にこのままずっと過ごすわけにもいかない、あまりにも緩みすぎている、と思った。私はハッとして急に立ち上がった。
「行く?」
「うん」
意外とすぐにスイッチが入った。さっきまでは全く動くつもりがなかったから、お風呂に入ったときみたいにうまく動けないような気がしたけど、全然そんなことはなかった。むしろ体中に力が漲っていた。
彼の方もスッと立ち上がった。私の方を見て、微笑んだ。手を差し出した。私は握った。強く握った。暖かかった。
しっかりと握るシェイクハンズ。対等な関係。腕まで絡ませたい衝動に駆られたけれど、我慢した。
私は私が思っていたよりも愛情に飢えていたのかもしれない。私はこの人が好きだ。
しばらく二人で黙って歩いていると、あることに気づいた。彼の唇が固く結ばれ、不自然なほどまっすぐ前を見ていた。緊張していて、何かに耐えているようだった。
「ねぇ。トイレ?」
彼は私の方を見た。何か気まずそうに笑った後、きょとんとした私の顔を見て、安心したように笑った。
「うん。ちょっと行ってくる」
手を離して、彼は早足でトイレの方に行った。私もちょうどいいし用を足しておこうと思った。
大きい方も出たので、ちょっと時間がかかった。恥ずかしかったけれど、気にしないことにした。しかし、彼はまだ出てきていなかった。彼も大きい方だったのだなぁと呑気に思った。
でも本当にそうだろうか? もしかして帰っちゃったりとか……その、私の反応がめんどくさくて? いやいや、そんな様子をなかったし。
思い返してみると……あの我慢する様子は、トイレにしては違和感がある。それに彼は、トイレに行きたいと告げるのを、私に尋ねられるまで待つようなタイプでもない。だとすると、あのほっとするような仕草は?
そこまで考えて、私はハッとした。性欲だ。いやでも……もし違ったら、とても失礼なことを邪推してしまっていることになる。でも、もしそうなら……私は嬉しいと思う。まだ身体を許すつもりはないけれど、そういう風に思っていてくれて、しかも私に気遣って我慢してくれているのだと思うと、彼がかわいくて、いつも以上に素敵な人に思えた。
「ただいま。遅くなってごめん」
その時、スッキリした表情の彼がトイレから出てきた。あ、当たりだ、と思った。さりげなく腕を組むついで匂いを嗅いでみたが、よくわからなかった。
「ちょ、胸当たってる」
「あ、ごめん」
私は自分でもびっくりした。目的があったとはいえ、そんなナチュラルに腕を組んで胸を当ててるとは。あまりに大胆だ。
なんか急に不安になって、軽い女だと思われないか心配だった。なんで、そんなことしてしまったのだろう、と後悔した。普段なら絶対にしないというか……そもそも、男の人とこうやって手をつなぐこともほとんど初めてなのに。
なんか、苦しい。嬉しいし楽しいのに、ドキドキする。落ち着くことがうまくできない。
「大丈夫? 顔赤いけど」
そう言われて、彼を見上げる。彼は平然としている。
「なんか、ズルくない? そういうの」
私はついトゲトゲしくなってしまう。自分でも自分がうまくコントロールできない。
「喫茶店にでも入ろうか」
「うん」
おいしいコーヒーでも飲めばきっと落ち着くことだろう。
コーヒーを待つ間、少し落ち着いた私は、どこかアンニュイな雰囲気で私ではなく人混みを眺めている彼にちょっとだけイラついて、少しからかってやろうと思った。自分の好奇心を満たしたいとも思った。
「やけに落ち着いてるね」
「うん。ちょっとね」
私の方をしっかりと正面に見据え、ニコっと微笑む。私の方がドキっとしてしまう。からかわれているのは、私の方かと思った。それが何か悔しくて、もっとストレートに切り込むことにした。
「トイレ、長かったね」
「追求するんだね? それを」
彼はどこか楽しそうだった。
「何をしてたんですかね?」
「そりゃ、ナニを」
隠さないのか、と私は思わず笑ってしまう。確かに、隠す理由もない。
「男の人も大変そうだね」
「自分でも驚いたよ」
「え?」
「こんなに抑えられなくなるのは、本当に小学生ぐらいのとき以来だった。大体君の無邪気さが悪い」
私はその言葉を噛み締めて、嬉しくなった。そうか。彼にとって私はやっぱり魅力的なのだ。
「欲求っていうのは、難しいね。お互いに」
「僕も分からないんだ。でも今は、焦りたくない」
「うん。ゆっくり進めていこう。こういう時間は、あまり長くないしね」
友達以上、恋人未満。この先どんどん仲が深くなっていくなる。いつでも仲を深めることはできるけど、この瞬間のこの気持ちも、きっと大切だからもっと楽しんでいたい。それがいつか、綺麗な想い出として二人の絆を支える根になるんだと思う。
「僕らは今、土台を作ってるんだ」
「私は、根っこを育ててるんだって思ってた」
「両方だね。しっかりとした土に、しっかりとした根を張り巡らせる。そうすれば、どんな風雨にも負けない強い木が育つ」
二人のコーヒーが届く。彼は人混みを眺めている。私も同じように人混みを眺めてみる。すぐに視線を戻す。彼と目が合う。彼は私の横顔を見て、どう思ったのだろう? 綺麗だと思ってくれていたら、嬉しいと思う。
「私、綺麗?」
「綺麗だよ。横顔も綺麗だし、まっすぐ見つめる君も素敵だ」
この瞬間のために世界は存在していた。冗談ではなく本気そう思って、この喜びを心に刻み込んだ。
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