万聖節の夜(現代恋愛)
心を和ませてくれた金木犀のほんのりとした香りもすっかり成りを潜め、風の冷たさに冬の片鱗すら感じさせる、晩秋の夜。特に意識もせず、なんとなく捲り続けている日めくりカレンダーに、今日は目が留まる。今日から十一月。今年も、後二ヶ月か。
そこまで考えて、ため息ひとつ。月初めには何やら不思議な力がある、……錯覚、と言ったほうが正しいかもしれない。前の月までの鬱憤とかを一旦リセットして、心新たに頑張ろうなんて、都合の良い錯覚。目の前に広がっているのは、いつだって変わりの無い日常。こっちの都合なんてお構いなしに、毎晩の様に響き渡るノックの音もまた。……でも、今日はちょっと遅い。
* * *
いつもより二時間近く遅い時間に、結局今日も『ヤツ』は現れた。
「とりっくおあとりーと!」
センテンスに振ってあるカタカナのルビをそのまま読みましたって感バリバリの発音。近所迷惑極まりない声のボリュームに加え、フード付きの白いコート(フードは被っている)と、どこから手にいれたのか香港映画の怪しい行商人が書けてそうなまん丸なグラサンといういでたちのヤツを目にした瞬間、何の迷いも無くドアを閉める。……が、飛び出したヤツの右足が完全なる遮断を許さなかった。両の手の力をドアノブに込めヤツを遮断しようとするこちら側の力と、ドアと外枠にそれぞれの手をかけてこじ開けるように中に入ろうとするヤツの力が拮抗する。
「今日と言う今日こそはお前との縁を切ってやる。ご近所に迷惑かけた罰を味わいやがれ」
「ははは。ほんのジョークじゃないか、聡明なアキラ君だったら言葉の意味も理解してくれるだろぉ~?」
「理解してほしけりゃあ、普通の方法で来い。第一ハロウィンは昨日だ。大馬鹿者」
「あ、そうだっけ? まあいいじゃん、単なるお祭りに遅いも早いもあるか。それより、いいお返事待ちわびてるんだけどー? もうピンチ寸前♪」
毎月十日のバイト給料日近くになると決まってウチにやってくる。体の一部だと思っているのか、さもこれがもう当然の出来事だといわん限りの態度で。要するに飯をたかりに来る、無論金はビタ一文払わない。たとえ給料が入ってもだ。
一度ついアパートのお隣さんのよしみで晩飯に誘ってしまったのが全ての過ちだったとは。正に、味をしめる。……全然上手くないけど。
「馬鹿者。ハロウィンは万聖節の前夜祭だ。十月三十一日という日付に意味があるんだ」
何だ万聖節って、という奴の質問をさらりと流し、いっそう拒む力を強くする。
全ての聖人と、殉教者を記念するキリスト教の祝日、それが今日十一月一日の「万聖節」。その「万聖節の前夜祭」に当たる日が、何でかぼちゃおばけのちょうちんをひっさげ、仮装するお祭りになったのかは、自分の知識ではわからないが。
"Trick or treat!"
仮装した子供が、『何か頂戴、じゃないといたずらするよ』という意味の言葉を掛けお菓子を貰う、というのは良く知られたハロウィンの光景だ。まさにそれをヤツは模しているという訳だ。白いコートはきっとハロウィンの仮装としては定番中の定番とも言える、お化けのつもりなのだろう。
ちなみにお菓子を求められた人間は"Happy halloween!"と返しながら、子供にお菓子を与えるのが正解だが、誰が貴重な食糧を摂取させてやるものか。いつもどおりの日常と考えたのは撤回しよう。今日から十一月、節目の日にヤツとの縁をきっぱり切ってやる。もし問いかけがその通りの意味で、無報酬の報復が本当にあるとしたとて、無視攻撃で乗り越える自信はある。聖人と殉教者の記念日、すなわち日本でいえば盆(多分)の様な日に他者を虐げる行為は不謹慎かもしれないが、キリスト教徒じゃないので良い事にしておく、実家は曹洞宗だ。ああ、仏教徒ではもっと不謹慎か? いや、これはこれだ。思いながら、渾身の力を込める。
体感時間的に約三分は格闘した末に、現役柔道部員のヤツが勝利した。しかし、悲しきかな、元陸上部という肩書きは、卒業後一年間トレーニングから遠ざかっただけで、かなり鈍ってしまうものらしい。元々、補欠にも入らん程度のレベルだった……というのは余談だ。
* * *
「そんじゃま、お邪魔しまーす!」
「入っていいとは言ってないぞ」
言葉を無視し、我が家の様にヤツは上がりこむ。いつもの事だ。
「何だ、イベントとかに興味ないフリして結構敏感なんじゃん」
狭いキッチンのシンクの側で幅を利かせている南瓜の群れを見ながら、ヤツはしてやったりと言った風の笑みを浮かべてこちらを見ている。
「それは我が母上様が、一人暮らしの我が子を思って支給して下さった、ありがたい仕送り品だ」
「なあんだ。つまらん」
口を尖らせて、いかにも期待はずれ、な不機嫌顔を向けられた所でどうしろと言うのか。勝手にご機嫌を損ねているのはお前だし、何よりもこちらは大げさに言えば完全なる被害者だ。
PM11:00。自分自身は、ばっちり活動時間だが、それでも社会の 常識てものがあるだろうが。仲の良い友人とかなら水臭いこと言うなよ、で済むかも知れないが、そう言う関係ではない。…とは言え、すっかり顔なじみになっているという事実は否めない。卒業までの三年間これが続くのだろうかと思うと、日々気が休まるときがない。唯一の救いは、学校が違うという事だけだ。第一志望の大学に落ちた時は、ショックで食も細くなった時期すらあったが、今となってはそれすら幸運だったと思える。何てたって、女の園。許可証なしに侵入しようものなら、逞しい守衛さんがすぐさまロックオンしてつまみ出してくれる。
「良し、今日は特別にこれをやろう。さ、目的が済んだらとっとと帰れ」
「南瓜は好きだから嬉しいけど、俺料理の仕方なんか知らないよ。あ、アキラ君が出張サービスして料理してくれるなら嬉しいなあ」
「帰れ!」
「もう、意地悪なんだからっ。女の子が乱暴な口の聞き方しちゃいけません!」
「こんな時だけ女扱いするな! 後、男のクセにしなを作るな気持ち悪い」
「君こそ、こんな時だけ男扱いしないでよー。」
それは正論だ、反論出来ない。
「いいじゃんか、キレイな女の子に自分ちで料理を作ってもらうなんて、普通の男子が夢見てる光景じゃん」
「だったら、別の女にやって貰え。好きでもない女だったら、無意味だろ」
コチラとしては会話にピリオドを打つ有効な台詞と思っていたのだが、ヤツにとっては新たな突破口になったらしかった。再びしてやったり顔、どうにもこの顔は苦手だ。
「へえ、結構ロマンチックな思考も備えてんじゃん」
「別にッ……!」
「だったらさ、尚更アキラ君に来てもらわなくちゃだめかも」
人が百八十度変わってしまったかのように、穏やかな口調で言ったヤツの姿が、その瞬間妙な気分と共に目に焼きついた。
その意味を、自分自身が介するのには、しばらくの時間を要するのだけれども。
* * *
特別な意味を持った日であろうが、いつもと変わりなく過ぎたと思ったあの万聖節の夜。南瓜の煮つけを作りながら、あの日が始まりだったのかなと、冷蔵庫の日めくりが示す日付をみながら、思い出し笑い。
十一月一日。万聖節。毎年この日には、南瓜料理を作る。あの日、結局作ってやった南瓜のプリンの事を思い出しながら。
もうすぐ、愛するヤツ、我がダンナ様が帰ってくる。
短編集 壱 月島瑠奈 @irei_shiizuka
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