【第7章・野良犬の独り言(未来編)】『三文以下の未来』
――三十センチほどの大きさの人間(もちろん、大人だ)が、地べたを這っている。よく見ると、地面に生えた苔のような物質を嘗めている。
首には、細い鎖が巻かれている。
その傍らには、先ほどの宇宙人が立っていて、その鎖を握る。リードを握る、飼い主そのものだ。ときたまイカが口から、水色の液体を吐きだした。それを「人間」は嬉しそうに舐めた。舐めまわした。場所は、埃っぽい巨大な倉庫のような場所だった。
その映像に、嫌悪感で胸が一杯になった。すぐにでも目を逸らしてしまいたいが、身体が言うことを利かなかった。釘づけだった。
「この人たちは、宇宙人に囚われている奴隷なの」
みるくの声は乾いていた。あまりに端的な説明。可哀想だと嘆くことは、罪ではない。ときには必要なことだ。
「奴隷……」
喜瀬川につき従う人間が奴隷なら、宇宙人に支配される人だって奴隷だ。
なんだってんだ。おれたちのごっこ遊びとは、こうも違うもんか。
「あたしはこの人たちと連絡を取りあってるの。みんな一見宇宙人に支配されてるみたいだけど、心の中は悪い宇宙人に反旗を翻す、レジスタンスなんだから!」
彼女は熱のこもった眼差しを向けた。美佐子さんは小さく欠伸をしていた。本当に、退屈そうだった。
「あたしね、レジスタンスの人と一緒に、この世界を征服する悪い宇宙人をやっつけるの!」
その「悪い宇宙人」というのは、さっきの宇宙人だろうか?
哀れな水たまり。
おれはみるくが映しだしたモニターを木のうろのような瞳で見つめ、虚ろに尋ねる。
「……この人たちは、本当に地球人なのですか?」
「そうだよ、この人たちは『侵略電波』で、こんな姿になっちゃったの」
彼女の口からこぼれるのは、出来の悪い悪趣味なSF。三文のパルプ小説以下の物語。
これが真実の未来であるならば、今を生きる意味というのはどこにあるのか。
おれたちは、どうして生きていくのだろう。明日にでも、オカルトな電波に踏みにじられてすべてを失うかもしれないのに。そんなことを、嘲笑気味に思った。
「でも、レジスタンスのみんなは諦めてない、地球を取りかえす、自分たちのものだって一生懸命生きていて……」
彼女は言いかけたところで、ふと何かに気付いたようで、ポケットに手を入れた。彼女はポケットからぐちゃぐちゃに潰れた紙コップを取り出して、耳に当てる。
みるくは、「電話の向こう側の誰か」に話しかける。
「うん……うん。今が一番、辛いときだよ。今ね、仲間ができて、より一層戦力強化できたんだよ。うん、うん……かわるね?」
はい、とみるくが紙コップを手渡す。おれは断ることもできず、恐る恐る耳にそれを押しあてた。何の音もしなかった。
そりゃあ、そうだ。糸が、どこにも繋がっていないんだから。
「……」
無言で電話を彼女にかえす。その後も彼女は、電話の向こうの誰かに励ましの言葉をかけ続けた。彼女はいるはずのない相手に、甘ったるい愛と、腐り落ちそうな希望を吐きかけているのだ。見ているだけで気味が悪い。おれは酸っぱいものが喉の入口まで迫ってきているのを涙目で飲み込んだ。
「……悪いけど、帰るな」
おれは言った。悪いとも思っていないのに、どうして「悪いけど」なんて言葉が出てきたのかわからない。みるくは、ビー玉みたいな瞳をおれに向けた。目の奥にあるのは、「希望」だけだった。濁った泥水を啜りながら、悦んでいる人間を目の当たりにした気持ちだ。
「どうして? これから、『ハラハラドキドキ! 超☆未来編』の始まりでしょ?」
みるくは、無邪気におれの腕をとる。おれはその腕を振りほどいた。美佐子さんが、また一つあくびをした。「この世界」は、おれたちにはあまりに息苦しい。
尖った口調でみるくに言う。
「いや、いい。むしろ帰れるチャンスだぞ? おれたちと一緒に、現実に帰ろう」
みるくは、軽蔑のたっぷりこもった視線でおれを見つめた。
「ここで無視して帰るって、ひどくない? みんなみんな、助けを待っているんだよ」
映像の中の「人々」は、工場の床に零れている水色の液体を、ただうまそうに、惨めったらしく、哀れで、嬉々とした光を灰色の瞳に宿して、啜り続ける。
彼らは生き物として、悦びを感じているように見えた。
人間は、常になにかに隷属したい生き物なのだろうか。誰にも支配されないことは、自由で幸せの絶頂にいるようで、実際はただ喘いで苦しむことにしかならないのか。身に余る自由というのは、彼らにとって発狂するほど甘く、同時に疎ましい果実なのだろうか。
彼らは今、支配されている。彼らにとっていま必要なのは、自分を律し、守り、支配する、不気味な宇宙人なのではないだろうか。そう考えると、彼らを解放する意義も、必要性もわからなかった。
……何を考えているんだ。背中に冷たいものを感じながら、ぶんぶんと頭を振り乱した。おれも、そうなのだろうか。
なにかに属し、使われることを心の底では望んでいるってのか?
――ぞっとしない話だ。
「あたしは、ここで生きて、必要とされたい。映画のスターみたいに。ヒーローみたいに」
「映画のスターは、映画だから死を恐れず生きていられる。でも、お前は……」
おれの言葉は、詭弁でしかなかった。どこかで聞いたことのある言葉でしかなかった。少なくとも、みるくを救える力を持つ言葉ではなかった。
無駄だったのだ。彼女の眼は、おれへの否定の色で染まりきっていた。
「トラさんは、言ってくれたよ。人間は、毎日生れ変わっている」
「言ったか、そんなこと? 自分が何言ったかなんて、忘れちまった」
そうだ、なにもかも。ましてや、みるくと交した、ほんのわずかな言葉なら、なおさら。
彼女はなおも続けた。
「細胞が入れ替わって、人間は毎日生れ変わるって言ってた」
彼女は強い意志を孕んだ声で、叫んだ。空気が、ビリビリと震えた。
「あたしは、生まれ変わったんだ!」
彼女の擦り切れた言葉が、おれの頭をどろりと焼いた。
「……もう、かける言葉もないね」
黙っていた美佐子さんが、諦観の色を濃く浮かべた。極限まで声を冷たくした彼女は、誰よりも美しかった。
「トラさんも、戦おう? ね?」
みるくは懇願した。助けてくれと言えば、おれは手を差し伸べたのかもしれない。しかし彼女はあくまで、自分の考えを押しつけるだけだった。
嘲るように、みるくに言葉をぶつける。
「こいつらが助けを必要としているとは、とても思えないけどな」
モニターに映る人々の、快楽でだらしなく蕩けきった頬を見て、吐き気をもよおした。
おれは感情的、かつ静かに言う。
「みろよ、この嬉しそうな顔。みるく、お前には現実が見えていない。お前のやろうとしているのは、人助けでもおせっかいですらない、ただの……」
自己満足だ。誰かに必要とされ、救うことで自分が救われたいのだ。
しかし、みるくはそれ以上の言葉を許さなかった。
「そんなことないよ! みんな、今すぐ助けてくれって……」
さっき言いかけた言葉を、飲み込んだ。これ以上の言葉は、彼女の支えさえも、崩してしまいうる言葉だ。彼女がこの世界で生きるのを望んでいるのなら、そうさせてやればいい。
「生憎、未来編はお呼びじゃない。好きにしてくれ、レジスタンスでも、宇宙戦争でも」
おれは美佐子さんに「行きましょう」と言った。美佐子さんは、低い声で「そうだね」と頷いた。
未来、ね。ちょっとばかし持て余す話だ。おれみたいな、チンピラには。
おれたちは扉を使って、元の世界に戻った。
開かずの間は、二度と開かれることはなかった。
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