【第7章・野良犬の独り言(未来編)】『未来のようなもの』

 すべすべとした、アスファルトに近い、なにかだ。なにかと言う言葉は描写に一切適していないが、仕方がない。地面は、おれの知らない謎の素材で成り立っていたのだ。

 少しべたべたとする。靴の裏に張り付く。流し込んだばかりの、アスファルトのよう。

 この世界は、おれの知っている「世界」に似ている。どこかわからないが、栄えている都市なのだろう。それくらいしか言えない。この街は、色々な「なにか」で組成されていた。

 ビル「のようなもの」が乱立し、車「のようなもの」が行き交い、信号「のようなもの」を順守し、排気ガス「のようなもの」をまき散らし、人「のようなもの」が、「ウインドウショッピング」のようなものにいそしむ。「人」と言っても、おれと同じくらいの背丈の、イカみたいなタコみたいな、つやのある水色の軟体生物が街を闊歩しているのだが。

 こいつらは、宇宙人?

 空は禍々しい渦を巻いたピンク色をしていて、これは「晴れ」なのか「曇り」なのか、はてまた「雨」なのか。考えるだけ、無駄だと思った。

 ここは、あまりにも作り物めいていて、昔子どもだましのテレビ番組で見た「未来の世界」みたいだと、そうとしか思えない。おれの知っている「人間」の姿はなかった。

 美佐子さんと顔を見合わせた。彼女は驚いているのか、ぽかんと街を見回すだけだった。

「……ありゃあ、なんだい」

 彼女が指さしたのは、こちらに対して、触手の一本を向けている宇宙人(ではないかもしれないけど、そうとしか呼べない)。この世界での常識などわからないが、敵意があるようにも思えた。友好のポーズなのかもしれないけれども。

 わからない。

「ヴうぅぅぅぅぅぅ」

 宇宙人は言った。唸るような、冷蔵庫みたいな鳴声。

「なんて言ってるんですかね?」

 どうにか言葉を紡いだ。

「アイラブユー、かもしれないねぇ」

 美佐子さんは、うっすらと笑う。

「そうは見えませんけど」

 ……なんだ? なんだってんだ?

 この状況、だれか説明できるか?

 扉を開けたら未来の世界って、そんないい加減な。

「坊や、あいつこっちにくるよ。なんだろうねぇ」

 宇宙人には、宇宙人の言い分があるだろうさ。

 でもとりあえず、ぬめりを伴い軟体生物が躍るように接近する姿は、グロテスクである。

「ヴぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 宇宙人は唸る。そうだ。イカを網の上で炙った音に似ているんだ、と思った。

 あれは蒸気の音じゃなくて、断末魔だったのか?

「はい、お元気? ご機嫌イカが?」

 おれは最大限、きさくに話しかけてみるが、唸るだけでご機嫌伺いもできやしない。

「なんか、にょろにょろにょろにょろ……いやらしいねぇ」

 美佐子さんは宇宙人の触手を熱っぽく見つめ自分の身体を抱き、うっとり頬を赤らめる。

 この状況で興奮しますか。死人は余裕ですね。

「ヴぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 宇宙人は触手を鞭のようにしならせると、おれの腰のあたりに巻きつけた。おれは咄嗟のことに、身動きが取れない。美佐子さんは助けようともせず、状況に身を任せるだけだった。

 触手は、締めつけるようでもなく、柔らかく、抱きしめるようでもあり。ただ、透明な粘液が染み込み、不快だった。

 おいおい、どうせやるならなら美佐子さんにしてくれよ。

 おれが触手と戯れてるんじゃ、画がもたないって。

「ヴぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「ヴぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「ヴぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 周りの宇宙人共も、おれたちを囲うように集まってくる。

 さて、夢ならそろそろさめておくれよ。おれの無意識、どないなん。

「……これって、ピンチなんですかね」

「さあねぇ」

 おれの質問に、美佐子さんは素っ気なく答えた。こんな緊迫感のない絶対絶命があるか。火でもつけてやりゃあ、気の利いたおつまみだってのに。

「ヴぅぅぅぅぅぅぅ」

 おれを絡め取っている宇宙人が、少し語気を強めて鳴いた。そして、もう一本の触手を美佐子さんに巻きつけた。

 いよっ、待ってました。

 皆さま、陰気臭い話が続いてましたが、ここにきて初のサービスショットですよ!

 ぎゅむぎゅむと、美佐子さん豊満な肉体が触手で締め付けられ、滑りのせいかYシャツが濡れ、青い血管が通う柔肌が、透けて見える。粘液が泡立ち、糸を引く。

 たまらなく官能的だ。つか、すけべぇ。描写にも力が入ります。

「あら、いやーん」

 美佐子さんは抑揚なく、声をあげた。いや、それはそれで、なんかいやらしいけども。

「サービスシーンなんですから、もうちょっと気合入れてください」

「イカなのにマグロ。そういうジョーダンはどうだい?」

「どうだいと言われましても。それより、この状況まずいのでは」

 しかし、彼女はあくまで余裕たっぷりにはしゃぐだけだった。

 楽しんでいるというか、戯れているというか。

「私は死んでるからいいんだよ。いやぁーん、ぬるぬるでかんじちゃう」

「まだ言いますか」

「夢みたぁーい♪」

 夢だとしたら、おれの無意識はどうなっているんだ。二回目。

「脳味噌ずるむけちゃうぅぅぅー♪」

 美佐子さんは絶頂に達したような、掠れた嬌声をあげた。女は、演技派だ。

 おれはどうしようか、曖昧に助けを求め、とりあえず辺りを見回してみた。すると、この異様な世界の中でも、一際奇妙なものを見つけてしまう。

「……あ?」

 ビルの屋上に人影を見つけたのだ。その姿がまた、珍妙である。

 赤いマントをはためかせ、光沢のある原色のぴたぴたとした服を着た少女。目元には、プラスチック製のスカウターのようなものをつけていた。

 戦闘力測れそうな、アレ。ま。有体にいえば、正義の味方?

 すいません、ボキャブラリー不足でございます。

 美佐子さんはと言うと、「あへー」とか「うひー」とか、官能ショーごっこ。

 この人、マジ役に立たない。

 ビルの上の少女と目があった。意志の強い瞳だった。遠いからでもはっきりとわかる、大きな瞳。彼女は、口をパクパクさせた。どうやら、「早く、早く」と急かしているらしい。

 俺がここで言うべきセリフは一つ。彼女が待っているセリフも一つ。

 少し迷ったが、喉を開く。

「……たーすけてくれぇー」

 我ながら、程よく裏返った間抜けな声。なんともこっぱずかしいが、彼女の表情は「助けを呼んで、呼んで!」と訴えてきていたのだ。

 おれの声に呼応するように、彼女は腕を曲げたり伸ばしたり妙なポーズをとる。なにやら、ヒーロー然としていることだけは伝わる。

「誰が呼んだか……あ、いや、風が……。じゃなくて、えー」

 少女はしどろもどろに、首を傾げながら言葉を連ねる。なにかお決まりの登場セリフがあるのだろうが、どうやらうろ覚えらしい。

「いっか、めんどくさい!」

 彼女は言い捨てると、右手の親指と人さし指で輪っかを作り、目元にかざす。

「超☆未来バスター!」

 彼女は、恥ずかしげもなく恥ずかしいことを叫んだ。

 未来。文字通り、彼女の指から、「未来」という形をしたまばゆい光線が発され、宇宙人にヒットする。ひでぇ必殺技だね。

 ――それを喰らった宇宙人は、一瞬のうちの溶けて無くなった。ただ、そいつがいた場所に水色の水たまりができた。

「……」

 こわ。なにこれ、めっちゃこわいじゃん。

 溶けちゃってんじゃん、なんか液体になっちゃってんじゃん。

 今のおれに当たってたら、おれが水たまりじゃん?

 目を覆いたくなるいいかげんな展開。未来には、消費されるべき物語がない。

「ヴぅぅぅぅぅぅぅ」

 逃げまどう宇宙人。そりゃあ、誰だって水たまりにはなりたくない。

 しかし正義の味方ちゃん、容赦ない追撃。なんつうか、地獄絵図。

「超☆未来バスター!」「超☆未来バスター!」「超☆未来……」

 そこには宇宙人の断末魔と、場にそぐわない少女の快活な声だけが響き渡った。触手から解放された美佐子さんが呆気にとられた様子で、少女を見つめていた。

「なんすかこれ」

「さてねぇ……」

 美佐子さんは、呆けた声で言った。おれたちは、いくつもの水たまりをみながら、ただ、うんざりと。

 未来とは、なんぞや?

「なんじゃこりゃあ」

 おれは言った。

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