【第7章・野良犬の独り言(未来編)】『開かずの間』

「開かずの間、ですか」

 七不思議。どこにでもある、気の利かない暇つぶし以外の何物でもない。

 そんな話の一つである。ここにもそういった類の話があるらしく、「開かずの間」はその一つだそうだ。

「お化けが七不思議調べるなんて、冗談にもならないけどねぇ」

 地下一階・西棟の廊下を美佐子さんの後をついて歩く。冷え冷えとした風が、ひゅうとおれのつむじのあたりを撫でる。くそ、本当に気味が悪いぜ。

「地下一階は客間じゃなくて、昨日使ったろうけど、カラオケがある以外には倉庫や空き部屋になっているんだ。こっちの西棟は、フロントからも遠いし、清掃員以外はほとんど近づくことはない場所なんだ」

 いいって、そんな説明なんかしなくて。

「その一番奥の部屋。そこが、開かずの間なんだ。ここが出来てからずっといる事務員のじいさまも知らんし、祖父もその部屋についてはわからないと首を振るんだ」

 あの、ジジイがねぇ。あいつなら、とぼけているだけにも思えるが。

「鍵がかかっているってことですか?」

「どうだろうね。気味が悪いし用もないから、誰も開けようとしたことがないみたい」

「それが賢明ですよ」

「ただ、悪趣味な客がね、一度だけ探りに行ったことがある」

 おれは、生唾を飲んだ。

「その客ってのも、もう二十年以上前のことがね。彼らの話によると、部屋の中には、小人がいたって噂だよ」

「中? 開かないんじゃないんですか?」

 いきなり、話が矛盾している。それじゃあ開かずの間じゃないじゃないか。

「選ばれし者だけが、その扉を開けるのさ」

 美佐子さんはばつが悪そうに視線を逸らしい、いかげんに言い放った。

「馬鹿言わんでください。その興味本位の客が、選ばれし者だって言うんですか」

「さぁねぇ。でも、面白そうだろう? ……あ、そこだそこだ」

 彼女は腕まくりをして、嬉しそうに眼を爛々とさせる。

 まったく、長生きしないぜ。いや、もう死んでるのか。

「なんか今の前置きがなければ、普通の部屋って感じですが」

 だが、こうして話で色をつけられちまうと、妙に禍々しく感じるから不思議なもんだ。

 そこは廊下の突き当たり、他と違いなく水色の扉で、真鍮のドアノブは埃を被っている。

 小人、ね。酒の飲み過ぎだよ、そりゃあ。

「……さぁ、早く開けなよ」

「え、おれ?」

「私じゃ開けられないんだよ。ほら」

 彼女は躊躇いなくドアノブを捻り、ガチャガチャと引くが開く気配がない。

「単に鍵がかかってるんでしょう。おれだって、開けられないですよ」

 おれは早く帰りたい一心で言う。本当は、こんなこと付き合いたくない。

 でもさ、おれが言うこと聞かないと、『祟るよ』と言われるに違いない。

 決め台詞みたいにさ。

「四の五の言わないで、やってみたらいいじゃないか。ほれ、鍵」

 彼女はボケットから鍵束を取り出し、おれに差し出す。

「どの鍵かわからないですよ」

「どれでもいいさ」

「……どういうことですか」

「地下室は、これだけ種類があるように見えて、実は全部同じ鍵で同じ鍵穴なのさ。まったく、ふしだらだよ」

 彼女は笑い、多くの鍵の中から、一つを適当に選び、鍵穴にさす。

 なるほど、たしかに鍵はすんなりと挿され、捻るとかちゃんと小気味いい音がする。美佐子さんは威勢よく再びドアノブを捻るが、開くことはなかった。

 鍵がかかっているという線は、これで消えてしまった。

「ほら、やってごらんよ」

 彼女は、顎でおれをそそのかす。カラスの羽根のような漆黒の髪が、静かに揺れた。

「……おれがですか」

「他に誰がいるんだい。ホント、甲斐性のない人だね」

 彼女はおれの手を乱暴に取り、ドアノブに添えさせる。彼女の指は長く、軽く反っていて、たまらなくいやらしい。長い指が手に絡み、もやもやとした感情を抱く。

「ほら、開けてみろ。運だめしだよ」

 運試しね。運になんか頼りたくもない。

 そんなのは運の悪い男の、みじめなルサンチマンかね?

「どうしたんだい?」

 彼女が動くたび、ふわりと百合のにおいがする。官能の香りだ。死者の香りだ。

 閻魔さまも、色香で前かがみになっちまうぜ。

「わかりましたよ。おれも男だ」

 バカバカしい。

 おれは、ノブを捻った。

 ――ぎぃ。ぎぃぃ。

 扉は呻くように鳴いた。この感触は。残念なことに、すんなりと扉が押し開かれる、感触だ。中の空気が漏れて、粘ついた埃が身体を浸食する気さえする。開け放たれた扉を見て、美佐子さんは「選ばれし勇者だったのね、坊や」と笑った。

「……」

 美佐子さんの声に応える余裕もなかった。扉の向こうの風景に、思わず目を見張る。そこには、信じられない光景が広がっていた。

 なにかの冗談。美佐子さんが仕掛けたイタズラだろう。そう、思いたいが、そんな言葉では説明がつかなかった。

「……こりゃあ、なんだい?」

 後ろからのぞいた美佐子さんは、息を飲んで言った。おれは軽口すら叩けず、言葉を失った。どう説明したらいいものか。

 陳腐で、言葉足らずで申し訳ない。

 ――扉の向こうは、未来の世界だったのだ。

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