【第5章・犬も喰わない閃き】『牧羊犬』

「のう、トラヴィスくん」

 皺の寄った声。隣には、いつの間にか社長が立っていた。目深にハットを被り、表情はよく窺えなかった。

「社長」

「君、舞台に上がれるかね」

「なにを仰っているんです。さっき大恥をかいたばかりなのに」

 おれは言った。そうだ。とんでもない。

「今喜瀬川が舞台に上がって、大成功だったじゃないですか。どうして、このタイミングでおれがあがれましょう?」

「じじいの頼み、きいてくださいな」

 社長には、心を見透かす力がある。おれの興奮を、手のひらで転がす。

 ふん。おれは直感していた。このまま客をかえしてはいけない。舞台袖で魂が抜けてしまったように呆けている喜瀬川を一瞥した。

「この会社を、救うと思って」

 社長は言った。

 わかったよ。いいぜ、これはいわば悪魔との契約。

 おれは舞台に上がった。熱による蒸気で頭の中は真っ白で、夢中だった。

 こんなのは運転手の仕事じゃない。それでも舞台に上がったのは、きっと、彼女のステージがもう一度見たかったのだ。

 このままでは、次回彼女はステージには立たず、みるくに席を譲るに違いない。

 おれは、しがない狂言回しだ。喜瀬川の背中を押すためだけに喋る。

 舞台に上がると何人かは難色を示し、その他の客は、セカンドステージを予感してざわつき始めた。

 おれは、客に問う。

「この世界は、狂っている。そう、考えたことはないでしょうか」

 散々、いい加減なことばかり吐いてきたおれだが。

 今回は、果たして。

 インチキ霊媒師から、やっとこさ運転手になれたってのに。今度は、インチキ宗教の幹部か。おれっていつまでたっても、チンピラなのね。

「我々は『プロダクション・レミング』という組織の者です。世の中、理不尽なことばかりだ。それは、あなたが間違っているのではなく、世界が間違っているのです」

 ステージが少しざわつく。おれは続ける。

「わたくしたちは知識を蓄えすぎて膨れた頭のせいで、この世界の閉塞に喘いでいる。知りすぎたのです。この狂った世界について」

 客がざわつく。こんなの、でたらめだ。おれたちは世界に対して、子どものようにワガママを言い続けているだけなのに。

 でまかせで、着地点を探す。

「告白いたしますと、先ほど歌ったのは、『みるく姫』ではございません。彼女は、エリカ。貴方がたを外の世界へ導く、使者であり、貴方がたの『ご主人様』です」

 そうだ。喜瀬川は、ここで舞台を見上げる家畜どもを調教する『ご主人様』だ。

「彼女は、息苦しいこの世界に閉じ込められた皆さまを救いに来たのです。狭い現実から、貴方たちを解き放つため。いわば輝かしき心中とでも言いましょうか」

 ワァァァァァァァァ。

 歓声。人の声のかたまりは、ひどく個性がない。おれは、続ける。

「しかし、ただ全員を救うことはできない。彼女は、パートナーを探している」

 彼女に出会った日を思い出した。

 婚姻届。遺書。

 ふん、死にたがりめ。

「彼女を愛し、試練を乗り越え、魂を燃やし尽くしたものだけが穴蔵から抜け出せる。巷では今、終末が叫ばれています。死に方も選べない世の中を、エリカ様は嘆いている。エリカ様とともに、素晴らしい死を選びましょう。選択は、今だ」

 そうだ。この世界から抜け出せる。喜瀬川の書いた、遺書を残して。

「これは、種を残す競争です。どうでしょう、よろしければ参加してみませんか?」

 割れんばかりの歓声だ。せいぜい、かわいこちゃんと付き合えるイベント程度にしか考えてないだろうが。こいつらはバカだ。

「貴方たちは、先ほどの『ご褒美』によって洗礼を受けたブタです。ブタだ。ブタだ」

 今日一番のざわめき。おれは震えが止まらなかった。一人一人は平凡な人間だと言うのに、集まったときのエネルギーときたら、もう。

「ブタだけが、彼女と結ばれる権利があるのです」

 そうだね、おれは家畜を追いかけまわす牧犬ってとこか。

 なるほど、野良犬にもついに役割が与えられたわけだ。

 あの女となんて、死んでも付き合わねーけどな。

「今日は初回なので『ご褒美』の甘さしか皆様にお伝え出来ませんでしたが、本番は次回から。我こそは身の痺れる『お仕置き』に耐えられる、という方のみご参加下さい。それでは……と、言いたいところですが。ここで、エリカ様からお言葉をいただきましょう」

 おれは舞台に言葉を残し、袖に下がると放心状態の喜瀬川に声をかける。

「じゃ、あとよろしく」

 彼女の反応は、大体予測できる。『ふざけないで! バカにしないでちょうだい! 何勝手なこと言ってんのよ!』そんなところだろう。

 だが、彼女は不満の一つ洩らさなかった。ただ、客席を眺めていた。

 もしかして、本気でこの中から心中の相手探すつもりじゃないだろうな?

 彼女は、ステージに上がった。おれは舞台袖から、喜瀬川を見た。妖しげに瞳が光り、口元はなにか企みを持っている。「みんな、いかれてるわ」。そういう風に、口元が動いた気がした。

 喜瀬川は舞台にあがると大きく息を吸い、客の大きな注目を浴びながら、一言。

「ブタども、みじめったらしく這い上がってきなさいな!!」

 その競争は、どこまでも原始的で、獣臭い。

 喜瀬川は、そんな死を望んでいるんだろうか?

 わからない。

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