【第4章・野良犬VSメフィストフェレス】『札束で買える奇跡』

 さらに翌日の夕方。

 再び、車内だ。画変わりがなくて、申し訳ありません。

 社長をライブハウス『ヤマアラシ』まで迎えに行った、帰りのこと。社長の家は、『ヤマアラシ』から車で十五分くらいの、郊外にあるらしい。あんな会社でも一応社長の端くれだ、さぞ立派な場所に住んでいるんだろう。

 社長は相変わらず、肘をついて寝転んでいた。そして、首にはネックピローとでも言うのだろうか、U字型のクッションを首にしていた。そうやって寝転んでいるんじゃあ、意味ないだろうに。社長は、ピンクの髪を撫でつけながら、感慨深そうに言う。

「ぼくはねぇ、昔銀幕のスターでしたわ。ハンサムでね。まるで、君のように」

「いえいえ、おれなんか別に」

 こんなちんちくりんのスターいるのかね、まったく。

「えぇ、えぇ。つっても、出させていただいたのは日本じゃないですがね」

「ほぉ」

「日本ではおそらく上映はなかったと思いますが、代表作に邦題をつけるなら……『春の夢』『肉体談義』っつうところでしょう」

 どちらも、どこかポルノ映画のような響きだ。

「どんな筋書きです?」

 尋ねると、社長は目を閉じて、何かを咀嚼するように口をもごつかせた。

「肉体談義っつうのは、喧嘩のことでも男女の交わりのことでもございませんわ。その通り、肉体についてのトークです。ぼくともう一人のアジア人の美男子が、最近腰が張るとか、胃がもたれるとか、そういう類の」

「そりゃあまたお耽美で」

「ぼくの役どころは、ジゴロでありながら、男色家でもあります。それは矛盾ではなく、並列です。ジゴロであり、男色家。えぇ、美しい並列」

 倒錯的かもしれないが、今主流のエンターテイメントっつうやつにはなりませんわね。

「で、その二人が、車で旅をするっつう、ロードムービーなんです。車でアメリカのあぜ道を、ぶんとひた走りますわね。それがまた絵になる」

 自分で言うなよ、じいさん。

「ぜひ一度観てみたいものです」

 社長はふぅー、と息をつき、器用に片手で卵を割るように微笑んだ。

「それなりの夢を与えつつ、現実との折り合い、バランスを解く映画。目の醒める美男子にも、相応の悩みがあると」

「えぇ、美男子ほど悩みが多いものです」

 家がなかったり、ようやく見つけた仕事先の女に酷く嫌われていたり、な。

 こんな無駄話をしているうちに、目的地に着いた。社長の家であるマンションだが何のことはない、平凡な寸づまったマンションだ。はためいた洗濯物も安物ばかりだ。きっと。

 おれが車を降りて扉を開いても、社長は動こうとしなかった。

「社長?」

 社長は、サングラス越しに粘つく視線を浴びせかけた。

 嫌な予感と、福音の鐘が同時に鳴り響いた。



「おれが、ですか?」

「そうですわ。なに、君のいつもの調子で喋ってくれればいい」

 社長は、身体を起こし、車のシートに背中を預けた。

 彼の頼みというのは、今度行われるみるくのライブで、歌の間の繋ぎをして欲しいとのことだった。たしかに、みるくに歌と歌との間を繋ぐ話術はないだろうな。

 まともに歌えるかどうかさえ、危ういと言うのに。

「みるくは、ひどく口べたでしてなぁ」

「はい、そのようで」

「君に頼むのは、若者風にいえば、『えむしー』とでも言うんですかなぁ」

 おれは、断るつもりだった。特別ボーナスでも頂けたら、考えなくはないがね。

「君のイメージとしては、狂言回しが、相応しいがねぇ」

 社長は少し難しい顔をしたが、すぐに顔を綻ばせた。つられて笑った。頬が固くなっていて、ぎこちなくしか笑えなかった。

「それは大変ありがたいお言葉です」

「ぼくはねぇ、アイドルって言うのは、いわば教祖に喩えることができると思うんです」

「面白いことを言いますね。偶像崇拝ともいいますし。ファンを信者とも呼ぶ」

「素晴らしい舞台というのは、いわば『奇跡』ですわな。教祖が信者に世にありもしない、超現実的な感動を与えることこそ、宗教の入り口であります」

「そのとおりで」

 社長は、骨ばってこぢんまりした手でおれの手を握った。妙に力強い。気味が悪い。

 鳩目ウロの顔がよぎった。もっと、気味が悪いぜ。

「君には、宗教団体の幹部、のような役割をやってもらいたんですわ」

「得意です、そういうのは」

 インチキで良ければ、な。

「そうでしょうそうでしょう。頼みますよ。何せ君は……」

「が、お断りします」

 おれが言うと、社長は口を結び、一瞬だが、鋭く刺さるような視線を浴びせかけた。

 ……まったく、そんな目をしないでくれよ。

「どうしてかいね」

「ただの運転手ですから」

「つれないねぇ、運転手くん」

「えぇ、連れませんよ、おれは」

「腐りかけの老人の願いです」

「保存料ばかりを食べている現代人は、死んだ後も腐りづらいそうですよ」とはぐらかす。

 彼はそれならばと、鞄に手を入れる。そしてあるものを取り出した。

 ――札束だ。おそろしい、むき出しで、惜しげもなく。

「前金で、一本だ。これで……どうかね」

「袖の下ってやつで?」

 おれは、にんまりと笑った。ここで飛びついては、この先数カ月の食いぶちにしかならない。じっくり、様子を見るか。

「じじいのワガママを聞いてくだされ。ぼくは君のことを気にいっている」

「それは、男色家としてですか」

「どうですかな。まこれはとりあえず小遣いです」

 社長は口の端をあげて、札束をおれのポケットにねじ込んだ。金ってのは、心を肥やし、魂を濁し、人を狂わせる。

 このジジイ、メフィストフェレスか?

 きっと、おれの魂を喰い散らかそうとする悪魔に違いない。


【第4章・了】

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