【第4章・野良犬VSメフィストフェレス】『いやよいやよも好きのうち』

「喜瀬川の家ってどこにあるんだ?」

 雄太の部屋でしばし酒を飲み(と言っても、おれは飲んでいるのを見ているだけだった。なにせ、おれは運転手だから)、オフィスに戻ったおれは、喜瀬川に尋ねる。みるくは、小さな声で歌いながら、振りつけの確認を何度もしていた。

 真面目なのは結構だけど、顔色悪いぜ。

「そんなこと聞いてどうするのよ。ホモ野郎」

「なんでだよ」

「二人で、いやらしいことしたんでしょ? 息が栗の花臭いわ、たまらなくね」

「どこかだ。鼻がいかれてやがる」

 ごく小さな声で悪態をつき、それから言った。

「ここの従業員を家まで送るのが仕事だろ。家の場所がわからなくちゃ始まらん」

「あたしはいいわよ。みるくと社長だけ、送ってあげて」

「……ホントに、おれのこと嫌いなんだな」

 こうも嫌われる理由は、昨日の質問だけのせいだろうか。

 いや、元々ウマが合わないだけか。

「誤解しないでくれる?」

 喜瀬川は、語気を強めて言った。

「あたし、原付で通ってんの。あんたと二人きりなんて、怖くもなんともないわ」

「……さいで」

 負けず嫌いという域を越えているぞ、こいつは。

「みるく。今日は、もういいわ。だいぶ仕上がってきたわね」

 喜瀬川は、今日一番の柔らかい表情でみるくの肩を叩く。おれは意外に思った。喜瀬川が人にやさしくするなんて。いや、普通はこんなもんだ。おれが特別、嫌われているだけで。

「みるくにシャワー浴びさせるから、あんた出ていってくれる?」

「あぁ」

 じゃあシャワー浴びさせてから呼べよと言いたかったが、おれも子どもじゃない。

 いいか、黙っておこう。

「のぞいたら、殺すわよ」

 喜瀬川は半眼で、おれを軽蔑するように見つめる。

「のぞかないって。ホモなんだろ、おれは」

「本当? 証明できる?」

「……どうしたらいいんだよ?」

「そうねぇ……」

 喜瀬川は首を捻り、そして、とんでもない行動に出る。おれは、目を疑った。

 彼女は服に手をかけ、がばっと白のTシャツを脱ぎ去った。青みがかったような透き通る白い肌が、露わになった。血のように赤い下着だけが、かろうじて彼女の大事な部分を守った。

「証明なさい。あんたがホモなら、ぴくりともしないはずだわ」

 こいつ、どこまで本気なんだろう。人によっちゃあ、誘っているんじゃないかと思いたくなる場面が、この二日で少なくとも二回はあった。

 いやよいやよも好きのうち?

 んなアホな。今時セクハラにしかならない。

「どうかしら? 普通の男なら、ビンビンと、くるんでしょうけど」

 いや、くるよ。おれホモじゃないもん。

 下半身が滾るのを誤魔化そうと前かがみになるが、どうやらちょっと難しい。力士が汗だくでちゃんこなべを啜るところなんかを想像してみるが、難しい。喜瀬川は、おれを見て、「……なに? たってんの?」と白けたように呟いた。

「なはは」

 ヘラリと笑って、喜瀬川を仰ぎ見る。喜瀬川は、絵にかいたようなジト目でおれの全身を打ち抜く。あはは、嫌悪感たっぷりの顔、ありがと。

 でもさ、おれ、悪くないもんね。

「な、なにやってんですか、喜瀬川さん!」

 一瞬に何が起きたかわからなかったのか、しばらく硬直していたみるく。彼女が駆け寄り、喜瀬川の肩にバスタオルをかける。

「あんた、ホモの癖に女好きの色情狂なの? 狂ってるわ」

 狂っているのはお前だ。この露出狂め。

「喜瀬川、家に帰ったら、ニンフォマニアって辞書ひいてみ?」

「ニン……なに?」

「ニンフォマニア。お前はニンフォマニア」

 ニンフォマニア=女性色情狂。

 こいつが律儀に調べてくるかはわからないが、時限爆弾式悪口ということで。

「もう、二人とも出ていってください!」

 みるくは顔を赤くして声を張り上げ、おれたちを追いだす。

 バタン、ガチャん。どうやら、締め出されてしまったようである。廊下は、半袖でも大丈夫な室内に比べると、だいぶ冷える。

「はっちょく」

 喜瀬川は、唾を飛ばしてくしゃみをした。

 わ、へんなくしゃみ。

「……」

 喜瀬川は肩を竦め、手のひらで二の腕を擦る。

「ちょっと、あんた」

 喜瀬川は、おれを指さし冷たく言う。「上着よこしなさいよ」か?

 しかし、彼女の口から出たのは、予想外の言葉だった。

「あんたも脱ぎなさいよ」

「なんでだよ!」

 おれを寒くしても、お前は暖まらない。

「不公平よ」

「世の中不公平なもんだ。どの命も尊くとも、価値に違いがないとは言えない」

「あーもう、なんでこうなるのよぉ!」

「……おれの部屋来るか?」

「いや! あんたの部屋行くなら、ここで待ってる方がマシ!」

「じゃあ、おれは戻るわ」

 ここでお嬢さんのシャワータイムが終わるのを待っているほど、おれは女に飢えちゃいない。

 つか、さみぃ。

「あんたもここで待ちなさい!」

「……なんでおれが」

「あーもう、なんでこんなことになるのよ!」

 喜瀬川は叫んだあと、もう一度間抜けなくしゃみをする。

 なんでって? お前がバカだからだよ。

 そう言いたいのをこらえて、おれは上着を脱ぎ、喜瀬川に渡してやる。彼女は礼も言わず受け取り、腰にタオルを巻いた。悪態をつく元気もなくなったか。

「……ねぇ」

 喜瀬川がぽつりとこぼす。

「ん?」

「風邪ひいてるときって、どうして人恋しくなるのかしら?」

 ……会話に困った挙句絞り出した話題が、それかよ。そういえば、昨日からの会話って全部言い争いか、事務的な話だけだったもんな。

 沈黙が苦手なら、いちいちつっかかるのを辞めた方がいいと思うよ。おれくらい口数の多いやつが黙るってのは、お前くらいだ。

 でもこの瞬間、初めておれは少しだけ、喜瀬川に好意を抱いた。怒る気力もなく困っている彼女は儚く、わずかだけど愛嬌があった。

「……理由はわからんけど。内容的にはわからなくは、ないな」

「いいかげんに賛同されるのは不快だわ」

 じゃあ、どーせいと。

「ぶえっくしょん!」

 今度はおれがくしゃみをする。喜瀬川は、悪戯な笑みを浮かべた。

 どうして、人恋しくなるかって?

 人間は、いつだって人恋しいんだ。ただ、風邪のときだけは強情張る余裕がないだけで。

 ……さ、次行ってみよ。

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