【第4章・野良犬VSメフィストフェレス】『犬の因数分解』
だだだだだだだだだだだだ。
ラブホテルでライブの練習をするアイドルってのは、どれくらいいるんだろうか。マイクを使い、テープの音源に合わせ、みるくは振り付きで歌っていた。歌に詳しくないからわからないが、おそらくオリジナルの曲なのだろう。
彼女の歌は表情に乏しく、音程も壊滅的で全てが瓦壊しているが、一生懸命歌う姿は、なかなか男受けがよさそうだ。おれにはちと、可哀想に映ってしまうが。
腕組みをして、足を落ち着きなく動かす喜瀬川。おれはマッサージチェアで、乱暴に背中を叩かれていた。古い機械なのか、随分と加減が悪い。
だだだだだだだだだだ。
「テンポ合ってないわよ! たた、たんたんたたーた、たたたたたたた、よ」
喜瀬川はリズムよく手を叩き、部屋をうろうろと歩きまわる。
「♪あぁ、あたしの、のう、みそ、つーかむ、あなたがにくいわ」
みるくは、さっきと何ら変わりないリズムで、歌う。
それにしても、ひどい歌詞。
「にくい! じゃなくて、に、くい! よ」
こうして文字だけだと何のこっちゃかわからんが、喜瀬川は手慣れた様子で、振り付けを流すようにやってみせる。正直、みるくの数倍さまになっている。
「ずいぶぶぶんんんんとさままになってててってるじゃ」
おれは言う。言えてない。
喜瀬川は大げさに身振り手振り、いかにおれがバカかを表してくれた。
「さっきからうるっさいのよ! あんた、ホントに暢気ね。もうライブまで一週間ないの」
「いやややややだっててて」
「おりなさい。耳障りだわ」
彼女は声のトーンを下げ、冷たく言った。さっきまでの空回りとは雰囲気ががらりと変わり、おれはたじろいだ。どうしてだか、彼女に素直に従わざるをえなくなる。背筋がしゃん伸びるような、妙な感覚に襲われたのだ。
まるで、主人に怒られた犬ころみたいに。
「そう言われても、な。なんだよ、おれもその歌覚えりゃいいのか? 振り付きでよ」
「あんたに歌って踊れなんて、犬に因数分解させるのと同じよ。ただ黙ってなさいっての」
「じゃあ、もう部屋に戻っていいか?」
おれの新しい『家』は、このホテルの最上階の五階の一室。家賃、月一万円。駅近1K、風呂トイレ別で、これと同じ型のいかれたマッサージ機と、古びたソバージュ女のやらしいビデオつきでこのお値段。こりゃあ、お得な物件なことで。
「勝手になさいな」
喜瀬川はこちらを嫌悪感たっぷりに睨み、舌打ちをする。おれは嘆息して、階段を使って部屋に向かう。風呂に入ろうと思ったが、部屋の間取りはどこも同じらしく、ガラス張りの風呂はひとりぼっちでは少々身に余る。部屋に戻り大きく欠伸をして、ベッドに寝転がった。ベッドの側面に、ボタンが付いていた。どうやら、回転するらしい。
ぐるぐる。おえ。
しばらく回っていると、部屋に来訪者が現れた。
「よ」
回転するベッドの上で呆けていたおれに、雄太が声をかけた。身体を起こし、ベッドから降りる。
「トラさ、今日暇? 俺、この後暇なんだけど飲みいかね?」
彼は軽い調子で言う。まるで、数年来の友人のような気安さで。
「まだ四時だろ。もう終わりなのか?」
この会社は、随分といい加減だ。おれを雇っている時点で、それはわかりきっているが。
「やることなんかねーよ、社長と喜瀬川がほとんどやってんだから。俺はまぁ、ハンサム担当」
すまん、多分おれの方がハンサムだ。
「おれ、悪いけど飲めないぞ。この後、喜瀬川とみるくを家に送らなきゃいけないんだ」
このホテルで生活をしているのは、おれと雄太だけ。あとの人間は、それぞれ帰る家がある。喜瀬川とみるくと、おれたちが一つ屋根の下ってわけにもいかないしな。
「いいよ、俺だけ飲むし」
「ま、別にいいけどな。ここで飲んでくれ、今日は眠たいんだ」
「トラはいつも眠そうだよ」
人懐っこく、雄太は笑った。おれは生あくびをした。
どうしてだろうな、こうも眠たいのは。
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