【第3章・野良犬の衣食住】『女の子の電話番号をゲットした!』

 ライブハウス『ヤマアラシ』。

 地下一階に会場を設けた、小さな雑居ビルにそれはあった。

 その下り階段の脇に、ボンデージパンツを穿いた背の低い太った女が一人、こちらを見つめながら立っていた。白のロングコートかと思ったが、近くで見ると「喧嘩上等」など刺繍が施された特攻服だった。咥え煙草に、紫の口紅が毒々しい。前下がりのボブの黒髪は、光の輪を作っている。モガですね、首から上だけ。

「社長、おせーよぉ」

 女はこちらに気付くと、馴れ馴れしく社長に言う。くちゃくちゃとガムを噛んで、ニヤニヤと笑っていた。顎がたるんでいる。社長は、すまんねぇ、と線香臭い息で答えた。

「ここでええ。おろしてくださいな。帰りはタクシーを拾うので、帰ってよろしい」

 あぁ、よろしいですか。そらどうも。

 社長はとんとんとおれの頭を叩き、おれは愛想笑いを浮かべて再びかがむ。社長は女に手を振り、手すりを伝い、背中を丸めて階段を下りていった。

 女と二人で残される。彼女はニヤニヤとタバコを吸い、おれをジロジロと見つめてくる。

「おぃぃぃぃ」

 女は背伸びをしておれの肩に腕を回し、馴れ馴れしく声をかけてくる。女の顔が、すぐ横にある。甘いココナッツのにおいが鼻腔をくすぐった。

「おにいさん、顔色悪いね。病気なの?」

「いえいえ。いえーい、元気ですよ。ほら、いえーい」

 おれはおどけて、右手を挙げて見せる。女はそれを見て大口を開けて笑った。

「ずいぶん青白いじゃん」

「生まれつきで」

「ふぅん。おにーさん、いくつなのぉ? ネンレイフショーって感じ」

「今年で三十一歳」

「あらま、そう。へー、思ったよりオッサン。あはは。三十一歳? うち、二十歳。だは」

 三十一歳なことが、どうやらさぞお気に召したらしい。ゲラゲラと笑う女。少し歯並びが悪くて、笑うと八重歯がきらりと覗いた。喉の奥は、おれを誘う宇宙のようだった。

「おにいさん、名前なんて言うの? ねぇー、教えてよぉ」

 随分と質問攻めですね。女が喋るたび、タバコとココナッツの香りが混ざる。

「トラです。元、タクシードライバー。インチキ霊媒師から今日、運転手になりました」

「マジ? 映画の『タクシードライバー』からとってきたんでしょ。かっけーよね、トラヴィス」

 おぉー、「トラ」の元ネタわかってくれる人いたよ。

「うけんね、トラちゃん」

 女はおれの口にタバコを咥えさせた。おれはそれを吹かし、煙を空へと吐きだす。

 もうトラちゃん呼ばわりですか。

 現代流のコミュニケーションのショートカットですね、便利だなぁ。

「今度遊びにいこーよぉ。うちさぁ、オカルト系っつーの? すげー、興味あんの」

「お嬢ちゃん、オカルトってのはね、あんまり突っ込むと怪我しますよ」

 彼女は近くで見ると、幼い顔立ちをしていた。

「ウチ、ボニ―っての。名前、覚えておいてね」

「ボニ―ちゃんですね」

 ホント、人の話を聞かないお嬢ちゃんだ。

「そ、ウチ、ボニ―ちゃん。かぁーいいっしょ?」

 確かにかわいい名前だ。その下ったらずでだらしない口調も、なかなか。

「そんなかわいいボニ―ちゃんには、オカルトの扉は開けません」

 こんな少女を、おれみたいな世界へ導くわけにはいかない。貴方は、おしゃれで攻撃的な音楽に浸り、きまぐれに世界を憂う程度で十分ですよ。

「だいじょぶだいじょぶ。だってウチさぁ」

 彼女はおれから腕をといて離れる。そして、刺繍のうちの一つを指さし、トントン、と誇らしげに指さす。そこには、素敵な四字熟語。

「ジョーショームハイっての? 喧嘩、ちょーつえーの。ギャハハハハ」

 楽しそうに笑う彼女は、どうにもおれとは相性が良さそうには見えなかったけど、まぁこれから長い付き合いになるかもしれない。ここは、愛想でもふりまくのが得策だろう。

「とにかくしばらく社長のドライバーやってるんで、よろしく頼みますよ」

「ん」

 彼女は、ぎゅうっと手を握り、拳をおれに突き出す。呆然とそれを見つめるおれに対し、彼女はじれったそうにもう一度「ん」と言った。わけもわからず、手を差し出す。

 彼女はにんまりと笑い、「ん」、とこちらの手を握る。

「……えーと」

 おれの手には、半透明の袋に入った『ゴム』が握らされていた。ピンクの液体がじゅわと漏れているような気がしたけど、もちろん気のせい。

 そしてそこには、マジックで書かれた数字が連ねてあった。

「これ、流行ってんだよ。ゴムに、デンワバンゴー書いて渡すんだぁ」

「いまどきの若い子は、変わってるんですねぇ」

「何言ってんの。うちらみんな、全員同じで全員違うんだぉ」

 全員同じで、全員違う。若い子は不思議だね。雑踏に紛れようと努力したと思えば、ここにいるぞと喉を嗄らして叫ぶ。

 矛盾。アンビバレント。世界の中心。

「んじゃぱ、ばいば」

 ボニ―は後ろ手に手を振って、階段を下りていく。太っているからこそ、その仕草がチャーミングに映る。彼女が何を言っているのかは一切わからないが、おそらく「バイバイ」ということなのだろう。社長とは違い颯爽と、一段飛ばしで階段を下りていく。

 ちゃらららーん♪

 女の子の電話番号をゲットした!

 ……えー、それからどした?

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