【第3章・野良犬の衣食住】『植民地としての地球』
「実はですなぁ」
おれは社長から早速、運転を頼まれた。クリーム色のクラシックカー。
いいね、こんな車に、上等な女を乗せてみたいもんだ。左ハンドルは初めてなので少々戸惑いはあったが、いざ運転してみるとこれがまた気持ちがいいやつ。エンジンの低い呻りが腹に響く。
後部座席で寝そべる社長が笑いながら、運転手を募集していた理由を教えてくれた。
「この車がどうしても欲しくて、前の車を売ってこの車を購入したんですな。ところが、ほれ、ぼくは脚が短くてね、どうにも運転しづらくて」
「なるほどなるほど」
「うちの社員でね、マニュアルを運転できるのがぼくしかおらんくてね、それで、こんな風に募集をかけたんですがね。トラくんは、運転が上手です」
「えぇ、タクシードライバーをしていたもんですから」
「それはそれは。あぁ、ここを左に曲がってくれるかな」
おれは、社長の命で埼玉の大宮駅に向かっていた。なんでも来週、先ほど話に出ていた「みるく」という少女のデビューライブが、この近くのライブハウスで行われるらしい。今日は、その視察というわけだ。社長自ら、ご苦労なこったね。
おれはあの後シャワーを浴び、紺のストライプのスーツに、オレンジのシャツを支給され、派手なドット柄のネクタイを締めさせられた。
こういうのも悪くないが、スーツはちょっと肩がこるね。
社長が若いころに来ていた服らしい。手足は少し丈が足ないが、肩幅やウエストはちょうどだった。こんなちんちくりんな社長だが、昔は人並みの身長があったようである。
少なくとも、雑巾のようにぐったりと湿った羽織を着るよりは随分といい。
大宮に来るのは久しぶりだ。駅前は、大きな電気店やデパートが並ぶが、少し裏道に入ると急激に人気がなくなる。あるいは、風俗街になる。
まるで、書き割のような街だ。駅前だけが異様に発達した街はどこか物悲しい。
「あー、社長。一つ、僭越ながらお聞かせ願いたいのですが」
「君は礼儀正しいのか、ぶしつけなんか、わからんですな」
「人間、表裏一体でございます。社長」
社長の軽口に、おれはいい加減な言葉を並べた。
「で、ですね」
さっきから引っ掛かっていることを尋ねてみる。
「先ほど、未来と仰られていたのは?」
そうだ。さっきこの男は冷蔵庫から這い出て来るなり、未来を見てきたと言っていた。妄言虚言と片付けるのは易いが、掘り下げてみれば何か面白い話が聞けるかもしれない。
人生で笑うのは、暇つぶしの方法を知っているやつだね。
「ほぉ、気になりますかね」
「なりますとも」
社長は、今日の朝飯のメニューでも答えるようにこう答えた。
「あの冷蔵庫は、タイムマシンなんですわ。わかりますかね、タイムマシン?」
……はぁ、まぁ、わかりますけど。
「青いタヌキが引き出しから出てくる、あれですね」
「そうですわ。あれでちょろーっと、百年後へ。ワクワクしたんですがなぁ」
社長は、とぼけた声でこう呟く。
「ところがそこは、我々が期待するような、楽しい地球ではなかった。宇宙人に支配され、植民地になってしまった地球だったんですわ」
「そりゃあ由々しき事態ですね」
おれは相槌を打つが、無論そんなことは信用していない。
だが、本当なら由々しき事態なのも、これまた事実だ。
「ところが、ぼくはそうは思わんかったですわね。大変だとは思わない」
「へぇ、どうしてですか?」
「あれでいいんでねーの」
社長は言った。
「おとぎ話のように小さくなった地球人。彼らは、幸せそうだった」
「……」
「人間ちゅうのは、何かに隷属して生きるのが性に合っているんでしょうな。ひっひっひ」
「ひっひっひ」
おれは社長の真似をして、歯の間から空気が抜けるような笑い方をした。
ひっひっひ。
「ま、それにこれは未来の一例ですわ。あるときは我々の思い描く未来都市そのものであるときもありますし、人間自体滅びているときもありますし、あるときは、なまずが世界を支配していた。そんなものなのです」
「それはずいぶんと泥臭い未来ですね」
「君はどう思う……あ、ここだ、ここ」
社長は言いかけて、一つの建物を指さす。そこはコンクリートの打ちっぱなしの三階建てのビル。近くに車を停めて降車し、社長に手を差し伸べる。社長は人懐っこく笑い、おれの手を取り、車を降りた。
「おぶってくださいな。おんぶですわ、おんぶ」
「ええ、喜んで」
おれは笑顔を作って屈み、小さな老人を背中に建物へと歩いて行った。
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