【第1章・野良犬の独り言】『鳩と愛の集い』
さっきの指輪に注目していたのには、わけがある。
今、メディアを賑わせている一つの噂がある。非常に、ちゃちな噂だ。
――人類は、今年で滅びる。
ノストラダムスだって寝耳に水だろう。
大予言は、おれがガキのときの話。人類滅亡云々より、おれが下の毛も生えそろってオトナになる間に、世間様がここまで進歩していないのかと驚かされる。
見事に踊らされるものだ。
崩壊の「理由」は、この世界を創世した(それは誰なんだ?)神が世を嘆き、再生を試みるからだそうだ。その際、選ばれし民だけが、その新世界を生きていけるのだと言う。
大層飽きっぽい神さまだ。
世間では、この話は大部分では「おもちゃ」のように扱われているが、一部の人間は本気で信じ、騒いでいる。
その発信源は、今世間を席巻しているスピリチュアリストの、鳩目ウロという男だ。つやつやとしたふっくらとした頬に、表情のない不気味な丸い目をしている。
この男が主導している「鳩と愛の集い」という(こんな胡散臭いものどう説明するべきかわからないが)組織があり、それはある出来事を期に、爆発的に知名度を上げた。
細かい背景の説明は面倒だが、要は鳩目ウロを信仰している人間が、鳩を象った金細工の指輪をしているのだ。
そのある出来事というのに、おれは少し関わったことがある。あくまで、間接的ではあるが。
こんなちんけな、インチキ霊媒師を始める前。
以前、タクシードライバーをしていたころだ。あかりの「飼育」から逃れ、初めてついた職業でもある。
人に頭を下げることが出来ないおれにとっては、うってつけの仕事だった。しかし、それはその事件によって辞めることを余儀なくされた。
一年くらい前。今日みたいにひどく冷える日だったろうか。
日を跨ぐ直前、六本木で意気揚々と客探しを始めたところに、ひどく焦った様子の男が乗り込んできた。丸々と太っている癖に、サイズのあってない小さなスーツを着ていて、腹や脇の肉が醜く目立っていた。
「あ、あの適当に走ってください」
男は焦燥した様子で、脂ぎった微笑みを浮かべた。ミラー越しでさえ、嫌悪感を覚えた。
「せっかくだから、前の車でも追ってみます?」
おれがおどけて尋ねると、男は淡の絡んだような声で、「いいから早く」と短く言った。「前の車追ってください」ってのはなかなかないもんだね、そんな客が来てくれれば、映画のワンシーンのようで、謂わばおれは助演男優賞。赤いカーペットだって、するする歩いちゃうぜ、ってな気分。
ちなみに前の車は、何の変哲もない白いワゴン車。おれは「へい」と頷き、車を走らせる。男は、目を血走らせて挙動不審な様子である。そのうちにタバコを取り出し、吸い始めた。
「お客さん、タバコはちょっとなぁ」
「あ、はぁ」
「車内美化にご協力お願いしまーす」
「……はぁ、はぁ、はぁぁぁ」
男は突如激しく息をつき、肩を激しく上下させ始めた。
おい、よしてくれよ。タバコやめろって言っただけだよ。こわいって。
自慢の相棒をゲロで汚してもらっちゃあ困る。
車内美化に協力しろって言ってんでしょうが。
「気分悪いんでしたら……車停めます……けど……」
「おぇぇぇぇぇ」
「……おせぇか」
男は「お客様のご意見お聞かせください」的なカードが入っているケースに、溢れんばかり、いや結構溢れている、薄茶色のクレイジーな液体を注ぐ。
車内が一気にすっぱくて、すえた臭いでいっぱいになる。おれは車を止める場所を必死に探しながら、ミラーに向かって怒鳴りつける。
「おい、おっさん! おりろ! テメーのゲロの管理くらい、自分でしろ!」
「……あぁ、もうダメだ……くる……とびきり、でかいのが」
男は、こちらの話など聞いていなかった。なにかに怯えていた。それは、目に見えないものだと言うことはたしかだ。悪意、憎悪、大きすぎる好意……。
なんだろうか。今でもなお、わからない。
「――!」
男は叫んだ。絶命する寸前の獣のように。声にならない、意味を持たない、動物としての叫び。野良犬の戦慄き。
おれはようやく見つけた裏道で車を停め、救急車を呼ぶ。そして、濁った泡を吐いて倒れ込んだ男をよそに、本社に電話をした。男は病院に運ばれたが、そのまま死んだ。らしい。
――後日。
会社で上司は、おれを心配するどころか、車のクリーニングに金がかかるだろう、と、こっぴどく叱った。客を乗せるときの選び方がなってない、大方、気分が悪いと言うのにワンメーター増やすために走らせた結果嘔吐したんだろうと。
おれはそんなにがめつい人間じゃないし、それでは死んだ理由がまったくつかない。
そうじゃないんだと、理由を述べるが、聞く耳を持ってくれない。
とんだお役所仕事だ。人が死んだってのに、この会社はクリーニング代を気にするってんだから、渡る世間は鬼ばかりと言われても仕様がない。
後のニュースで知った話だが、彼は鳩目ウロを殺した男なのだ。熱心な信者で、その終末からの救済の候補(ノアの方舟のようなものだろう)から外されたことに激昂した。「鳩と愛の集い」は、当時はまだテレビ等のメディアでも、知られていない団体だった。
だが、この事件を機に、この男は一気に名をあげた。
鳩目ウロは死ななかったのだ。いや、正確に言えば一度は死んだ。めった刺しになったまま、生きかえったのだという。なにかトリックがあるのだろうとワイドショーでは一時期騒ぎになったが、結局話はうやむやになり、ただ鳩目ウロの「奇跡」だけが残った。鳩目ウロの体験、奇跡によって、「鳩と愛の集い」は世を救う愛の術となり、彼の唱えた「世界の終わり」にもどこかしら信憑性(のようなもの)が生れてしまったのだ。
おれは、こう推理するね。あ、生きかえった方法ではなく、殺した理由を。
男はおそらく、ただ自分可愛さで暴れて殺したんじゃない。あの怯えようは、その団体の、知ってはいけない恐ろしい秘密を見てしまったんだ。
たとえば、そのウロちゃんがエイリアンとかさ。
おかしなマンガの読みすぎかね?
世間が賑わうなか、おれのところにも、インタビューを目的にテレビ局や週刊誌の記者達が押し寄せた。おれは、ちょっとしたスター気取り。皆様に我ながら弁舌巧みにあることないこと、お喋りしたのがよくなかったのかもしれない。おれはそのインタビューがオンエアされた次の日に、会社をクビになったのだ。
……と、いうわけで始めたこのインチキ交霊術師だが、はてさて。このババアももしかしたら御心酔かもしれないが、関係ない。この世界が滅びるにしても何にしても、個人的には明日の喰いぶちのことが大事だ。
せいぜい、清い心で念仏でも唱えているといいさ、クソババァ。
こんな話より、次行ってみよう。
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