【第1章・野良犬の独り言】『口寄せできます』

 さてさて、東京は高田馬場の駅から数分の、繁華街から一本それた裏道。

 寂れたスナックのビールケースの横に、俺は占星術師のごとくテーブルを用意し、行儀よく座っている。

 裏道ならではの、きなくさい灰色の空気。しけた吸殻や、湿って破れた求人雑誌が、街を彩る。おれは板チョコを齧りながらそんなごきげんな街に、心の底から愛を注ぐ。どばどば。

 あぁ、たまんないね。

「あら、おにいさん。おもしろそうなことやってんのねぇ」

 声をかけてきたのは、四十過ぎの中年の女だ。ぶっちょりと顎に肉を蓄え、悪趣味な紫のフェルトのベレー帽に、金ボタンのネイビーのコートを羽織っている。

 なかなか金持ちと見た。あと、性欲が強いね。こんな大きな下品なイヤリングをしている女、男好きに決まっている。その猫なで声も、裏付けとしては充分すぎるって。

「どうですか、奥さん。一つ、遊んでいきませんか?」

 おれは欠伸を飲みこみ、チョコレートやポテトチップスが散乱する、台の上を片付ける。こぢんまりとした木のテーブルの上は、紫のマット一枚になる。

「なに、占い師なの? 随分顔色が悪いのねぇ」

「えぇ、生まれつきで。ちなみに、占いではありません」

 まったく、最近のおばさま方は字の一つも読めないのか。

 看板に、はっきり書いておいただろう? 

『口寄せできます』、と。

 おれは芝居がかった調子で言う。

「まったく、ちがいます。おれは占いに対して懐疑的だ。占いを肯定する人の一部は、詭弁として占星術は天文学の基盤になったと言ったりしますが、逆に、古来からある宗教をモデルに立ち上げられた悪徳新興宗教があって取り沙汰されたりもします。要は、根っこを探ることで善悪を考えるのは、全くの無意味だということです。歴史なんて、物事の本質を表すように見せかけた、ただのまやかしですよ。後付けです、すべて」

 今言っていることには、何の中身もない。それこそ、まやかしだ。

「たしかにパッと見は、うさんくさい占い師ってとこでしょうが。信じられんと思うかもしれませんけど、おれは霊と通じることができます」

「そうねぇ、あやしいわねぇ」

「何を仰います。貴方だって、飛行機に乗るでしょう? 信じることで、人類は前に進んできたんだ。そうでしょ?」

 矢継早にまくし立てると、女は少し躊躇うように席に座った。

 へぇ、座るんですか。

 よかったですね、おれがちんけな悪党でさ。

 大悪党なら、人生変わっちまうかもな。

 女は酔っぱらっているらしく、腫れぼったい眠たげな眼をこちらの手元に向けた。

「おしゃべりなおにいさんね。そんなに薄着で、痩せちゃって、大丈夫なの?」

「えぇ、えぇ。薄着っても、これがいい紬でして」

「お着物が似合うのねぇ」

 おれが着ている鶯色の紬は、ひい爺さんのものだ。羽織っているのは安物の羽織りだが、今日なら英国紳士のチェスターコートを羽織るのも、粋だね。

「でも、足元ブーツはおかしくない?」

 女は、おれの足元を覗き込んで言う。なかなか、すけべなババァだね。

「おかしくありませんよ。これがねぇ、たっぷり歩けるもんで」

 実際のところ、足袋に雪駄なんて穿いてやっていたら、足が冷えていけない。

「えぇ、えぇ。あ、でも、一昨日体重測ったら、体重は五十キロ切りそうでしたね」

 おれは言った。いや、体重計なんて、もう何年乗っていないか。

 世界でもっともつかれている噓があるとしたら、それはきっと体重を巡る嘘だろう。

 女は、やんわりとだが、媚びたような驚きの声をあげる。

「まぁ、私より軽いじゃない。おにいさん、大きいのに軽いのね」

「身の丈、一八三センチばかしあります」

「大丈夫なの?」

「いいんです。商売柄、飯はあまり食わない方が、神経集中できるんでね」

 嘘だ。

 別に好きで痩せているわけではない。ただ単に、貧乏なだけだ。親の金で買った、綺麗なリクルートスーツなんか着て御学友と笑いあう、そんな学生たちが羨ましくなるね。

「ふぅん。で、一体何をしてくれるの? 口寄せって?」

 女は人懐っこく笑う。大方、酔っぱらって人恋しくでもなったのか、えらく積極的じゃないか。まぁ、商売やるには、こういう客がいてくれないと始まらない。

「ルネ・クルヴェルという人物を御存じで?」

 おれは訊ねる。彼女は考えるふりをするが、大方元々知りもしなのだろう。考えるふりをしている人間は、視線がひどく落ち着かない。

「ごめんなさい。聞いたことはあるけど、思い出せなくて」

「それじゃあ、アンドレ・ブルトンは?」

「それも」

「まぁ、ちょいと昔の芸術家です。彼らが考えたとある交霊術をおれがちょいとアレンジしまして。死人とお話しできちまう、そんな画期的な商売でして」

 さっき歴史そのものの正当性を踏みにじったが、実際のところこれがまた、それらしい出典に弱い人間が多い。こういうプライドの高い人間ほど、特にね。

 彼女は、不安と好奇の混ざった眼差しで、おれの口元を見た。

「オカルトってことかしらね」

「そう一括りにしちゃあいけないですよ。貴方だって、ただ女だという以前に、一人の人間でしょう。親が考えてくれた立派な名前を背負った、素敵な御婦人だ」

 ……さて、ここだけの話。

 おれは、霊感なんかこれっぽちもない、インチキ霊媒師だ。

 オカルト、まさにご名答。

 むしろ霊なんていてたまるかと、幼い目がくりくりとしていた頃から思っている次第で。ちょいと昔なら、ガマの油売りなんて呼ばれていたかもしれない。

 人生の落伍者として、おれはインチキを働く。

 なに、バランスは取れているさ。現代のねずみ小僧、悪をくじき、弱きを助くってところだ。

 いや、社会的に弱いのはおれなんだけれど。ナハハ。

 おれは、ルネ・クルヴェルが考案したという交霊式自動手記という方法を使う。(もちろん、実際に出来はしない)「自動」なんて銘打ってはいるが、実際は随意的な、手動も手動、おれが「霊」の気持ちになって、さらさらと死者の気持ちを書き出す。

 ちゃちな、インチキ商売でございます。

 こう説明すると簡単に聞こえるかもしれないけど、これはそうもいかない。

 なにせ、客は死者に何かしら想いがあり、人を呼ぶのだ。その人が本当に降りてきたのではないかと思いこませるには、少々コツがある。

 一朝一夕ではいかない、人間観察。

 ……だったらカッコイイんだけども、残念ながらもそうではない。

 種明かしは、また今度ということで。

「貴方は、素敵な御婦人です」

「そう、かしら」

 おれが言うと、まるでぽっと灯がともったかのように、彼女の頬が赤く染まる。

 おや、こんなおべっかが心に届くことがあるのね。なにせ、おれは自分で言っても恥ずかしくないくらいの、ハンサムだ。あの、クソ親父譲りのね。

 いや、死人の悪口はやめとおこうか。口寄せしたら説教食らっちまう。

 はは、涙涙の再会だね。

「そうですよ。さ、お名前をどうぞ」

「え、私の?」

 促すと、彼女は躊躇う。もちろん訊きたいのは、死者の名前だ。

「それもぜひ、お聞かせいただきたいですね。個人的に」

 おれが冗談めかして笑うと、彼女は少し照れたように俯く。ばばぁのくせに。

「でも、今回は違います。あなたがもう一度言葉を聞きたい人がいらっしゃるんでしょう? だから貴方は、自然とここに吸い寄せられたんですよ。きっとね」

「えー……」

 彼女は、口ごもる。交霊術目当てでなく、あくまでただの人恋しさで寄ってきた軽薄な女だ。会いたい人間すら、ロクに思いつかないんだろう。

「じゃあ、父を」

 彼女はカエルのような頬を揺らして言った。

 じゃあ、ね。とりあえず適当に呼び出されるこの御婦人の父君が、不憫で仕方ない。

 さて、どんなことを聞きたいのやら。

 真面目な顔して、『父は幸せな人生を送れたのでしょうか』なんて尋ねられたら、噴き出さないように、太ももでもつねっておかなくちゃならん。

 あぁ、どうせなら本物の霊媒師に、おれのパピーのことでも尋ねてみたいもんだ。たとえば、どの女の腕で息を引き取ったのか、とかさ。

 まさしく、ガマの油。どなたか薬剤師の方はいらっしゃいませんか、ってやつだ。

「お父様ですね。失礼ですが、幾つか質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「え、ええ」

 今までより少し、意識して笑顔を作って見せる。

「あ、その前に料金のお話をしましょう。明朗会計、五千円ぽっきりです」

「うふふ、大丈夫よ」

 女はこなれた愛想笑いをして、迷いなく、ワニ革の財布から五千円札を手渡す。膨れた芋虫のような人さし指。手首には、悪趣味なアクセサリがはめられている。

 鳩の姿をかたどった金細工だ。ふん、またか。

 おれがそれをまじまじ見ていると、女は訝しげな顔をするので、急いで視線を外す。おれは、わざと咳ばらいをし、質問を始めた。

 ――彼女は、質問にバカ正直に答えてくれた。

 ただ、何箇所か、嘘があるようだ。女は作り笑いを浮かべながらときどき、短くて妙に細い足を組みかえた。人間、嘘をつくときには、まず足元が落ち着かなくなるもんだ。

 おれは神妙な顔つきで、彼女に相槌を打つ。その間も、強い風が容赦なく吹いた。紬もいいが、こういうときはダウンジャケットが恋しくならぁね。

 東京の冬の寒さは他人行儀で、いやに骨身にしみるじゃないか。

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