野良犬の独り言~妹に飼われてました~
肯界隈
【第1章・野良犬の独り言】『パピーが死んじゃったお~(( ;∀;))』
『あのね、おにいちゃん、きょう……
ぱ、ぱ、パピーが……死んじゃったお~(( ;∀;))』
あ、そ。やっとくたばったか。
おれの感想は、そんなものだった。
昨日、行方不明だった父親の死亡が確認されたようだ。
妹・あかりからの、愛嬌たっぷりメールでの報告。
幼い顔してなかなかやるやつ。受信拒否にしており、しばらくは避けることができていたが……。それをかいくぐってきたらしい。
そうですか。パピーは死にましたか。カミュの『異邦人』へのオマージュ。文学的な妹をもって鼻が高い。
あぁ、あの親父がついに。いや、死ぬべきだったんだ、あんなやつ。色んなところに女を作り、自戒の念に駆られた近年は、新興宗教に入れあげていたという。
最後の最後まで、他人に迷惑をかけ続けて死んだ。
そのメールには蛇足と言える、おれへの愛の言葉が連ねてあった。
『それはさておき、おにいちゃんおにいちゃん&おにいちゃんはあかりあかり&あかりあかりんのことのことすきすきすきのだいすき&もういっちょだいすき?』
世界観こわ。「&」の使い方あってんのか、それ。
それはさておき、か。
さておかれた親父の死。まぁお言葉に甘えて、さておきまして。
どちらかというと、親父の報告よりおれへのラブレターがメインらしい。
『あかりから逃げようなんてダメゼッタイ、そんな悪い子に育てた覚えはありませんのだ!』
お前に育てられた覚えはねぇ。
と、言いたいところだが……。
妹に飼育されていた、忌まわしい記憶がおれにはある。
装飾だらけだったそのメールは、最後は句読点もなくこんな言葉で締めくくられていた。
『おにいちゃんはあかりがいないといきていけないよ』
……おぅ、胃もたれどころか五臓六腑がもたれる愛の言葉。
妹と言っても、あかりは腹違いのきょうだいだ。
親父はおれの母親と離婚した後、少なくともおれに二人の新たな母親を紹介した。誰もが妖しく笑い、くらりと酔わせる香りをさせた。
特に、あかりの母親は美しかった。
共同生活など出来るものか。おれにとっては母親なんかじゃなく、美しい女でしかなかった。
おれは、血の繋がった母親と小さなマンションで、二人きりで生きた。母親が死んでからは、もうその家にも帰っていないが。
あかりは第三夫人の娘で、昔はおれのことを兄として尊敬していて……ま、おれ頭良かったしハンサムだったから、なんだけど。
おれはある事件を境に、無職の引きこもりになった。落ちぶれてからは、あかりの見る目が変わった。
おれのことを見下し、より愛し始めた。
おれに首輪をつけ、裸にして軟禁し、飼育を始めたのだ。
時計もカレンダーもない部屋で過ごしたあの日々は、ひとつにくっついていた。
ときにはとことん甘やかされ、過剰に食い物を与えられた。それも、おれの好物ばかり。アメリカンドッグアメリカンドッグアメリカンドッグマスタード多めマスタードかなり多めマスタード天国。
かわりに、彼女の気分次第で、食事がパタッと途絶えた。『最近ちょっと太ったんじゃない?』という程度で、何日もの絶食を強いられる。
すべてあかりに従わなくてはいけない。
排泄のタイミングさえ、あかりが決めていた。
完全なる「与えるもの」と「与えられるもの」という関係だった。
気分を損なうとあかりに殴られる。下の毛を焼かれる。それでも、おれはあかりに歯向かおうとは思えなくなっていた。涙して、あかりに懇願する。人の言葉を喋ることを禁じられていたから、畜生の呻きに過ぎない。
ある日、おれは小便を我慢できず、ベッドで失禁した。あかりは怒らなかったが、笑顔でずっとおれをいたぶり続けた。すね毛を一本ずつ抜く。躾だと笑うのだ。
寝ている間も続き、ぶつぎれの浅い眠りを繰り返すうち、不眠状態に陥った。
限界だった。おれは泡を吹いて倒れていたらしい。焦ったあかりはおれを入院させ、それをきっかけにあかりの手をどうにか逃れることができた。
あかりを離れたおれは、完全なる野良犬だった。
いちばん困ったことは言葉がうまく出てこないことだった。使わないと忘れていく。あかりに飼育されていたのは半年ほどだったが、その間喋っていなかったおれの脳は、言葉を組み立て、伝える術を忘れていた。軽い失語症だろう。
読むことはできる。構築は遅いが、かろうじて理解はできる。だが、早いテンポで人と話すことは困難だった。
あかりから逃げ出してまず始めたのは、言語の再獲得だった。
街で見かけた看板をひたすらに読み上げる。山手線に乗り、一日中乗客が話していることに独り言で相槌を打つ……。
元通り話せるようになるのに、ひと月かかった。そこから先は……。
いや。今はいいか。
なにせ、自分語りはもてない男がやりがちな行為だ。
おれってさ、過去にはこだわらない男なのよ。
ここまで言っといてなんだけどさ、過去より現在が大事、「現在」と書いて「いま」と呼んじゃってちょうだい。
おれは短く「わかった」とだけあかりにメールをよこし、携帯の電源を落とす。
あの親父はもう他人だ。
おれの遺伝子の片割れでありながら、全くの他人。
さて。それはさておき。
ひゅうと鋭く風が吹いた。おれはペンギンのように肩を縮こまらせる。十一月もそろそろ終わりを告げ、大嫌いな十二月が顔を出そうとしていた。
ちなみに、今月で携帯止まります、かっきーん。
携帯料金払えないので。かっきーん。
別に、携帯電話なんか過去しか詰まってないんだからいらねーけど。
……あれ、これぼっちの負け惜しみに聞こえるか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます