第91話 妹は妹の家を知らない

 考えてみれば、怯むような話ではない。


 冬舞ゆきは飛び抜けて可愛くても、小学生五年生。

 春太にとっても、まったくの守備範囲外だ。


 一緒に風呂、と言われて動じるほうがおかしい。

 女の子だからと、意識しすぎるのがおかしいのだ。


 なにより、父親のほうから預けてきたのだから、しっかりとお預かりすればいいだけのこと。

 春太の理論武装は完璧だった。


「ここが、ユキん家だよぉ! ようこそ、お兄!」


 そういうわけで、春太は冬舞の家へとやってきた。

 冬舞の北斗家は一軒家で、慎ましい桜羽家より大きい。


 ただ、築年数は古そうで、軽く30年以上は経っていそうだ。

 冬舞によると、「おじいが建てた家」だそうで、祖母とずっと二人で暮らしてきたらしい。


「でも、お兄って変わってるねぇ」

「ん? 俺はちょいデカい以外はごく普通だぞ」

「そうかなぁ……?」


 その北斗家の一階、風呂場前の脱衣所。

 春太と冬舞は、家に着くとすぐにそこに直行した。


「もうちょっと、お兄がドーヨーすると思ってたのにぃ。こーんな可愛い女の子とお風呂だよぉ?」

「俺で遊んでたのかよ。なんだ、やっぱ一人で入るか?」

「やだよぉ。いっつもおばあと一緒に入ってたもん。一人でお風呂ってなんか怖ぁい」


 そう言うと、冬舞は着ていたブレザーをぱっと脱いで、膝丈スカートを床に落とした。

 まったく春太の目を気にせず、下の白いブラウスも脱いでしまう。


 その下にはピンクのキャミソール姿だった。

 小学五年生だけあって、胸のふくらみもぺったんこだ。

 特に春太はなんとも思わなかった。


「でも、もう五年生だろ? 風呂でいちいちビビるか?」

「お兄は小学生女子をわかってないねぇ」


 冬舞は、やれやれとわざとらしく肩をすくめる。

 小学生とは思えないリアクションだった。


 外国の血を感じさせる外見だからか、サマにはなっているが。


「髪洗ってたら、後ろに誰かいる気がしない? おばあが入院しちゃってから、もうずっと、ビクビクしながら髪洗ってたんだよぉ」

「…………」


 俺のような、初対面の男が一緒だったら別の意味でビクビクするだろう。

 春太はそう言いたかったが、女の子を怖がらせるわけにもいかない。


「ああ、ユキがお兄を信じすぎってことぉ?」

「……君、頭がいいな」


 春太が黙っていただけで、言いたいことを察したらしい。


「ユキ、これでも勉強は得意だよぉ。おばあは聖リーファを目指せって言ってたねぇ」

「聖リーファは高校だぞ。気の長い話だな」


 聖リーファは、春太の友人にして自称元カノの氷川涼華が通っている。

 涼華も春太の中学では、トップクラスの優等生だった。


「甘いねぇ。もう高校受験どころか、社会に出るための戦いは始まってるんだよぉ、お兄」

「……今時はそういうもんか」


 そういう春太も、冬舞とは五つしか違わないが。


「でも雪季なんて、志望校が決まったのは去年の秋だぞ」

「おっそぉ!!!!」


 冬舞は本気で驚いている。

 雪季の場合は引っ越したり戻ったりと、特殊な事情があったことまでは説明しない。


「だ、大丈夫なの、ユキのお姉? 世の中、可愛いだけじゃ渡っていけないんだよぉ?」

「それは俺も常々言い聞かせたいことではあってな……」


 冬舞に、まだ見ぬ姉への余計な先入観を植えつけたようだった。

 今のところ、春太は雪季と冬舞を対面させないつもりなので、特に問題はないが。


「それより、さっさと風呂入ろう。そんな薄着でいたら風邪引くぞ」


 春太は言ってコートを脱ぎ、制服のブレザーとワイシャツを脱いだ。


「うわっ」

「え? なんだ?」


 冬舞が、春太をじろじろと見つめている。


「お兄、スタイルいいねぇ!」

「え?」

「背ぇ高いし、脚も長いし、なにげに筋肉あるぅ! 細マッチョってヤツ!?」

「そんなことで感心しなくても」


 冬舞は嬉しそうに言って、春太の胸板をぺちぺちと叩いてきた。


 春太は最近運動を始めたが、まだ効果が出るには早い。

 体質的に筋肉がつきやすく、特に運動していなくても身体が引き締まっているのだ。


「お兄、これなら小学生女子にもモテモテだよぉ!」

「細マッチョ好きな小学生女子って、ちょっとイヤだな……」


 人の性癖はどうでもいいが、微妙さを感じる。


「わー、いいもん見ちゃったなぁ。さ、入ろ、入ろぉ」


 冬舞はキャミソールを脱ぎ、パンツもさっと脱いで。

 サイドテールの赤い髪を後ろでまとめ直して、風呂場に入っていく。


 春太も仕方なくズボンとパンツも脱ぎ、来る途中で買っておいたタオルを腰に巻く。


 洗い場では、堂々と全裸を晒した少女が立っている。


「…………」

「なに、お兄?」

「いや、さっきの話の続きだ。冬舞――ちゃんは女の子なんだし、もう少し警戒したほうがいいだろ」

「うーん」


 冬舞は、可愛く首を傾げると。


「だって、お兄はお姉のお兄ちゃんでしょぉ? ユキのお兄ちゃんみたいなもんじゃん」

「それはどうだろう……」


 かなりの拡大解釈ではないか。


「ユキ、ずっとお兄ちゃんほしかったんだよねぇ」

「お姉さんが現れたんだから、それでよしとしておけばいいんじゃないか?」

「ユキ、甘えたいタイプなのに、ずっとお父に放置されてきたから」

「…………」

「でも、お父はもういいから、お兄がほしくて」


 甘えたいタイプ、というのも雪季とまったく同じだ。

 もっとも、雪季が甘えてくるのは春太や氷川・冷泉たちと限られているが。


「お父さんも仕事が大変なんだろ。もう少し長い目で見てやれ」

「……お兄、お父が気に入らないかと思ったけど、そうでもないんだねぇ」

「どうかな……」


 やはり、冬舞という子は小学生とは思えない。

 春太の上から目線とも取れる台詞にも、特に反発はないようだ。


「もうそんな話はいいよぉ! お兄、髪洗って! あ、女の子の髪は優しくだよぉ?」

「俺は子供の頃から妹を風呂に入れてきたんだぞ。女子の髪を洗うのは大得意だ」

「それ、自慢できることなのぉ?」


 冬舞は呆れているようだが、春太はさらに呆れられそうな事実を隠している。

 子供の頃から――数ヶ月前まで雪季と風呂に一緒に入っていたのだ。


 そんな話を聞いたら、この少女はどう思うだろうか?


「その椅子座れ。後ろを怖がる必要はないからな」

「お兄が、ユキのお兄みたいっていうのは本気だよぉ。なにも怖くないから」

「……そりゃよかった」


 春太はシャワーを操作し、まずは冬舞の髪をお湯で洗い流す。

 小さな女の子を風呂に入れてやるだけ――ただの“作業”だ。


 春太は目の前のつるりとした小さな背中や、かすかに見えているお尻はただの物体として見ることにする。


 冬舞が落ち着きなくこちらを向いたりして、わずかにふくらんだ胸が見えても、もちろん気にもかけない。


「うわ、お兄、ホントに手慣れてるよぉ。髪洗うの上手すぎて、ちょっと怖ぁい!」

「そんなもん怖がるなよ」


 春太は、優しく冬舞の髪を洗っていく。

 どうも、髪質まで雪季に似ている気がしてならない。


 雪季の地毛は黒、冬舞の髪は赤。

 色は違っても、そんなところでも彼女たちが姉妹だと感じてしまう。


 もしかすると俺は、思ったよりずっと厄介なことに巻き込まれつつあるのかもしれない。

 冬舞が雪季の実の妹である以上、今後も冬舞は春太の人生にも関わってくる――


 春太は髪を洗ってやりつつ――


「なあ、冬舞ちゃん。風呂上がったら、友達呼んでいいか?」

「にぎやかなのは大好きだよぉ!」


 春太の提案に、冬舞は一瞬も迷わずに即答してきた。

 性格は、人見知りの雪季とはだいぶ違うようだが――


 春太は、どうもこれ以上一人で冬舞の面倒を見るのは難しそうだと思った。

 ここは素直に助けを呼ぶのが、冬舞のためでもあるだろう。


「でもでも、どんな人ぉ? お姉――じゃないなら、女の人がいいなぁ! 冬舞、美人のお姉さんとか大好きなんだよねぇ」

「安心しろ、女の人だ。あと、美人……かな。冬舞ちゃんとあんまり身長は変わらないが、俺と同い年だ」


 春太は、とりあえず巻き込む相手を決めた。

 この天真爛漫な少女の相手をするのは、落ち込んでいる彼女にとってもいい気分転換になる――ことを祈った。

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