第88話 妹はまだあきらめていない

「お兄ちゃん、お疲れさまでーす」

「…………」


 本日の妹は、朝からにっこにこだった。


「ジョギング、毎朝頑張ってますね。私も週イチで500メートルくらい走るのもいいかも!」

「……まあ、適度な運動は悪くないな」


 毎日500メートル走っても、ほとんど運動にはならないが。

 大の運動嫌いの雪季には、それが精一杯なのだろう。


 春太が早朝ジョギングから帰ってくると、出迎えたのは晶穂ではなく、雪季だった。


 今朝の雪季は制服のブラウスにスカートをきちんと着て、髪も整っている。

 このところ毎朝、パジャマ姿にボサボサの髪でダラダラしていたことを思えば、格段の進歩だった。


「今日はえらくご機嫌だな、雪季」

「えー、そうですか? 私、いつもこんなのですよ♡」


 自覚はないようだが、メンタルが明らかにこの数日とは雲泥の差だ。


 言うまでもなく、昨夜は晶穂のゲーム実況テストに付き合って久々にゲームを遊べたからだろう。


 やはり、雪季は根っからのゲーマー。

 受験のためにゲームを完全に封印してしまったのは、逆効果だったようだ。


 もう受験は最終段階に入り、雪季は学ぶことは学び終えている。

 あとは、復習を繰り返して今の学力を維持することが最優先。

 ガリガリ勉強しすぎてメンタルと体力を削るのは悪手だった。


 むしろ、多少ゲームを遊ぶ程度の気晴らしには大きな効果があるだろう。


「お兄ちゃんも1時間くらい走ったのに、元気ですね。でも、あんまり無理しちゃダメですよ?」

「ああ」


 春太のジョギングは、このところいろいろあった鬱屈を晴らすためのもの。

 特に無理をするほどのことでもない。


「あ、シャワーしますよね? 久しぶりに私がお背中流しましょうか?」

「……胸で背中を洗ってくれるのか?」

「え? ええ、それくらいは別にいいですけど」

「サービスよすぎだろ!」


 いろいろな意味で野放しにできない妹だった。

 余計な軽口を叩いた春太にも問題は多々あるが。


「ふふー、今ならなんでもできそうですよ」


 妹は今にも踊り出しそうだ。


 春太は、自分のミスを認める気になってきた。

 いや、ゲームの封印は雪季がみずから言い出したことだった。

 ただ、春太は雪季の受験を心配するあまり、彼女を抑えつけすぎていたかもしれない。


「なあ、雪季……」

「はい?」


「今日は朝飯、雪季がつくってくれないか? 久しぶりに雪季の味噌汁が飲みたい」

「その言葉を待っていましたぁ!」


 ぴょんっ、と雪季は跳び上がり、ミニスカートが舞い、白いパンツがちらりと見えた。


「任せてください、毎日私のお味噌汁を飲ませますよ!」

「プロポーズか?」


 雪季が家を出てアパート暮らしをするという話はどこへ行ったのか。

 いや、今の雪季がなにも考えずに勢いでものを言っているのは春太も理解しているが。


「嫌ですね、お兄ちゃん。お味噌汁をつくるくらいのことで」

「あ、ああ。頼んでいいんだな?」

「確か、材料はありましたから。和食の朝ご飯、つくりますよー」


 雪季は満面の笑みを浮かべ、腕まくりをしてキッチンに向かう。

 鼻歌をうたいつつ、冷蔵庫を開けて食材を確認している。


「テンション高ぁ~……」

「……一方、晶穂はテンション低いな」


 実は、さっきから晶穂もリビングにいた。

 ソファに座り、ぐったりしている。


「ゲームってめっちゃ疲れる……ギターなら10時間弾き続けても平気なのに」

「そんなに弾いたら手が血だらけだろ」


 昨夜のゲームは、春太が決めたとおり1時間で終わったが……。


 とはいえ、春太もゲームが意外と疲れることはよく知っている。

 特にFPSは高い集中力が必要とされる。

 ほぼ初心者の晶穂には、たった1時間のプレイがかなりこたえただろう。


「でも、ありがとうな、晶穂。おかげで、雪季が持ち直したみたいだ」

「まあ、あたしの可愛い雪季ちゃんだからねえ」

「俺の雪季だっつーの」


 いつの間にか、晶穂まで雪季を妹扱いし始めている。

 春太としては、これ以上人間関係を複雑にしないでほしかった。



「はぁ……」


 春太は流れる景色を見ながら、ため息をついた。


 放課後、春太は一人で電車に乗り、とある場所へと向かっていた。

 教室で、晶穂に「帰りに用がある」と告げると。


「なんだ、また新しい女か」

「違ぇよ!」


 そんなやり取りがあったことはともかく。


 約束の場所は、桜羽家の最寄り駅から電車で15分ほどの駅。

 駅前にあるホテルのロビー、そこの喫茶ルームを指定されている。


 春太は電車を降り、駅を出て時間を確認した。


 待ち合わせ時間まで、まだ30分もある。

 遅刻するわけにもいかないので、早めに来たが手持ち無沙汰だ。


 雪季の実の父親――


 顔を合わせるのは、ひどく気が重い。

 言うまでもなく、春太は雪季の実父と赤の他人でしかない。


 なぜ、雪季本人でなく、血の繋がらない兄の春太との対面を要求してきたのか?

 そのあたりも謎だし、できれば回れ右して帰りたい。


 だが、雪季本人に会わせるよりはずっとマシだ。

 晶穂のおかげでせっかく雪季のメンタルも持ち直したところなのだ。


 ここで、雪季に余計な刺激を与えたくない。

 雪季の父親がどういう人物なのかは、まだ知らないが……。

 たとえ聖人のような人物であっても、受験を控えた雪季に会わせるのはリスキーだ。


 そのためなら、春太が気重な思いをする程度は、些細なことではあった。


「ま、逃げるわけにもいかねぇし……適当に時間潰すか」


 春太は駅前をキョロキョロと見回し――


「おっ」


 素晴らしいことにゲームセンターがあり、迷わずそこに入った。

 放課後の時間帯なので、制服姿の男女が多い。


 やはり格ゲーかな、と春太が筐体が並ぶエリアに向かおうとしたところで。


「ううぅー……そこだあ!」


 えらく気合いの入った、澄んだ声が響いた。

 思わず、春太はそちらを向いてしまう。


 小柄な女の子がクレーンゲームの筐体に向かっていた。

 足元にカバンとコートを置いている。


 グレーのブレザーに、同じ色の膝丈スカート。

 長い赤毛をサイドテールに結んでいる。


 見た感じ、小学生くらいの女の子のようだった。

 おそらく、五年生か六年生といったところか。


「よーし……よぉしっ」


 クレーンの動きに合わせて、身体が動いてしまい、ぴょんぴょんとその場で跳びはねている。

 スカートの裾が揺れ、ちらちらと細くて白い太ももが見えている。


 よほど夢中になっているようで、楽しげな姿が微笑ましい。


「へぇ……」


 春太はなんとなくクレーンの動きを見つめ、感心する。


 少女が操るクレーンは、がっちりとぬいぐるみを掴んでいる。


 しかも、そのぬいぐるみはCS64のキャラ――

 ゲーム中ではイカついキャラばかりだが、ぬいぐるみは可愛らしくデフォルメされたデザインだ。


 最近出回りだしたものらしく、春太も存在は知っていたが、まだ持っていなかった。


 正直、ちょっと――いや、かなりほしい。

 雪季もほしがるだろうし、春太自身も部屋に置いておきたい。


「やったぁー! “レーザーエッジ”げっとぉ!」

「うおっ……」


 しかも、CS64の人気キャラ、“レーザーエッジ”のぬいぐるみだ。

 少女は取り出し口からぬいぐるみを取り出し、高々と掲げている。


「レーザーエッジ、三つ目ぇ! もう一個獲っちゃおっかなあー!」

「三つ目!?」


 少女の独り言に、ついツッコミを入れてしまう春太。

 当然のように――


 少女が、くるりと春太のほうを振り向いた。


「なんだよぉ、でっかいお兄さん。ユキになんか用?」

「い、いや……」


 しまった、小学生に声をかけてしまうとは。

 春太は動揺し、しどろもどろになってしまう。


 しかも彼女は明らかに、日本人ではなかった。


 ハーフ――いや、今時はダブルというのか。

 サイドテールの髪が赤いだけでなく、目は濃いグリーンだ。

 それでいて、顔は日本人らしい造作になっている。


 ずいぶんと可愛らしい顔立ちで、生意気そうな表情も浮かんでいる。


「いや、なんでもない。悪い、邪魔をして――」

「……なに?」


 春太は謝りかけて、黙り込んでしまう。

 少女に外国の血が入っていて、可愛らしい――というだけでないと気づいたのだ。


 そうだ、俺はこの顔を知っている。

 過去に見たことがある。

 それも、何度となく。


「お、おまえ……誰なんだ?」


 春太は質問せざるをえなかった。

 それくらい――あまりにも似すぎていた。


 な、なんだこの……!

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