第86話 妹は甘え方をわかっていない

 春太が通う悠凛館高校は、三学期制だ。

 一月中旬には三学期が始まり、もう通常の授業が行われている。


 高校一年生なので、この時期でもまだ気楽なものだ。

 悠凛館は進学校だが、受験に向けて動き出すのは二年生の夏くらいだろう。


 春太は、自分はもう少し後でもいいなと思っている。

 来年の夏は、雪季が高校一年生になっているはずだ。

 勉強だけで夏を終わらせるのはもったいなさすぎる。


 ただでさえ、去年の夏は雪季が引っ越していて一度も会えなかったのだから。

 そんなことを考えつつ、春太が教室に入ると――


「春太郎……俺は信じてたぞ!」

「なんの話だよ!?」


 いきなり、親友の松風陽司に肩を掴まれ、春太は驚く。

 松風はバスケ部の朝練があるので、だいたい春太より先に登校している。


「いや、ジョギング始めてんだろ?」

「は? なんで松風が知ってるんだ?」


「北条が今朝、朝練行くときに見かけたんだとさ。春太郎みたいなデカいの、見間違えようもねぇし」

「おまえのほうがデカいだろ」


 北条は春太、松風と同中で今もクラスメイトだ。

 ノンデリの称号をほしいままにしている男で、春太を見かけて特に気にせず松風に話したようだ。


「ふぅ……ようやく、三年ぶりに春太とコンビを組んでコートを駆け回れる日が来たんだな」

「来てねぇ」


「ん? バスケ部、入るんだろ? なーに、文句を言うヤツがいたら先輩だろうと俺がわからせて――」

「待て待て、落ち着け! おまえそんな暴力タイプじゃないだろ!」


 松風は、かなり早まっているようだ。

 春太はただ、最近いろいろありすぎてじっとしていられなくなっただけだ。


 そのことを説明すると、松風は残念そうに大きなため息をつき――


「それで、桜羽さんはどうなんだ?」

「まあ……だいぶメンタルやられてるな」


 春太は苦笑いして、雪季の様子がおかしいことを説明する。

 松風も雪季をよく知っているだけに、想像がつくようで困った顔をしている。


「桜羽さん、昔からプレッシャーに弱いもんなあ」

「だよなあ……そういや、松風。おまえ、昔は雪季ちゃんとか呼んでなかったか?」


 春太は、ふと思い出して言った。

 あまりにも今さらな疑問ではあるが。


「あー、そうだったかも。でも、あんま名前で呼んでなかった気がする。春太郎が、周りの連中が雪季ちゃん雪季ちゃん呼ぶと嫌な顔してたから、やめたんだったな」

「もういいだろ。雪季は一応、今は桜羽じゃなくて冬野だしな」

「ふーん、それもそうか……まあ、せめて雪季さんにしとくか」

「謎のこだわりだな」


「でもなあ、春太郎」

「ん?」


「雪季さんの受験に、月夜見さんのこともあるだろ。大丈夫か?」

「俺の心配をしてどうすんだよ。心配するなら二人のことだろ。あと、ついでに氷川と冷泉のことも心配してやれ」

「氷川と冷泉は受験は余裕だろ。特に氷川なんて、半分居眠りしても受かるんじゃないか?」

「そこまで楽勝な高校じゃないだろ、ウチも……」


 特に氷川流琉は、松風が優しい言葉の一つもかけてやれば喜ぶだろう。

 だが、松風は氷川の気持ちを知ってか知らずか、特になにもするつもりはなさそうだ。


「おはーっす。晶穂さんのお出ましですよ、っと」


 がらりと教室の扉が開き、晶穂が入ってきた。

 いつものようにギターケースを担ぎ、普段とまったく変わらない様子だ。


「……軽いな、あいつ」

「周りに気を遣わせないための演技じゃないか?」

「どうかな……」


 晶穂は母が亡くなったことを周りに隠していない。

 同中の友人は、母親同士の繋がりもあって、隠そうにも隠せなかったようだ。


 それでも、晶穂は冬休み明けには普通に登校してきている。

 周りの陽キャな友人たちも、特別に気を遣ってはいないようだ。


「春太郎、月夜見さんの母親とは会ったことあるんだよな?」

「ああ、何度かな。高い寿司もおごってもらったよ」

「へぇ、カノジョの母親とそこまで仲良くできるのもすげぇな」


 松風は本気で感心しているようだ。

 この親友は春太以上にモテるのだが、親に挨拶などあまりしていないらしい。

 それが普通かもしれないが。


「面白い人だったよ。晶穂の母親だけあって、美人だったしな。マジで姉って言われても違和感ないレベルだった」

「珍しいな、春太郎がそんなに人を褒めるなんて」

「亡くなった人の悪口を言うほど終わってねぇって」


 晶穂はたまに、母親について軽口を叩くことはあるが、それは生前の母と良好な関係があったからこそだ。

 数回会っただけの春太が迂闊なことを言うわけにもいかない。


 春太の父も母も礼儀にうるさいほうではないが、最低限の躾は受けている。

 秋葉については思うところもあるものの、悪口を言おうなどとは思わない。


 それに、今思えば秋葉には悪く言うべきところもない。

 春太にしてみれば、父親との間に娘を産んだ人――複雑な心情にならざるを得ない関係なのだが。


「ねーえ、ハル」

「うおっ」


 突然、晶穂がそばに来て、強引に春太の椅子に座ってきた。

 たいして大きくもない椅子を二人で分け合うようにして座っている。


「お、おい、晶穂。どこ座ってんだよ、おまえ」

「野郎二人で寂しく話してるから、美人の晶穂さんが華を添えに来てやったんだよ」

「……そりゃどうも」


 晶穂は下手すると小学生サイズの身長なので、美人というより可愛いタイプだ。

 胸の大きさは可愛いなんてシロモノではないが。


「よう、月夜見さん。なんか、U Cubeのほう調子いいんだって?」

「いい話題振ってくれるね、松風くん。年末年始で登録者数、一気に5000も増えたんだよ」

「へぇー……おお、登録1万7000? これ、かなり凄くね?」

 松風はチャンネル登録しているらしく、スマホを操作して驚いている。


「クリスマスに上げた歌動画はオリジナルやめて、流行りのクリスマス曲を歌ったからね。時にはこだわりを捨てるのもアリだね」

「そうそう、バスケだって得意のプレイスタイルを捨てて活路が開けることもあるからなあ」


「…………」


 春太は黙って、カノジョと親友の話を聞いている。


 晶穂のU Cube登録者が増えているのは喜ばしいことだ。

 春太も晶穂のチャンネルのスタッフなのだから。


 ただ、今の晶穂はU Cubeどころではないはず……。


「ちょっと、ハル。聞いてんの?」

「ああ、聞いてない」

「ふざけんな。ハルが手伝ってくれないと、100万登録への道はどうなんの!」

「100万!?」

「だって、100万までいけば生活も安泰じゃん? あたし、将来が不安だし」


「…………」

「…………」


 春太は松風と揃って黙り込んでしまう。


 晶穂の母は普通に働いていたし、春太と雪季に高級な寿司をおごる程度の経済的余裕もあった。


 だが、その母が亡くなって金銭的な問題が生じる可能性がないとは言えない。


「……オヤジさんがいるだろ」

「アイツはねー、お金の面ではあんま当てにならないな」


 春太も、晶穂の義父には葬儀のときに会っている。

 意外なほど普通な、どこにでもいそうな中年男だった。


 職業は“詩人”らしい。

 最初は失礼にも冗談だと思ってしまったが、詩集も発売しているそうだ。


 ただ、詩だけでは生活できないようで、作詞の仕事などもしていて。

 その縁で、音楽関係のイベント会社勤めの秋葉と出会ったようだ。


 そこから、どうやって結婚に至ったのかまでは聞き出していないが……。


「そういうわけで、あたしは自力で強く生きていく! ハルには目一杯よりかかる!」

「自力とは!?」


 春太のツッコミに、松風がはははと笑っている。


 もちろん、春太も――おそらく松風もわかっている。

 晶穂の態度がカラ元気であることを。


 まだ、母を失って二週間ほどしか経っていないのだ。

 立ち直るには早すぎるだろう。


「よろしくねー、可哀想な少女に救いの手をどうぞ!」

「……まずは10万登録を目標にしてくれ」


 春太は、母を亡くしたばかりのカノジョに――

 実の妹にかけるべき言葉は見つけられない。


 母を亡くしている、ということでは春太も同じなのだが。

 もっとも春太は生まれてすぐに実母と離れ、五年前に亡くなっていることを知ったのもつい最近だ。

 悲しめ、というほうが無理がある。


 だが晶穂は、母とは悪口をぶつけ合うことは多くても、険悪な関係ではなかった。

 それどころか、姉妹がじゃれ合っているような関係だった――


「お、チャイムだ。このまま、ここで甘えても許されるかな。先生もあたしの事情知ってるしね」

「俺以外にも甘えてるじゃねぇか」

「あはは」


 晶穂は笑い、立ち上がって自分の席へ戻っていく。

 松風も、ぽんと春太の肩を軽く叩いて席へ戻った。


 今しばらく、晶穂を桜羽家に居候させて、面倒を見る。

 U Cubeの活動にも全力で手を貸す。


 カレシとして兄として、できることはそのくらいだろう。

 それ以上のことは今のところ、思いつかない。


 晶穂は多くのものを背負いすぎている。

 その荷物を軽くしてやるのが、春太の役目なのだが――


 ただ、晶穂にも母親と同じく心臓の障害があるのでは――という心配は杞憂に終わってくれた。

 この年末に起きた悲しすぎる出来事で、それだけが唯一の救いだった。


「でもなあ」


 春太は、周りに聞こえないようにつぶやく。


 雪季の受験が、もう目の前まで迫っている。

 晶穂のことだけ考えていられないのも、現実だった。



※小あとがき

 なんか、丸々学校のシーンって凄く珍しいような……。

 中高生がメインなのに学園モノ感はないですね、この作品。

 どうでもいい感想でした。


 あ、コメントなどありがとうございます!

 長く更新できていなかったのに、あたたかいお言葉嬉しいです。

 お返事できていませんが、すべてありがたく拝読しております。


 で、前章までのおさらいを兼ねてゆっくりやってきましたが、次回から話、動きます。

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